火の神子は最初の別れを経験する
―――― オレには心構えが足りていなかった
そう思うしかないだろう。
それとなくハルナから聞かされていたのに、その意味を深く考えなかったのだ。
それは、思っていた以上にはっきりとした形ではなかったから気付けなかった。
いや、オレが無意識に考えないようにしていただけなのかもしれない。
オレたちの過ごしている場所と、「みこ」が護るべき世界とは、時間の流れが違うことなど。
だけど……。
『初めまして、神子様』
赤い髪の若い神官が、恭しく、両腕を胸の前で交差し、それぞれの二の腕に手のひらを当てて深々と礼をする。
火の大陸の最敬礼だ。
いや、そんなことよりも……。
『先代神官カリエンテより、任命され、私が新たな神官となりました。以後、よろしくお願いいたします』
あれだけ、「神子」に羨望の眼差しを向けていた神官が、前触れもなく突然、「先代」扱いされていた。
それは、一年が過ぎ、二年目に入った後、二回目の神官に会う日のことだった。
火の大陸の神官が交代していたのだ。
そこで思い当る理由は一つしかない。
―――― 人間たちの世界ってこの世界より10倍の速さで流れるんだって
そんなハルナの読みやすい文字が頭に蘇る。
あれは筆談で語っていた時期だったからかなり前の話だろう。
ハルナがやっていた「すくみこ! 」の知識をオレに教えてくれた頃だ。
そのゲーム内で、「みこ」に人間たちの希望を伝える役目を持った神官が一年ぐらいで代替わりをしていたことを伝えられたことを思い出す。
そして……。
―――― 寿命がわたしたちの世界よりもずっと短いみたいから仕方ないね
何でもないことのように、振舞いながらも、唇を震わせてそう書いていたことも。
その言葉から……、導き出される答えなど、そう多くない。
「分かりました。これからよろしくお願い致します」
オレも同じような礼を返す。
だが、深々と腰は曲げず、同じ姿勢で軽く顎だけ引いた。
「先代の神官カリエンテは、立派な神官でした」
相手からその詳細を伝えられるよりも先に、オレは口にする。
あの神官には確かに、どこか狂信的な気配はあった。
だが、「神子」の言葉を疑わず、真摯に受け止め、あの男なりに大陸のために力を尽くしていたことも、オレは知っているのだ。
「神子」のためではなく、「火の大陸」のために。
「神」の意思ではなく、「自分」の意思で。
この世界のために大陸に住んでいる人間たちを動かした。
オレが指示した通り、砂しか存在しない土地に水路を引き、城壁で国を囲んだ後、その場所を長耳族と呼ばれる精霊族に願って、結界を張って護らせたのだ。
それだけの大規模な事業だ。
実際は、もっと時間がかかると思っていた。
だが、あの男は自分の代で絶対にやり遂げると言って……、話をした次の月には人間たちを集めて説得したらしい。
彼らの住む世界は魔法という奇跡のある世界だ。
だが、人類の人口が減少しているため、人手は少なく、その苦労は多かったことだろう。
それでも泣き言を言わず、オレにずっと笑顔を向けたままだった。
「そして、大陸を救った神官でもあります」
砂しかない不毛の地と思われた場所に実際赴くと本当に神の気配を感じたとか。
その神の気配を頼りに人間たちが研究し、新たな魔法を創り出したとか。
新たな魔法を使うことで、少しずつ、大陸の気候が安定していったとか。
魔法の効果を実感し、それを使える人間たちをさらに増やす必要性を理解したとか。
水路や城塞を作ることで、生活環境が整えやすくなり、人間も集まりやすくなったとか。
人が集まることで、多くの力が生まれ、また新たにできることが増えていったとか。
国を興したことで、人々の生活に潤いと笑顔が見られるようになったとか。
オレと顔を合わせるたびに、そんな報告をしてくれたことを思い出す。
すぐに結果が出るはずはないのに、常に、結果を残そうとしていた。
小さなことから大きなことまで。
オレに報告するために。
「私は彼を誇りに思います」
「神子」に妄信する変な奴だと何度も思った。
最初の時のように少しぐらいは疑えよとも思った。
それでも、あの男は、一度、信じると決めた後、オレを疑うことはしなかった。
その世界を護りたいと願っていた神官。
その世界を愛していた神官。
そして、オレを「神子」と認め、慕ってくれた神官。
あの神官は間違いなく、尊敬できる人間だった。
オレが、そのことに気付くのが少しばかり遅すぎただけだ。
『勿体ないお言葉です。先代神官カリエンテも、『かの地』で喜んでいることでしょう』
その言葉で確信する。
ああ、やはり……、あの神官は既に「聖霊界」に行ったんだと。
神官にとって、尊敬できる神に仕え、寿命が尽き、聖霊界へその魂が送られると言うのは名誉あることだとあの少女漫画で語られていた。
オレは神ではないが、あの神官にとって少しでも尊敬できる神子でいられただろうか?
