神子たちの変化
「ほっといてもいずれは元の世界へ還されるはずなのよ」
シルヴィクルはそんなことを口にする。
だが、それはオレも一度は考えたことでもあった。
特に何もしなくても、放っておいても、この世界はなんとかなる。
だから、本気で頑張る必要などない。
頭のどこかでそんな気持ちがあることは認めるしかない。
オレが、目の前にいる人間を見捨てられるタイプなら、躊躇なくそれを選んでいたことも。
だが、現実的な話として、そんなことができるはずがなかった。
「火の大陸」が滅べば、次は「風の大陸」の番だ。
だから、オレの心と性格を理解した上で「赤イケメン(笑)」はそれをご丁寧に伝えたのだと思っている。
「そうなると、人類の救済はどうなるのでしょうか?」
だが、真面目なハルナにはシルヴィクルの考え方が理解できない。
この世界はゲームの世界だろうと思いつつも、それでも、目の前に提示された問題には全力で取り組もうとする。
ああ、この女は間違いなく「ラシアレス」だ。
少なくとも、それに似た魂を持っている。
生きている人間を前にすれば、それが全くの他人であっても、見捨てることができない。
自分でもできないことはできないと承知しつつも、できる限りの手を尽くそうとしてしまう厄介な女。
「後は本物に任せれば良いでしょ? そもそも、何の能力もない私たちを呼んだ方がおかしいのだから」
それも同感だ。
だからといって、本当に見捨てられるかは別の話だがな。
「それに、原作通りなら、この世界は救われるのよ」
「どういうことでしょうか?」
ハルナは知らない。
あの少女漫画での「救いの神子」の役目を。
「本当に、貴女も何も知らないのね。漫画は7人の『救いの神子』たちによって再び、人間の世界が繁栄した後の話なのよ。だから、ここで人間たちが滅んでしまうと困るの。話がおかしくなるから」
シルヴィクルは得意げな顔でそう言った。
だが、オレはそうと決めつけてしまうのはあまりにも底の浅い考え方だと思っている。
時間逆行もののお約束の一つに、「平行世界」と呼ばれるものがある。
ここでオレたちが見捨てて滅んだ世界と、救われた世界が同時に存在するという話だ。
分かりやすく言えば、ゲームのマルチエンディングがこれに該当するだろう。
グッドもノーマルもバッドも同時に存在し、決して交じり合わない世界たち。
あるいは、別の考え方となるが、「平行世界」というものが存在せず、時間逆行した者の介入により、一つの世界が未来を含めて改変される可能性もある。
ここで、オレたちが見捨てることで、あの少女漫画に至る世界線が消滅し、新たな世界が構築されてしまうことだってあり得るかもしれないのだ。
ゲームや漫画、小説の世界ならそれは普通だ。
オレたちはプレイヤー、もしくは読者としてそれらの世界を見守るだけで良い。
思考を巡らせ、口を出した所で世界は何も変わらないのだから。
だが、今、自分が生きているのは現実で、ゲームや漫画の世界ではない。
時間逆行の時点で現実も何もという気もするが、少なくとも、自分のこの身体も、周囲の人間たちも、生きている実感があるのだ。
その時点で、オレにとっては誰かに作られた世界と言えなくなっている。
ハルナのことを抜きにしても、そこも引っかかるのだ。
「それでも……、何の努力もしないのはおかしいと思うのですが……」
自分の怠慢で救われない世界が出来上がってしまうというのは、胸糞が悪い。
「神様を落とすためにどの『みこ』も最低限、育成のポーズはとるはずよ。そうしないと神様との好感度が上がらないから」
ああ、やはりこの女は好きになれない。
オレは素直にそう思う。
その言動が常に上から目線というのもあるが、それ以外の考え方もいろいろと賛同できないものばかりだ。
「まあ、『リアンズ』が役目を放棄したから、ちょっとバッドエンド率は高くなっているかもしれないわね。でも、その分、貴女たちが頑張ってくれるなら、『アルズヴェール』や『ラシアレス』のノーマルエンドにいきやすくはなるかしら」
