動乱群像録 78
「御大将……どないしはりました?」
明石はじっと碁盤を覗き込んで動かない上官赤松忠満を見つめてそう言っていた。あまり上下の隔てを面白く思わない西園寺派の将校らしく、赤松も時間ができるとこうして艦内を見て周ることが多かった。そして碁の腕前が同じくらいの明石とはこうして囲碁を楽しむこともあった。
「ああ、あかんな……気になることは色々あるけど……なあ」
「貴子様のこととかですか?」
隣で観戦していた楓の言葉に思わず頭を掻くのがいかにも赤松らしかった。緻密な戦況分析で艦を動かして輸送艦隊を逃がすことを得意とした猛将のもう一つの顔、恐妻家としての赤松がそこにいた。
「通信ですよ」
帽子と共に置いた端末が震えているのを楓が指差す。赤松は碁盤を見つめたままそのスイッチを入れた。
「司令……帝都から通信ですが」
「帝都?もう清原はんが制圧しとるやろ?どこのアホが……」
「言いにくいのですが奥様からです」
通信兵の言葉に思わず顔をしかめる赤松。仕方なく明石は碁盤を横にずらした。
『あなた。その様子だと遊んでいましたね』
冷たい氷のような表情に赤松は思わず苦笑した。その様子はあまりに滑稽で明石も楓も静かに上官の観察を始めることにした。
「これも仕事のうちや。部下の気持ちも分からん指揮官についてく兵隊なんぞどこにもおらんわ」
『言い訳はそれくらいにして……恭子さんがまた倒れたそうですわ』
貴子の一言に赤松の表情が揺らぐ。緻密な計算機のような戦術家の突然の豹変に明石は少しばかり驚きを覚えた。安東恭子。赤松の妹であり、先の大戦で兄二人と母を失った赤松の唯一の親類なのは艦隊でも有名な話だった。
「そうか……ありがとうな」
「何かあったらまた連絡させてもらうわね」
「ええて……アイツも武家の娘や。自分のことは自分でするもんや」
そう言いつつ赤松の表情はこわばっているのを明石は見逃さなかった。
『それではこれから要さんが西園寺卿を迎えに行くそうなので切りますわ』
「ああ……」
表情を変えずに戦地に赴く夫の通信を切る貴子。明石は静かに碁石をつかんでいる赤松に目をやった。