神子たちは分かりやすい変化を知る
昨日までは何も変わりはなかった。
だが、その変化は一目見るだけでも十分、分かりやすいものだった。
「どうした?」
オレは思わず、ハルナに問いかけた。
何かあったのは明確だが、何があったかは分からない。
だが、内面に踏み込むような問いかけを彼女は許容してくれるだろうか?
「ちょっと……、神官が代替わりしていて……」
思いのほか、素直に答えてくれた。
そして、オレにとってはその答えだけで十分だった。
「それで……、ハルナはそんな顔をしているのか」
「そんなに酷い?」
ハルナが自分の目元を押さえる。
「目の周りは腫れているし、すっげ~、充血もしてるぞ。ちゃんと冷やしておけ」
恐らくはかなり泣いたのだろう。
そんな顔をしていた。
「これでもかなりの時間、冷やしたのだけどね」
そう言いながらハルナは、自分の目を隠すように覆った。
神官の代替わり。
言葉にすればそれだけのことだ。
鏡を通して会話はしているけれど、実際に会ったことはない。
確かにオレにも衝撃を与えるような出来事ではあった。
だが……、彼女や他の神子たちは、この世界を「乙女ゲーム」の世界だと思い込んでいるのだ。
それなのに、そこまで痛々しさを覚えるような顔になるものだろうか?
「でも……、直接、その神官には会ったこともないのに、そんなに悲しくなるものか?」
「なる! 会ったことがなくても! テレビの向こうの相手でも! ゲームのキャラクターでも! 誰かが死ぬのはすっごく悲しいことだから」
ハルナは目を押さえながらもはっきりと力説する。
「この辺については、わたしがオタクだからこその感覚なのかもしれないけど、二次元の作品の中でキャラクターが死んだりする場面は大号泣するし、大好きなキャラクターが落ち込んでいると一緒に落ち込みたくなるのよ」
「あ~、共感するのか」
確かにあの少女漫画でも、知っている人間が死ぬところを見るのは辛かった。
特に、後半は、男のオレでもボロ泣きしてしまような場面が何度もあったのだ。
それだけ感情移入してしまうのだろう。
「そうなの。どうしても、他人事じゃなくて、自分の感情も重なっちゃって……」
そう言いながら恥ずかしそうに自分の手を下ろす。
真面目で隙を見せようとしない女の隙だらけの姿は、どうしてこうもそそられるのだろうか?
単純にオレの性癖か?
「でも、今回の場合はそういった『共感』とはちょっと違うかな」
だが、そんなオレの邪な感情に気付かず、純粋な年上女性はそんなことを口にする。
「鏡越しでも、やっぱり生きた人間として交流していたことに変わりないし」
そのことに少しだけモヤっとした。
神官って言ったから、相手は男だよな?
「相手は単なるゲームのモブとは思わないのか?」
「思わなかったかな」
オレのどこか意地悪な問いかけも気に掛けず、ハルナは堂々と自分の考えを口にした。
その真っすぐで、迷いのない言葉に、少しだけ胸に浮かんだもやもやとしたものも、それ以外の感情も綺麗に浄化されるような気がする。
そうだな。
相手はこの世界で生きている人間だ。
乙女ゲームのモブなんかとは違う。
それは、オレも神官の代替わりで理解したのだ。
「そうか……」
自分と似たような感覚に少しだけ嬉しく思えた。
勿論、全く同じ考え方ではない。
それでも、その考え方は好ましいものだ。
だが、そんなオレを何故か不思議そうな顔でハルナは見つめている。
「どうした?」
「いや、アルズヴェールの素顔ってどんなのかなって気になっただけ」
「オレに興味を持ったか?」
そうなら嬉しい。
初対面は我ながら最悪だったと思う。
だが、この一年で、少しぐらい距離は縮まっただろうか?
