火の神子は待ち合わせ場所に急ぐ
自分でもよく分からないこの世界に来て3日目。
やはり、元に戻れる様子はない。
そのことに溜息を吐く。
そんなオレは……何故か、世話係の女であるロメリアと朝から揉めていた。
「だから、一人で大丈夫だって!」
「いいえ。『神子』である貴女を一人で行動させるなんて許されません」
いや、正しくは揉めてはいない。
一方的にオレが突っかかっているのに対して、ロメリアは淡々と表情も変えずに答えているだけだった。
ロメリアは、昨日、他大陸の神子であるラシアレスに手紙を書く前から不機嫌オーラを醸し出していたのだ。
それは分かっていた。
女たちによくある「言わなくても気付け」、「無言でも分かるだろ?」、「気分を察しろ」という雰囲気も同時に漂わせていたから。
だが、言わなきゃ分かんねえからな?
大体、女たちはこちらの希望を分かっていても無視するのに、どうして、男だけ気付いてその要望を叶えてやらなきゃいけないんだ?
勝手じゃね?
無茶ぶりにも程がある。
そんなわけで、オレは気付いても無視した。
それもいけなかったらしい。
女ってやつは本当にめんどくさい。
そして、部屋から出る前に、書物庫と呼ばれている場所を確認しようとしたら……、こうなった。
オレ一人では行かせられないと。
だが、なんで、女と待ち合わせている場所に、別の女を連れて行かなければいけないんだ?
この身体も女だけどさ。
共に連れて行くのが、護衛なら分かる。
「みこ」に対する護衛なら、常に付きっ切りの行動も許そう。
この世界には世話役と護衛を兼任できる存在がいることも知っているが、このロメリアは護衛ではなく、ただの世話役のはずだ。
魔法が使える分だけ、オレよりもずっと強いかもしれないが、それでも護衛ではない以上、連れて行く理由が分からない。
「どうして、一人で行かせてくれない?」
「お一人で他大陸の人間に会うのは危険だからです」
危険?
あのラシアレスのどこが?
オレは黒髪、黒い瞳の女を思い出す。
どう見たって、男慣れしていない人畜無害の女にしか見えないのに?
「アルズヴェール様が何故、そこまであの『風の神子』様に心を許されるかは存じませんが、他大陸の人間は、信用がおけません」
そう言えば……、あの少女漫画の設定では、一般的にあまり他大陸との交流はしていなかったはずだ。
他大陸との交流を積極的に行うのは、商人とか、神格とかを上げるために聖地の巡礼をする神官とか、後は……、情報国家と呼ばれる国の人間たちだった。
主人公や護衛、その友人たちだって、好きで他大陸を渡っていたわけではない。
単純にその場所に長くいられなかっただけだ。
その時代よりもっと古い時代と推測されるこの世界では、あの少女漫画よりももっとずっと交流がなかったかもしれない。
どうする?