そう口にしたシルヴィクルが、どこか遠くを見る瞳をしていることに気付いた。
好きにはなれない女だけど、それでも、「手っ取り早いクリア」というやつを目指すのは、別の理由からだと理解した。
「シルヴィクル……、いえ、玲さんは、早く帰りたいのですね」
それは、別の男のことを話す、一応「現彼女」の瞳によく似ているのだ。
何かを懐かしむような……、少しの後悔を滲ませるようなそんな瞳。
「え? あ、ま、まあね。その溜まっていた仕事もあるし、その……、うん。一月も離れてしまうと、あんな生活でも恋しいと言うか?」
顔を紅くしながら、誰かに言い訳をするように答えるシルヴィクル。
「実は、好きな人が、いたのよ。私に、その自覚はなかったのだけど……」
そう言うシルヴィクルの後ろにぼんやりと、見たことのない誰かの影が重なった気がした。
それは、長い黒髪を後ろで一つに纏めた女の姿。
面長で、吊り目の、性格もきつそうな、いかにも「お局様」な印象を持つ女だった。
だけど、その次の瞬間。
それらの幻がいろいろと吹き飛ぶことになる。
他ならぬシルヴィクル自身の言葉で。
「神様に熱烈に口説かれて、そのことに気付いたの」
いや、そんなことを頬染めながら言われても困る。
その言葉はオレたちにではなく、その好きな男とやらに言ってやれ。
その結果までは責任を持てないけどな。
オレがそんなことを考えている間に、そのシルヴィクルが呼ばれ、オレたちにうっかり話してしまったことが照れくさかったのか、いそいそと奥の扉の向こうに消えていった。
「どう思う?」
ハルナから、声をかけられる。
「オバハンの恋愛事情に興味はねえな~」
そもそも、他人の恋愛ごとに首を突っ込んだところで、碌な結果にはならないだろう。
他人の恋愛は遠くからか隠れて見守るに限るのだ。
「いや、そこじゃなくて、『神様に熱烈に口説かれて』って話の方」
ハルナはそちらの方が気にかかったらしい。
「ああ、そっちか。妙に馴れ馴れしいと思っていたら、やっぱり、アレって口説いていたんだなとは思った」
まあ、揶揄われてもいるのだろう。
中身が男とバレているのだから。
「は?」
だが、ハルナからすれば意外だったらしく、その大きな黒い瞳が見開かれた。
「まあ、野郎に興味なんざ微塵も湧かないから適当にのらりくらり躱してるけど、鬱陶しいんだよな」
「ちょっと待って。あなたも口説かれてるの?」
「あ? 『綺麗だ』とか『美しい』とか『魅力的だ』とかならあのジエルブって神様によく言われているな。それも日常会話中に」
ああ、改めて思い出すと、絶対に揶揄われているな。
オレの反応を見て楽しんでいる節があるから。
だが、あの「赤イケメン(笑)」はオレを本気で口説く気なんかない。
既にその必要がないことを、ヤツは知っているのだから。
「ハルナは、大丈夫か?」
だから、そちらの方がオレとしては気になるのだ。
「ズィード様は何も言わない……かな」
ハルナは少し考えてそう答えた。
そのことに心底ほっとする。
「それなら良かった。ハルナはあのシルヴィクルと同じように野郎への免疫、なさそうだからな」
「失礼な」
「……あったら、その年齢まで独り身を拗らせてねえだろ」
「重ねて失礼な」
そう言われても、男の目からはそう見えるのだから仕方がない。
周囲に隙を見せないように、頑なな態度で自分自身を護ろうとしている、隙の大きな女。
「だけど……、なんで神様が神子たちを口説くんだろ? まだ一年目で積極的なアプローチをしてくる時期でもないはずなのに」
ハルナは真面目にこの世界を救おうと考えている反面、どこかでこの世界を乙女ゲームと同一視している部分がある。
それは仕方がないのだろう。
オレだって、どこかでこの世界を、あの少女漫画の過去の世界と信じ込んでしまっている部分があるのだから。
だけど、いつまでもそんな考え方のままではいけない。
何故か、オレはそう思ったのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




