2*
あの告白から1週間が経った。
櫻井とはあれから話していない。
私が彼の姿を見かけるたびに無意識に逃げ隠れしてしまうこともあるけど、あっちもわざわざ私に話しかけようとはしてこない。まるで、何もなかったかのように。
唯の言ってしまったことは仕方なかったと思う。
寧ろ、今まで私のせいで面倒な受け答えをさせてしまって申し訳なかった。
ただこのタイミングで相手が悪いだろうと、心の中で全力で叫ばせてもらいたい。
もしかして、櫻井は唯の話をどこからか聞いたからあんなことを言ったのかな。
憶測でしかないが、私の頭の中は悔しいほどに彼のことでいっぱいで眠れない夜を過ごしている。
「なっちゃん……」
元気のない声で唯が私を呼び、部活に誘ってくる。彼女の様子を見ると、どうやら私以上に落ち込んでいるようだ。
唯は以前、自分の好きな人の話を友達にして噂が広まってしまい、傷ついた経験があると言っていた。
その友達と同じことをしてしまった彼女は、後悔の嵐真っ只中にいる。
私からしたら同じだとは思わないが……。
確かに少しは気になっていたけれど好きってほどではないし、大体の人は櫻井の名を上げれば身を引くと私も考えると思う。
「私、そこまで気にしてないよ? さぁ行こうか」
そう言って笑いかけると、唯は一瞬躊躇した後で、おずおずと口を開く。
「うん。あと伝言があるんだけど、櫻井くんから……」
唯が気まずそうな顔をして言う。
「何?」
「『この前のことは気にしないでくれ』って」
気にしないでって何だそれ。
こんなに悩ませといて、しかも人伝にって……。
考えれば考えるほどジワジワと怒りが込み上げてくる。
「唯、私今日は部活サボるわ!」
「うん……。は?」
「あと、よろしく! これでチャラね」
「えっ、なっちゃん!?」
唯が目をパチクリさせながら私の急な言動についていけずにいる。その様子に少し胸が痛んだけど、何だかんだ上手くやってくれる彼女に部活を頼み、勢いよく教室を飛び出した。
―――――
櫻井はすぐに見つかった。
部活を引退した彼は、佐々木と教室に残って話をしている。私が近づいていくと、2人は驚いた顔をしたが、佐々木はすぐに状況を察し、何も言わずに教室を出て行った。
「……ねぇ、一緒に帰らない?」
いつ人が来てもおかしくない状況の中で話すことではないので、櫻井を誘うと彼は何も言わずゆっくり頷いてくれた。
…
…
…
まずい。
一緒に帰ろうと誘ったくせに、どう話を進めて良いか分からずお互い無言のまま家に着いてしまった。
櫻井もいつもと様子が違って大人しいし、調子が狂う。
わざわざ唯に部活を押し付けて来たのに、ただ一緒に帰りましたじゃ駄目だ。
男の子と付き合ったことも、まともに話したことがない私はこういう時どうしたら正解なのか分からない。
漫画やドラマだと、いつも男の子がきっかけをくれるから。
「きっかけ……。そっか」
そうだ。
櫻井はあと時、ちゃんときっかけを作ってくれた。
それを素直に受け取らなかったのは私の方だ。
恥ずかしくて逃げて、はぐらかして最低だった。
「……島野?」
櫻井が不安そうに私を見つめている。気がつけば涙がこぼれていた。
彼が慌ててハンカチを取り出して涙を拭いてくれる。
「来て」
私の手を優しく取り歩き出す。
抵抗する力もなく、素直に彼に着いていくことにした。
「ちょっと汚いけど……」
櫻井は道路を渡ってすぐにある彼の自宅に向かった。
家の人は仕事が遅いそうで、今は誰もいないと言うので上がらせてもらうことにした。
「お邪魔します」
部屋に漂う彼の匂いに、急に意識が集中してしまう。なんだか不思議な感覚。
手持ち無沙汰で落ち着かないでいると、彼が飲み物を持ってきてくれた。
「ごめん」
無言が続くかと思った時、櫻井が口を開いてくれて、少しほっとする。
お互いの目が合うが、どこかぎこちない。
「えっと……」
「島野を困らせてごめん」
「こ、困ってないよ」
「でも寝てないだろ? 俺のせいで」
何で知ってるんだ。
唯が佐々木に言った?
