神子たちの心は揺れ動く
「乙女ゲームって、キラキラした野郎が主人公に向かって常に甘い言葉を吐きまくるんじゃねえのか? スマホの女向けゲームの広告CMとかそんな感じだろ? だから、そんなもんだと思っていたが……」
素面であんな言葉を吐ける男たちは脳のネジと、羞恥心ってやつをどこかに置いてきたとしか思えん。
「ゲームでは神様たちがヒロインに甘い言葉を口にし始めるのは三年目以降だよ。まずは『みこ』たちの邪魔をしないように登場回数も攻略中の神様との偶発的なイベントを除けばそこまで多くない」
「攻略中なのに偶発的とは……」
ご都合主義というか、王道展開というか、お約束というか。
まあ、どんなゲームにも、フラグ管理はつきものだよな。
オレはそう納得することにする。
「もしかして、他の神子たちがどこか浮かれていたのも……、相方の神様に口説かれたってことかな?」
「多分な。神様が何を考えているか知らんが、迷惑な話だ」
いや、考えていることは分かるけど、いくら何でも露骨すぎるとは思う。
それに、他の神子たちだって、あの少女漫画を読んでいたはずなのだ。
オレたちが本当に、あの少女漫画で描かれていた「救いの神子」ならば、この先の「神子の務め」を知っているはずなのに。
「迷惑?」
「オレは男だぞ? 野郎に迫られるなんて寒気しかせんわ!」
揶揄われているにしても、本気だったとしても、どちらでも嫌だ。
オレは男よりも女の方が好きなのだ!!
「そ~ゆ~のが好きな層もいるよ?」
「知ってるけど、そんな例外を口にするな」
ハルナの言葉で、先ほどまでここにいた「キャナリダ」のことを思い出す。
なんとなく、寒気がしたのは気のせいだと思いたい。
現実世界では擬態化していたかもしれないが、世の中には少なからず、「そういうの、嫌いじゃないから」などと言ってのける女子はいるらしい。
「ああ、でも……、あのディアグツォープ様から迫られたら考えるかもしれん」
「考えちゃうんだ」
あの少女漫画の主人公の魂の素となった祖神と呼ばれる存在。
あの方に迫られたら、流石にこの心は大きく揺らされることだろう。
尤も……。
「まあ、原作通りならディアグツォープ様には想い人がいるけどな」
あの少女漫画では詳しく語られなかったが、神話としては悲恋で終わったらしい。
あんな美人を振るなんて、この世界の神はどうかしている。
いや、この世界の神はどうかしているのしかいなかったか。
だから、主人公も救われたと思った後で、また新たな厄介ごとに巻き込まれることになってしまったのだ。
「あら、神様も恋愛するんだ」
「いや、するだろう?ギリシャ神話なんか愛憎入り乱れて成り立ってる話じゃねえか」
神も人間も動物も、老いも若きも、男も女も全く気にしないで話が進んでいくところが恐ろしい。
節操がないにもほどがあるのが、ギリシャ神話だとオレは思っている。
「ギリシャ神話には興味なくて。ああ、でも大神がすっごい浮気性ってぐらいは知ってる」
有名だからな。
あのトラブルメーカーの絶倫大神。
しかも、あちこちで神や人間の女を孕ませておいて、その責任をほとんどとらないのだ。
神とはいえ、あれが許されるのは本当に信じられない。
「でも、意外だね。ヒカルはギリシャ神話まで読むんだ」
不意打ちで名前を呼ばれて、にやけそうになるのを我慢する。
「……原作で、その、主人公が好きだって言うから読んでみただけだ。別にオレの趣味じゃねえ」
主人公が何度かギリシャ神話のことをを口にするのだ。
その中に、「運命の三女神」と気になる言葉もあったので、読んでみる気になったと記憶している。
まあ、そのギリシャ神話がきっかけとなって、別の方向にも興味を持ったのが、高校に入る前だったのだが、それはちょっとした余談だな。
「きっかけは何であれ、興味を持つことは悪くないと思うよ」
ハルナはそう言って笑った。
「あと、もう一つ意外だったのは、シルヴィクルの中の人の名前をちゃんと覚えているところだね」
「中の人って……」
言いたいことは伝わるけど、他にもっと別の言い方はなかったのだろうか?