「そうだね。少なくとも本当の顔を見てみたいと思うぐらいには、わたしはあなたに興味を持っているよ」
そう言いながら誤魔化しもせずにハルナは笑った。
その後ろに、別の黒髪の女性の姿をオレに見せつけながら。
この一年、ハルナの後ろに時折、現れる女性の幻。
恐らくは、それが本当の彼女の姿なのだろう。
だけど、普段は表情を見せてくれないその幻が、その口元に笑みを浮かべているように見えたのだ。
そんなことは初めてだった。
「お、おま……っ!?」
思わず、オレは、自分の口元を手で押さえる。
その嬉しさに、自分を取り繕うことができなかった。
ハルナの目にもはっきり分かるほど明らかな動揺していることだろう。
耳が熱いので、多分、赤くなってしまったはずだ。
「えっと……、なんか……ごめん」
そんなところで謝られても困る。
そして、彼女は何も悪くない。
オレが勝手に喜んだだけだ。
「『ラシアレス』の姿で言っちゃダメな台詞だったね」
だが、何故かそんな言葉を言われてしまった。
「……あ?」
その言葉の真意をつかみかねて短く問い返す。
「『理想の女の子』から、『興味持っている』なんて……、誤解の元になっちゃうか。揶揄うつもりで言ったわけじゃないんだけど……、ごめんね」
一瞬で、頭が冷やされた。
彼女は自分自身に好意を向けられているなんて、微塵も思っていないのだ。
オレが最初に「理想の女の姿だ」と言ったことを今でも信じきっている。
「…………ああ」
これは先が長そうだ。
素直にそう思う。
「いや……、男の純情を弄べるほど、ハルナは男慣れしてねえだろ」
オレが思わずそう口にしてしまう。
男慣れしていたら、先ほどのオレの反応で何かに気付いてくれても良いはずだ。
「『純情』の意味……、分かってる?」
気付かないからこんな言葉を返す。
なんて、可愛い顔して残酷な女だ。
「なんだと? 男心は、いつだって『純真無垢』なんだぞ?」
「今の若い人たちは、いつから邪心に満ち溢れた人のことを『純真無垢』と言うようになったの?」
「重ねて失礼な。邪な心は……ちょっとしか持っていない」
先ほどチラッと考えてしまったので強く言えない。
「少なくとも『純真無垢』な殿方は、理想の外見であっても、初対面の女性の唇を許可なく奪うような不埒な行いはしないと思うのよ?」
「本当に、ハルナは男を知らないな。『純真無垢』だから、理想の相手には、我慢することが難しいんだよ」
あの少女漫画はそういった意味ではかなり綺麗な世界だった。
まあ、少女漫画だからある程度表現も抑えられていたのだろうけど。
だが、実際は惚れた女を前にして、「据え膳」を我慢できる男なんかいねえ!!
「そんな殿方なら知らなくても良いかな」
だが、綺麗な世界しか知らなそうなハルナはそんなことを言った。
そんな女だから、「乙女ゲーム」なんてものに手を出していたのだろう。
これは、本当に……、本っ当に! 先が長そうだ。
「多少は我慢して欲しいですね、ヒカル」
こんな時にその呼び方は反則だと思う。
「オレは十分、我慢してやってるぞ、ハルナ」
思わずそんな本音を漏らす。
そう言ってもやはり彼女は本気にしない。
まあ、その方がこちらにも都合は良いので、これ以上は余計なことを言わない方が良いだろう。
相手に警戒させても良いことなんて一つもないのだから。
「ところで、現実のハルナは黒髪か?」
話題を逸らすべく、先ほど気になったことを確認する。
「黒髪だね。染色、脱色に興味はなかったから。このラシアレスほど綺麗で艶やかな黒髪ストレートではなかったけど」
やはり黒髪か。
彼女の背後に見える女性は、当人だと思った方が良さそうだ。
この神たちが作り出した世界に、何の所縁もない他人の姿がその背後に見えるとは思えないのだ。
そもそもこの世界に神に呼ばれたモノ以外が入り込めるはずもない。
「現実のヒカルは? チャラチャラしているから、色を抜くか染めるかはしていたでしょ?」
酷いことを断言された。
「確かにしてたけど……、人をチャラ男みたいに言うなよ」
ハルナの中ではオレはかなり軽い男らしい。
どうも、初対面でキスしたことを根に持たれている気がする。
いや、あの時は、まさか、彼女がここまで男慣れしていない女だとは思っていなかったのだ。
年上の女性だから、出会った時は、正直、オレより経験があると思いこんでいたことが敗因だろう。
ほら、真面目に見える女が裏では案外ってお約束じゃねえか?
「最近はダークブラウンが多かったかな。オレの大学では、眼鏡の上に黒髪って少し浮くんだよ」
「おや、意外。眼鏡ってことはコンタクトレンズにしてなかったの?」
「こ、コンタクトは体質的にあわなかったし……、ちょっと……、目に異物を突っ込むのが怖くて、その……どうしても……、駄目だった」
我ながら、情けない理由だった。
普通に怖くねえか?
目の中に自ら異物混入だぞ?
下手すれば失明する気がしないか?
「笑いたきゃ笑えよ」
理由を知ると大笑いしやがる彼女や、女友達は少なくなかった。
「なんで?」
だが、ハルナは真顔で聞き返す。
「怖いのって本能的な感覚だから、無理にやれば悪化するだけでしょ。体質もあるなら仕方ないことでもあるし。自分で眼鏡に不都合がなければ良いんじゃないの?」
ああ、こんなところが気に入ったのかもしれない。
相手のことを否定しないのだ。
「眼鏡男子の外見もわたしは嫌いじゃないからね」
それどころか肯定してくれる。
「……変わった趣味だな」
オレの周りは眼鏡否定派が多かった。
「そう?オタク友達には結構、多かったけど……」
「二次元と一緒にするなよ」
彼女の基準は二次元らしい。
あの少女漫画の主人公にこの辺はかなりよく似ている。
でも……。
「女に眼鏡を否定されなかったのは初めてだ」
それだけのことが、何故か、オレは嬉しかったのだ。
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