これまでの固定観念を崩すことは難しい。
それならば……。
「分かった。そこまで言うなら、ロメリアについてきてもらうことにする」
ここが妥協点だ。
この警戒心が強い世話役の前で、あのラシアレスと気の置けない話題はできないだろうけれど、それでも、会えないよりはマシだ。
今のオレには情報と癒しが足りない。
それに、元の世界への想いも当然ながらある。
還る方法を探したいと思うわけではないが、それでも、忘れたいわけではないのだ。
オレの言葉に対して、ロメリアはそれ以上何も言うことなく、無言のまま一礼した。
両腕を胸の前で交差し、それぞれの二の腕に手のひらを当てての礼は、「火の大陸」の最敬礼だ。
本当は「他大陸のみこ」に会うのことも許し難いのだろうが、彼女もこれ以上の問答を避けて譲歩してくれたらしい。
そのことにほっとする。
「少し、遅れてしまったかな」
オレは特に会う時間の指定をしなかったのだが、ラシアレスの方からの返答に時間の指定があったのだ。
朝の行動開始としてはそこまで早くもない手頃な時間だった。
「申し訳ございません」
「この場合、別にロメリアは全然悪くない」
事前にもっと話しておけば良かっただけの話だ。
具体的には、昨日、ラシアレスから返答があった時点で、ロメリアにちゃんと話を通すべきだった。
よく考えなくても、オレは、自分で「書物庫」と待ち合わせ場所を指定しておきながら、その位置も全く知らなかったのだから、誰かの案内無しでいけるはずもない。
「ですが……」
尚も反論しようとするので……、
「悪いと思うなら、早く案内して欲しい」
「分かりました」
オレは、ロメリアを急かしながら、「書物庫」へと向かうことにした。
女という生き物は長く待たせると、後が怖いことをオレはよく知っている。
その場で苛立ちをぶつけただけでは足りないらしく、こちらが忘れた頃に、思い出したかのようにネチネチと言われるのだ。
あれは、世に言うマウントをとるというやつなのだろう。
オレを先導してくれるロメリアは小走りではなく、間違いなく早歩きをしている。
あの足の動かし方は、「走る」じゃなくて「歩く」だ。
でも、かなり速い。
恐らく、自転車を軽くこぐぐらいの速さは出ているんじゃないかってぐらい速い。
これは、まさか「身体強化魔法」ってやつか?
そして、それを追いかける形となっているオレは……、見事なまでに走っていた。
それはもう、この身体にとっての全力で。
誰がどう見たって早歩きではなく、疾走しているという表現があっている。
いや、これ、無理だろ。
この速さで歩くって、人間技じゃねえ!!
元の身体でも、追い付くのが大変だってぐらいとんでもない速さだぞ?
そして、オレたちは大きな扉の前に立った。
恐らく、ここがその書物庫という場所なのだろう。
激しい動悸の胸を押さえ、弾んでいる軽く息を整えるが、流れ落ちてくる汗は誤魔化せない。
なんとなくいつもの調子で流れてくる汗を手で汗を拭うと、ロメリアが分かりやすくその顔を歪めた。
……ああ、これは女としては良くない行為なのか。
なんとなく察する。
だが、この場にタオルがないんだから仕方なくないか?
対するロメリアは汗どころか、息も乱していなかった。
ロメリア……、恐ろしい子……。
いや、年齢的にはもう「子」じゃなさそうだって分かっているけど。
「何か?」
ロメリアはその顔から表情をなくして、オレに確認する。
それは、音にしてたった三音。
漢字変換して、疑問符を含めても僅か三文字の言葉に全てが凝縮されたような問いかけだった。
「ロメリアは凄いね」
オレが素直にそう言うと、無表情だった顔の……形の良い眉を顰められた。
「アルズヴェール様が、何をもって私を『凄い』とおっしゃられたのか、分かりかねます」
「え? 十分、凄いよ? ワタシにはさっきの速さで歩くなんて無理だから」
オレがそう言うと……、ロメリアは何故か目を見開き、手で自分の口を押えた。
「速かった……ですか?」
さらに恐る恐るそう問われたので……。
「うん。全力疾走しなければ追い付けなかった」
オレは頷きながらそう答える。
「申し訳ございません」
そして、何故か謝られた。
「少しでも指定されたお時間に間に合うようにと……」
「うん。助かった」
体感だけど、時間は多分、ギリギリだ。
この場所には思ったよりも距離があったから、確かにあの速度で走らなければ、遅刻は避けられなかっただろう。
「次は時間に余裕を持って行動しないといけないね」
今回は、オレのミスだった。
それを埋め合わせるためにロメリアは、「競歩」の選手になれそうなほどの早歩きを披露してくれたのだ。
オレの答えを聞いて、ロメリアは、一瞬だけ目を伏せ……、そして、顔を上げる。
「はい。私も次は、気を付けます」
そんな心強い言葉を口にしながら。
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