……ないな。
「ああ、オレの妹の名前と一緒なんだよ。『麗か』でレイって読むから字は違うかもしれんが……」
「おや、それは……」
ハルナが言葉に詰まった。
言葉を続けようかどうか迷っているように見える。
同じような立場なのだから、気を遣う必要なんてないのに。
「性格は似てない。妹の性格も悪いが、シルヴィクルはもっと分かりやすく悪い」
「シルヴィクルはツンデレさんなだけだと思うけど」
「あの性格を『ツンデレ』とはオレは認めない」
あれは単に「お局様」なだけだ。
「厳しいなあ、お兄ちゃんは」
そんな意外過ぎる一言に、思わず思考が停止した。
なんだ?
この「お兄ちゃん」って言葉の可愛らしさは。
妹から呼ばれても、一度も感じたことがない甘酸っぱい何かが、胸に広がる。
オレは今、生まれて初めて「妹萌え」というジャンルを理解できた気がした。
これは、落ちる!
妹萌えの沼に。
いや、沼だから嵌るのか?
「何?」
ハルナが不思議そうに首を傾げる。
「ラシアレスから『兄ちゃん』って呼ばれるとなんか、新鮮だな。胸がむず痒くなると言うか……」
まだ胸の鼓動が落ち着かない。
もう一度言って欲しいぐらいだ。
「ヘンタイか」
やべえ。
今、何を言われてもキュンキュンくる。
「ヘンタイじゃねえよ。オレは十分、紳士だと思うぞ」
「紳士はそんなこと言わない」
「紳士だよ。十分、我慢してるだろ」
「我慢?」
「ラシアレスに手を出したいのをこう、必死に我慢している」
うっかり心の声を口に出してしまった。
「ヘンタイ!!」
先ほどよりも実感のこもった言葉を頂きました。
ありがとうございます。
オレにとってはそれすらもご褒美です。
「そうは言うけどな~。目の前で好みの女がチマチマ、チョコチョコ無防備に動いていたら、男としては手を出さない方が失礼だと思うんだぞ?」
「どこの世界の礼儀だ!?」
そう問われたので……。
「……エロ本?」
それぐらいしか思い出せなかった。
確かに日常生活において、そんな行動が許されていたら、事案発生だろう。
「ヘンタイ!!」
顔を真っ赤にしてそう言われても本当にご褒美だとしか思えない。
「オレだって傷つくんだが……」
「大体、彼女がいるんでしょ?」
「いるけど……なあ。一月も会ってなければ、もう他に別の男ができてると思うぞ」
実際、もう別れてもおかしくないような状態ではあった。
身体が違うとはいえ、叩かれた頬の痛みなど忘れるぐらいの時間。
それでも、オレがあの女から叩かれたという事実は消えないのだ。
「ああ、でもそこまで警戒しなくても大丈夫だよ」
だけど、これだけは言っておかなければいけない。
「何が?」
「オレはハルナにだけは手を出さないから」
その気持ちだけは本当なのだ。
「……中身が違うことを知っているから?」
警戒心を隠さない言葉。
「そう言う意味じゃなくて、なんだろうな? 同志だから? いや、それもなんか、違うな」
本当はもう分かっている。
だから、それはオレが口にする前に気付いて欲しい。
『ラシアレス様、おいでください』
導きの女神ディアグツォープ様の声で、ハルナはオレを気にしつつも、立ち上がった。
「後で、ゆっくり聞かせてください、アルズヴェール様」
そう微笑みながら、ハルナも奥の部屋へと向かう。
「あ…………」
思わず、手が伸びかけて……、引っ込める。
まだいろいろと足りない。
それぐらいは分かっている。
だが、この時に、それを口にしておけば、もっと違った結果があっただろうか?
少なくとも、ハルナがあそこまで泣くところを見なくて済んだのかもしれない。
それでも、まだ出会って一カ月ほどのオレが、そんなことを口にできるはずもなかったのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




