火の神子は風の神子と落ち合う
扉を開けると、そこには黒髪、黒い瞳の美少女がいた。
大量の本棚に囲まれた部屋で、オレが来たことに気付いていたのか、本を開いたままこちらに目を向けている。
何も知らなければ、文学少女という懐かしい言葉が当てはまりそうなその容姿。
昨日、一日に会わなかっただけなのに、酷く懐かしい気がして、思わずオレは笑ったのだと思う。
「主人がお待たせして、申し訳ありません」
オレよりも先に、ロメリアが頭を下げた。
「ロメリアは謝らなくて良いって言ってるのに。遅刻したのは私でしょう?」
本来、オレが謝る場面だ。
結果的に遅くなったのはオレのせいなのだから。
「主人の不作法は、使用人の過失です。貴女は黙っていてくださいませ」
ロメリアはそう言ってオレを睨む。
そうは言われても……、使用人の足を引っ張るのは、主人の過失だよな?
そんなオレたちのやり取りの何が面白いのか分からないが、黒髪の美少女ラシアレスはニコニコとしている。
外見は可愛い少女だが、中身はオレより年上の女だ。
ガキ扱いされているのかもしれない。
だが、その横にいるラシアレスより背の高い黒髪、黒い瞳の女は何かが気に食わないのか、オレたちを睨んでいる。
見たところ、彼女の世話役か。
表情が出やすい性格のようだ。
ツンデレメイドに人気があるのも分からなくもないが、オレはこちらの方が好きだな。
素直で分かりやすい方が現実でも良いと思う。
天邪鬼な人間は男女関係なく扱いづらいし、本当に面倒なんだよ。
まあ、ほとんどの女は素直じゃないけどな。
本音と建前が違うなんてよくある話だ。
「わたしの方は気にしていないので謝罪は不要です」
ラシアレスは微笑みを浮かべてそう言った。
傍にいる世話役の女の表情にも気付いているだろうけど、気にかけてもない。
「それより、アルズヴェール様。お誘い、いただきありがとうございます」
だが、オレに向けられた笑みは割と破壊力のあるものだった。
もともと好みの顔だ。
それがさらに自分に向けられた笑顔となれば、感情の補正も入り、後悔は倍増する。
我ながら、チョロいとは思うが、こればかりは感情……、いや、本能の問題だ。
笑顔は相手の警戒心を薄める効果がある。
それを計算していれば大した女だ。
いや、社会人なら笑顔が標準装備なのは当然なのか。
だが、ここで立ってにらみ合いをしていても仕方がない。
オレは目の前の女と交流がしたいのだ。
「ロメリア、場を外せる?」
そんなオレの言葉に……。
「お断りします」
世話役であるロメリアは当然のように断った。
まあ、そうだろう。
この部屋に来るまでの態度でそう言うとは思っていた。
「ロメリア……」
オレは分かりやすく大袈裟に溜息を吐く。
明確な意志表示は大事だ。
「昨日も言ったけど、ラシアレス様だけは信用できると言っているのに……」
ロメリアに言うと同時に、相手にも敵意をないことに伝えておく。
オレにとって、一番大事なのはそこだった。
いろいろな意味で、彼女を敵に回すことはできない。
ラシアレスはこの場所で唯一、オレの事情も分かっている人間だ。
この世界を救うための大事な「女」の身体に、「男」の意識。
これについては、誰にも知られない方が良い事実だってことはオレにだって分かっている。
特に他の「みこ」たちにバレるのは面倒そうだ。
このラシアレスに知られたのは偶然だった。
今となっては、それを幸いと思うしかないだろう。
「そこにいる分には構わないと思いますよ?」
だが、意外にもラシアレスはそう言った。
「ラシアレス様?」
ちょっと待て!
