落ちてしまえば
「どういうおつもりですか?」
部屋を出るなり、ラシアレスは、肩に置いたオレの手を払いながら、そう確認した。
強い意思の籠った瞳にオレの目が引き付けられる。
彼女の問いかけは、この行動の真意について……、だろう。
確かにオレが彼女に構う理由などないように見えるはずだ。
オレからすれば、放っておけないだけなのだが。
「分からないか?」
「分からないから聞いています」
「あの女は信用できない」
オレがはっきりと言いきれば、ラシアレスの瞳に戸惑いが浮かぶ。
「親切な方だったでしょう?」
少し迷って、彼女はそう口にした。
「それを本気で言っているなら、あんたは『ラシアレス』以下だよ」
本気であの女を「親切」だと言っているはずがない。
オレが感じた以上の不信感を、恐らく彼女は感じたことだろう。
男のオレが気付くのだ。
同じ女である彼女が気付かないはずがない。
オレと一対一で話していた時よりも、シルヴィクルに対して、明らかに警戒しているようにも見えたことからも、そう思えた。
「気に障ったら、すまんが、オレが知る『ラシアレス』は、のんびりマイペースに見えて、その場の敵意にはかなり敏感だったんだよ」
乙女ゲームの「ラシアレス」のことなんか知らない。
オレが知っている「ラシアレス」は、あの少女漫画の主人公だ。
強くてどこまでも真っすぐで、アホが付くぐらい優しい「聖女」。
だけど、自分に害意を加えようとする人間に対しては、眠っていても反応するほどの厳しさもあった。
寧ろ、眠っている時の方が、凶悪なほど、警戒意識は高かった気もする。
「わたしは現実の人間が憑依しているので、貴女の理想に添えず、申し訳ございません」
ああ、そういえば、そのラシアレスが「理想の女」だと口にしたな。
そんな細かい言葉までよく覚えているもんだ。
固い口調で事務的な返答をしながら謝罪する姿は、先ほど、シルヴィクルに向けていた態度とは違い過ぎた。
現時点ではどちらが本当の姿かは分からない。
だが……、中身が男と分かっているオレに対して、媚びを売る気配が一切ない点は、かなり好感を持つことができた。
「やっぱり、あんたは信用できそうだ」
オレは素直にそう口にする。
先に出会って、会話をしていたこともあるだろう。
だが、それを差し引いても、あの女どもの中では、一番、まともな思考ができている気がした。
「はい?」
目を丸くして返答するラシアレス。
中身は年上であることは間違いないが、入っている器が幼い見た目のために、年下な気がしてくる。
彼女を引き入れたい理由としては、会話ができることにある。
自分の言い分だけで、相手の話を聞かないのは論外だし、相手の言葉に流されて、自分の意見を言わないのも問題だ。
そして、オレが理解できそうな思考。
他人だから完全に分かり合うことは不可能だが、それでも、仲間にするなら思考がぶっ飛んだ人間ではない方が良い。
多少の駆け引きはするようだが、人を陥れることを得意なタイプではなさそうだ。
オレだけでなく、彼女にも利点がある。
ゲームの方はやっていても、あの少女漫画を読んでいないため、その根幹にある基本的な設定を知らないだろう。
それに、別の視点から考えられる。
彼女は思い込んだら、視野狭窄に陥る印象があった。
性格も、少し見ただけの判断だが、悪くはない。
真面目だが、他者に甘い。
それなのに、自分は大丈夫だと虚勢を張る。
総合的に見て、放っておけない危なっかしい女。
以上のことから、ゲームの方を全く知らないこのオレが、手を組む相手として選ぶなら、この女しかいないと判断する。
「オレと組まないか?」
「はい!?」
再び、驚きを返すラシアレス。
なんで、シルヴィクルの時よりも驚いているんだ?
本当に、あの女の方が信用はおけるとでも?
