火の神子は風の神子とやり合う
『アルズヴェール、その名を口にしないでくれるかな?』
ラシアレスは、溜息を吐きながら、目の前の紙にサラサラとそう書いた。
オレが、自分の本名を口にしたことが気に食わないらしい。
その顔には分かりやすく「不快」の二文字が浮かんでいた。
『良いだろ? オレが呼びたくなっただけだから』
正しくは心の声が外に出ただけだ。
オレだって、こんなタイミングで彼女の名前を呼ぶつもりはなかった。
だけど、良い響きだよな。
―――― ハルナ
実際の「ハルナ」はどんな文字だろう。
「春奈」? 「榛名」? 「春那」? 「羽留南」? もしくは平仮名か?
あまりにも「ハルナ」候補が多すぎる。
「はる」も「な」も一体、何種類あるのか?
個人的には珍妙な名前ではなく、読みやすいものであって欲しいと願うばかりだ。
『今のわたしは不本意だけど「ラシアレス」なの。別の名前で呼べば、互いの背後にいる二人が混乱しちゃうでしょう?』
その言葉に少し疑問が浮かぶ。
『不本意なのか? 可愛いのに』
少なくとも、オレの好みド真ん中である。
女って、外見が可愛い女になれて嬉しいものじゃないのか?
それも「乙女ゲーム」の「主人公」の一人だ。
だから、狙ったかのように容姿が整っていることは当然だろう。
そして、そんな世界に憧れる女なら、「良し! いっちょ頑張って、○○様を落とすぞ!! 」と肉食系女子の「女子力」とやらを発揮する場面じゃないのか?
そこまで考えて、目の前の女は、そんなタイプに見えないことに気付く。
『自分と全く違うタイプの女性だからね』
そして、当人にもそう書かれた。
『全く違うタイプ?』
オレは乙女ゲームの「ラシアレス」の方を知らないが、この「中身」の方は、オレが抱く「主人公」と、割と重なる。
寧ろ、こっちが本体と思えてしまうほどに。
『うん。わたしはこんなにロリっ子でドジっ娘じゃない』
『そうなのか?』
ラシアレスが書いた「ロリっ子」は、恐らくその童顔のことだと思う。
実際、彼女がオレより年上女性に見えないのは、そのためだろう。
だが、そのけしからん胸は、あまりロリとは思えん。
ロリ顔巨乳というジャンルがあることは承知だが、オレはロリ顔なら、身体も慎ましやかであって欲しいと願うような男だ。
いや、オレ自身、巨乳が少し苦手というのもある。
二次元はともかく、三次元で胸の大きな女に過剰な夢を描いてはならぬと、三人目の彼女の時に思い知った。
それなりに良い思いをできることは認めるが、それと引き替えに自分の財布の中身がなくなるのは本気で勘弁願いたい。
そして、その良い思いにしても巨乳党に宗旨替えをするほどでもなかった。
まあ、貧乳が良いかと言われたら、ないよりはある方が良いとも思うけれど。男だから。
そんなオレの趣味嗜好は、今はどうでも良い話だ。
『本名で呼ばれるのは嫌か?』
そこは確認しておくべきだろう。
自分の名前が嫌いな人間もいる。
そういった人種は、名前を呼ばれることすら嫌がるらしいから。
『別に嫌じゃないけど』
それなら何も問題はない。
『じゃあ、たまには耳に入れとけ。確かにお前の身体はラシアレスだが、心までラシアレスになることはない』
なりきりという言葉もあるが、「不本意」だと言うのなら、本人は「ラシアレス」になりたいわけではないだろう。
ついでに、オレも本名が呼べてお得だ。
誰も損しないから問題ない。
『じゃあ、あなたも「ヒカル」って呼んだ方が良いの?』
ハルナが上目遣いで確認してくる。
それはなかなか魅力的な提案だと思えた。
『試しに呼んでみろ』
オレがそう書くと……。
「ヒカル?」
先ほどよりも分かりやすく、上目遣いを見せてくれる。
さらには、両手を前に組んで、控えめに隠しつつも、大きな胸を強調するような姿勢。
そして、不思議そうに瞬きをしながらも、小首を傾げた。
―――― あざとい!!
分かりやすく的確に狙い撃たれた。
だが、それに気付いていながらも、抗えないのが男という生き物だ。
自分の好みの顔が、可愛らしい姿勢を見せてくれるのだ。
しかも……、頑張っている感を出しながら!