オレは、お前との会話中にぼろを出さない自信なんてないぞ。
皆無と言っても過言じゃない。
昨日、ロメリアとの会話中だって、何度もいつもの口調に戻りかけたのに。
「まずは、おかけになってください、アルズヴェール様」
ラシアレスは余裕の笑みを浮かべて、目の前の椅子に座るように促してきた。
どうやら、何か考えがあるらしい。
それなら素直に従ってやる。
「アイル。昨日のように紙と筆記具をお願い」
「準備しております」
そう言いながら、アイルと呼ばれた世話役の女が持っていたカバンから、ラシアレスに紙とインク、羽ペンを出した。
……やはり、この世界の筆記具は羽ペンなのか。
「ありがとう」
ラシアレスは世話役にしっかりと笑顔でお礼を言って、目の前の机の上に、手渡された紙を広げ始めた。
―――― ああ、やっぱり良いな
オレは素直にそう思った。
誰にでもお礼を言う。
それは本当に大事なことだと思う。
あの少女漫画の主人公もそんなところがあった。
どんな小さなことでも、お礼や謝罪を含めた挨拶は基本だと言うあの主人公の考え方にオレは共感したのだ。
確かに細かい挨拶を嫌う人間はいる。
謝り過ぎる人間とか、礼を言い過ぎる人間は信用できないと思ってしまう人間も。
だが、どうやらオレは、そんな人間たちと対照的に、小さなことでも気に掛ける人間が好きらしい。
そんなことを考えていると、ラシアレスが文字を紙の上に書き始めた。
使いにくいはずの羽ペンの動きが優美に見える。
現代日本人……だよな?
書かれている文字は日本語だ。
だが、その動きは羽ペンを使い慣れている人間の動きだと思った。
『どうせ、二人とも動いてくれないのだから筆談で良い? 彼女たちは日本語が読めないみたいだから』
そこに書かれた文字に目を奪われる。
漢字は綺麗なんだが、平仮名は妙に小さくて丸くて可愛らしい。
見た目には似合っているが、中身は年上の女だ。
意外にも丸くて可愛い文字を書くそのギャップは悪くない。
いやいや、そこじゃない。
内容だ、内容。
思わず、互いの世話役の顔を見た。
その二人は、ラシアレスの書いた文字をじっと見つめていたが……、ロメリアは少しだけ眉を顰め、アイルと呼ばれている女は分かりやすく溜息を吐いてくれた。
本当に読めないらしい。
『了解』
オレは手渡された羽ペンを使って、なんとか書く。
『よく気付いたな、こいつらが日本語を読めないって』
『偶然だよ』
偶然でも気付いただけ凄い。
オレはロメリアが日本語を読めないことなんて気付かなかったのだから。
昨日、目の前であれほど書いていたのにな。
だが、確かにあの少女漫画の世界に日本語の表記はなかった。
だから、主人公は移動するたびに新たな言語を学ぶことになって苦労するという描写があったはずだ。
アルファベットやそれを変化させたような……外国語ばかりの表記で、作者は世界各国の言葉を調べながら描いているのだろうなと思っていた。
だけど……、確かに日本語は特殊な言語だ。
中国の漢字から派生した文字とともに、古来より受け継がれていた言葉に次々現れる漢語や外来語が混ざり合い、進化し続け、まさにカオスな状態となっている言語。
そんな特殊な条件下で作られたような言葉が、偶然でも別の世界にできるとは確かに思えない。
だが……。
『どちらでも良い。会話方法としては面倒だけど、あまりこいつらにオレたちの話を聞かせたくもない』
これなら、後ろのヤツらを気にせず会話ができる。
視界からの情報であるため、何度も見直せてしまうから必要以上に会話を印象付けることもあるが、そんなものスマホのメールやSNSだって孕むリスクだ。
現代日本を逞しく生きているオレたちが今更気にすることでもないだろう。
『それで……、色々と、ゲームの内容をまとめてみたのだけど……』
そう言いながらラシアレスは、机の下に置いていたと思われる紙の束を取り出した。
この世界に本はあるようだが、記録を纏めるノートのようなものはないらしい。
『仕事、早いな』
オレは素直に感心する。
それを口にできたなら楽なのに、わざわざ紙に書く手間がもどかしい。
『早い方が良いでしょ?』
だが、どこか得意げな顔をしながらもそんなことを書くラシアレスは妙に可愛く見える。
これはこれでありかもしれない。
この丸い文字も、嫌いではないし。
『オレ、レポートもギリギリまでしない派だから』
それでも遅れたことはない。
『トラブルも考えられるから、早めにやった方が良いと思うよ?』
『それが正しいことは分かってるんだけどな』
できれば、面倒なことは先に延ばしたいのだ。
少しでも、延命措置を図りたいのは人間として当然だろう。
『ぶっちゃけ、めんどくさい』
オレが素直にそう書くと、ラシアレスは困ったようにその可愛らしい眉を下げたのだった。
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