「えっと……、ごめんなさい?」
暫く経って、その桜色の唇から零れた言葉は、迷いながらのお断りだった。
「なんで、オレが振られたみたいになってんだよ? もっと別の単語を使え」
迷った割に、あまりにも容赦もなくて、胸が痛い。
「御断りの定番でしょう? 『ごめんなさい』って」
本当に断りたい気持ちに変わりはないようだ。
軽く言われているけど、オレには結構なダメージだった。
「マジか~。結構、本気でアテにしてたんだけど……」
「当てに……ですか?」
そこには純粋な疑問の言葉。
「他の女は使えねえ。歩み寄りの姿勢を見せた女は信用できん。だけど、オレは元になったゲームを知らないんだよ」
どうせ、断られることが分かっているのだから、誤魔化しもせずに彼女を選んだ理由を口にする。
「今からでもあの姐さんに頭を下げればよろしいのでは?」
「いや、オレは、あの女は好きじゃない」
信用できん上に、好きになれないならどうすることもできないよな。
「わたしのことは好きなのですか?」
「おお」
少なくとも嫌いじゃない。
嫌いになれないタイプだ。
明らかに面倒そうな女だと思うのに、何故か、逆に構いたくなってしまう。
「『ラシアレス』の顔は好きだ」
それも事実だ。
あの少女漫画の主人公によく似ていることもあるが、先ほどからその黒い瞳に目が離せない。
「顔かよ」
彼女の口からは、先ほどまでの敬語が綺麗さっぱり抜け落ちていた。
しかも、オレと最初に会話した時とも違う口調。
思わず口元がにやけた。
「……それが、素か? 『ラシアレス』」
頑なな仮面をはぎ取ったことが嬉しい。
「これが素だよ、『アルズヴェール』」
隠しもせずに、彼女は続けた。
そこには、先ほどまでの澄ました言葉遣いもない。
「思ったより、あっさり本性を暴露したな」
真面目な人間が本当に真面目とは限らない。
社会で生きていくためには、猫の皮を数枚被る必要がある人間もいるのだ。
「無駄なことはしたくないんだよ。どうせ、遠からずバレるなら、さっさとバラした方が、わたしも疲れないから」
開き直ったのか、さらりと言う。
「潔い理由だな」
「まあね」
「そっちの方が良い」
その辺りも実に、オレの好みだ。
中身は全く違うはずなのに、あの「ラシアレス」によく似ている気がした。
「……なんで、そんなに懐いた?」
「なつっ!? 人を犬猫みたいに言うなよ」
素のラシアレスはなかなか言葉がきつい。
「ああ、ごめん。言葉が過ぎた」
自分でもそう思うのか、素直に謝ってくれた。
「どうせなら、仲良くした方が良いじゃん。好みの顔なら」
いや、顔より中身だな。
先ほどから話していても、この女のことは嫌いじゃない。
こんな面白い女を嫌うのは難しいな。
会話をしていて退屈しないし、変に取り繕う必要もない。
「中身が25歳で別人だけど?」
「中身が25歳で別人でも。外見は15歳の可愛い少女なら、問題ないだろ?」
警戒心は強いようだ。隙あらば、牽制してくる。
分かりやすいその言葉の割に、当人に隙が多く見えるのは、男に慣れていないってことだな。
「それで、キスされた身としては、警戒心バリバリな理由も分かっていただけないかな?」
「あっ!」
分かりやすく言葉で突き刺しにきた。
「ああ、うん」
なるほど……。
あのシルヴィクルより警戒されている理由がよく分かった。
「でも、25歳ならキスぐらい初めてってわけでもないだろう?」
いくら、男に慣れてなくても、25年も生きているんだ。
どんなに縁がなくたって、一度くらい経験はあるだろう?
「初めてでしたが、何か?」
満面の笑みでそう返答された。
「は!?」
初めて……だと?
25歳にもなって、そんな人間がいるのか!?
「良い年して、乙女ゲームを嗜む程度の女性ですもの。彼氏などいたことがあると思いますか?」
「マジか? そりゃ、悪かった」
それは、流石に悪いことをした。
確かに根に持つほど恨まれても仕方がない。
女の全てがそうだとは言わないが、いろいろな「初めて」を大事にする傾向にある人間は少なくない。
「でも、ノーカンだよな?」
この様子だとそんな言い訳をしたところで、逃げることなどできないだろう。
それでも、僅かな可能性に賭けてみた。
「しっかり、カウントされとるわ!!」
案の定、許されなかったらしく、しっかり叫ばれた。
でも、何故だろうな?
力の限り怒鳴られているのに、今までの女ほど怖くないんだ。
ラシアレスの顔が真っ赤に染まっているせいかもしれん。
それに、妙に嬉しいんだ。
先ほどまで澄ましていた顔が羞恥に染まっている。
オレにこんな趣味があったなんて思いもしなかったのだけど、もっといろいろな顔を見たくなった。
この豊かな表情が、オレによって変わる姿をもっと近くで見たいと思ってしまった。
落ちてしまえば、早いもの。
オレは、単純な生き物なのだ。
だけど、見た目から入るだけの一目惚れよりは、ずっと信憑性があるだろ?
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