これに反応しなければ男ではない。
身体が男のままでなくて良かった。
いろいろマズいことになってしまう。
具体的にはオレのムスコが大変な状態になったことだろう。
今だけ、女で良かったと本気でそう思った。
それでも、顔の赤みだけでも隠そうとオレは机の下に避難する。
「ヤベエ……」
手で押さえても口から漏れる本音が指からはみ出して聞こえる。
「ほら、この呼び方だとお互い、困るでしょう?」
ハルナの楽しそうな声が聞こえる。
揶揄われているのは分かっているので、反撃ぐらいはしてやりたい。
「困るけど……、少しだけ抱き締めて良いか?」
「良くない!!」
そのまま素の反応が返ってくる。
顔を真っ赤にして、本当に可愛い。
身体や顔は借り物でも、その反応だけは間違いなく本物だ。
『定期的にオレの名前呼んでくれないか? それがあればこの世界でも強く生きていける気がする』
避難所から座り直して、机上の紙に向かうと、素直に本音を書いてみる。
『あなたは十分強いから必要ないでしょう?』
なかなかに手強い。
『な~、頼むよ~』
甘えたことを書いてみたが、彼女の頑なな態度を崩せそうもなかった。
それならば……。
「お願い、ハルナ」
微笑みながら、少しだけ肩を竦めつつ、両手を合わせてお願いしてみる。
中身が男だから気持ち悪いだと?
何言ってるんだ?
「乙女ゲーム」に中の人などいないのだ。
ギャルゲーでもそれが常識だろ?
男主人公がヒロインたちに手を出す状態を指くわえて見守っているだけなんて思ってプレイするやつがいるか?
「お断りします」
当然ながら、ハルナは笑顔で拒否ってくる。
「手強い……」
「当然です」
「だが、そこも良いから困る」
そのドヤ顔が可愛すぎるのだ。
好みの顔が好みの仕草とか、本気でたまらんな。
『お願いだから、人前では本当に自重してください』
ハルナは、頭を押さえながらもしっかりした文字でそう書いた。
それはつまり……。
『人前じゃなければ良いのか?』
そういう話ではないだろうか?
駄目じゃないか。
そんなことを書いては。
オレが期待してしまうだろ?
『彼女はどうした?』
しかも、現実的な話を持ち出してくる。
なんだこれ?
焼きもちか? 嫉妬か? ジェラシーか?
だが、焦るな、オレ。
まだ慌てる時間じゃない。
『分かってないな。ラシアレスに対してはそんなやましい気持ちじゃないんだよ』
『いや、言っていることは十分、通報レベルだから』
『それは酷い』
それだけ意識をしてもらっているわけだ。
『オレにとって、ラシアレスは触れずにめでたい存在なんだよ。見ているだけで満足なんだ』
本当に見ているだけで良かったのだ。
あの少女漫画の主人公は。
それだけいつも一生懸命で、可愛くて、その上、誰よりも強かったのだ。
誰かが護ろうとしても、素直に護られてくれない。
酷くて苦しい目に遭いながらも、伸ばされた手を振り払ってまで、自力で立とうとしてしまう女。
それが、目の前の女が重なるのはどんな皮肉なのだろうか?
『愛でたいだけなら、いきなりキスしたり、「抱き締めたい」なんて脳を疑われるようなことを言わないでいただけますか?』
あいでたい?
ああ、これで「めでたい」と読むのか。
フリガナ、希望。
『それぐらい、小動物に対してもすることだろ?』
キスとか抱き締めるとか……、普通にするよな?
『わたしはあなたの愛玩動物になる気はないですから』
『愛玩動物?』
いきなりなんてことを書くのか?
『ペットってことだよ』
『ああ、悪い。もっと別の意味かと思った』
言葉から、悪い男に性的な意味で飼われるようなイメージが先行してしまった。
ほら、その、なんですか。
「愛」で「玩具」とかそんなイメージがつかないか?
それに、そんなタイトルの年齢制限もの動画とかも普通にあるから……、つい……。
なるほど、ペットね。
ペットか……。
『ラシアレスみたいなペットだと確かに癒されるな。一日中、モフりたくなる』
『だから、ペットは嫌ですからね!』
顔を真っ赤にされて怒られる。
でも、本当に癒されるし、一日中モフりたく……いや、撫で回したくなるのだから、仕方ないよな?
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