その答えはもう分からない。
二度と聞くこともできない。
何度も確認することはできたはずなのに。
「カリエンテは、いつ、『かの地』へと導かれましたか?」
オレが今いるこの世界とこの鏡の向こうで流れる時間の速さが違うのなら、それを聞いたところであまり意味はない。
だが、目の前の神官は何故か目を見張った。
そして……。
『先代神官カリエンテはやはり、喜んでいることでしょう』
そう言いながら、目を閉じて何かを思案する。
『先代神官カリエンテは、一月前、眠るようにその役目を終えられました。そして、『かの地』へと送……、いえ、導かれたと伝え聞いております』
一月前か。
既にそれだけ月日が流れているのなら、引継ぎもしっかり終わっていることだろう。
「カリエンテは、常に働いている方でした。『かの地』にて、心安らかに過ごせるよう祈ります」
あの神官はいつもどこか生き急いでいるようなやつだった。
だから、せめて、魂ぐらいはゆっくり休んで欲しい。
死後の世界に行ってまで、働かされるってあんまりだからな。
『どうでしょう? あの方は、『聖霊界』でも神子様の素晴らしさを口にされているかと思います』
神官が苦笑する。
何故だろう?
この神官の言う通り、魂になっても安らかになることを選ばないあの神官が想像できてしまった。
オレも思わず苦笑したくなったが、なんとか我慢する。
『そして、そんな先代神官カリエンテのように私も貴女にお仕えしたいと心から思いました』
あ……?
それって……?
『私の名はカロウ。今、この時より貴女にお仕えし、その命を承りましょう』
これ、ヤバいやつだ。
その口調と言い、その瞳の潤み方と言い……、先代神官カリエンテと同じような熱を感じる。
オレが何か言うまでもなく、既に洗脳されてしまったようだ。
『この命、尽きるその時まで、心より貴女に従います、美しき聖なる神子様』
その言葉が洒落にならないほど重いものだということは理解した。
なんで、神官はそう極端な生き方しかできないのだろうか?
仕方ないか。
それが、この世界の神官という存在だ。
どんな形であっても、自分の信じる生き方を貫く。
盲目的に神を信じているのに、どこまでも神の意思に逆らおうとする人間。
矛盾しているのに何故か破綻していない殉教者たち。
「分かりました、カロウ。これから、よろしくお願いいたします」
声を震わせないようにするのが精いっぱいだった。
「私の名はアルズヴェール。これからはそのように呼んでください」
オレがそう口にすると、神官は目を見張った。
そして、みるみるうちにその頬を紅潮させていく。
瞳は泣き出さんばかりに潤んでいた。
「せ、聖なる神子、アルズヴェール様」
神官……、カロウはまた最敬礼をする。
「こ、心より、お仕えいたします!!」
そんな言葉と共に。
その姿にどこか懐かしさを覚えた。
同じような赤い髪の神官。
あの男も、神の言葉を伝えた後はこうだった。
だが、オレは神ではない。
どこまでも、人間だ。
だから……、この世界の人間のために、これまでよりももっと努力しようと思う。
いつか来る別れの時に、後悔だけしか残らないのはもう嫌なのだ。
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