「健太も山田も何も言ってない! 見てたから、ずっと……」
私の心の声が聞こえたのか、櫻井は慌てて話し出す。
「俺、馬鹿でさ。島野が俺のことを好きって噂を聞いて調子に乗った」
やっぱり、唯の言ったことは櫻井の耳まで届いていた。
たった1人に言ったことが本人の元まで行くということは、もしかしてほどんどの人が知っている?
「この前、山田から聞いた。あの噂は嘘だって……」
「……うん」
「他の奴らは信じてたけど、俺は分かってた」
「え?」
「でも少しだけ期待したんだ。島野が俺に笑うから」
「私だって笑うし」
「誰にでもじゃないだろ?」
自分でも分かってる。
すぐに人と壁を作ってしまうのは私の悪いくせ。
でも櫻井は唯の彼氏の友達だから、どこか親近感があって……。
いや違う。
多分もっと前、きっと中学の時からあんな明るい人と友達になれたら楽しそうだなって憧れてた。
だから1人で帰っていたあの日、話しかけてくれて嬉しかったんだ。
「な、気にしないでって言ったの撤回して良い?」
「撤回?」
気づくと、櫻井の手が私の手に重なっていた。彼を見上げると、顔が真っ赤になっていて、私もつられて顔が熱くなる。
「やっぱダメ、無理。色々言ったけど、正直まだ期待してる」
重なる手が少し汗ばんでいて、彼の緊張が伝わってくる。
向けられる熱い視線に耐え切れず、櫻井の瞳から視線を外す。
「島野、好きだ。俺と付き合って欲しい」
櫻井の手に力が入り、強く握られた手が痛い。
それよりも心臓の方が何倍も痛くて、どうしようもなく、心がいっぱいになる。
こんなにドキドキしたのも、告白されてずっと悩んでいたのだって初めてで。
櫻井が好きだって、全身で自分に訴えていたことにやっと気付いた。
言葉で返すのは恥ずかしくて、代わりに小さく頷いて見せる。
「島野、言って?」
「無理っ!」
「聞きたい」
私の精一杯の相槌に満足いただけないようで、櫻井は耳元で甘い声で囁く。
「櫻井が、す、好き……っ!」
言葉を絞り出すように告げた瞬間、櫻井の唇が私の唇に重なった。
初めてのキスは、想像していたよりも少し荒々しくて、でも不思議と安心感があった。彼の手が私の背中に回り、ぐっと抱き寄せられる。
胸の鼓動が彼にも伝わってしまうんじゃないかと思うほど速くなる。
「奈津美、好き」
急に名前を呼ぶなんて反則だ。
さっきから心臓がうるさくて、上手く考えられない。
「そんな顔されたら、我慢できなくなるよ」
彼の顔がまた近づいてくる。その視線は熱く、私をじっと捉えて離さない。
唇が再び重なろうとした瞬間、私は思わず両手で彼の口を塞いだ。
「も、もう、無理っ!」
「残念」
櫻井は少しおどけたように言いながら、私の手をそっと下ろし、ゆっくりと体を離す。
そして、私を優しく抱き寄せたまま、頭をぽんぽんと撫でた。
「なぁ。俺がずっと前から島野のこと好きって言ったら信じる?」
「前から?」
「そう。島野さ、前に俺が小さい頃よくお前んちの前通ってたって言ってたじゃん?」
「うん、よく見かけた。挨拶もしたよね?」
「あの頃から好きだった」
櫻井の言葉に戸惑う。
心のどこかで信じたい自分がいるが、疑いの眼差しで彼を見ていた時だった。
バンッ!!
部屋の扉が勢い良く開くと、櫻井をちょっぴり大人にした同じ顔の男性が軽快に入ってきた。
「健太! ゲームかして……、くれ?」
抱き合う私達を見て、男性は何事もなかったかのようにそっと扉を閉じようとする。
ふと、櫻井にそっくりな瞳と視線が重なると思い切り指をさされた。
「おい! やったな弟よ。愛しの奈津美ちゃんじゃないか。おめでとさん、じゃな!」
櫻井を弟と呼ぶ男性は高らかに笑うと、すぐさまドアを閉めまた来ることはなかった。
あともう少し