動乱群像録 77
「ワシ、明日貴子さんと入籍すんねん」
突然の言葉に安東はソファーから滑り落ちた。貴子、それが自分の姉のことであることは間違いなかった。三人兄弟の末っ子で要領のいい赤松が色々家に来ては勝手口で姉と話しているのは見かけていたがそんな話は姉から聞いていなかった。
「なんだよそれ!俺達が馬鹿だったみたいじゃないか!」
「結果的にはそやな」
赤松の超然とした態度に呆然とさせられたその瞬間。だが今の安東の立場はそんなコメディーを思い出して微笑むくらいのことしかできない状況だった。赤松は国賊と恩人達が言う西園寺基義の右腕。そして自分は清原卿の決起に一枚噛んでこうして自宅に戻ってきたところだった。そしてその自宅には不治の病に心を蝕まれた妻。
「じゃあいい、そのまま聞いてくれ」
ふすまを閉ざす恭子にゆっくりと安東は話しかけた。
「現在、俺は烏丸公の一派として決起軍の一人となった……これも恩を返さなければならないからだ。烏丸公や清原さんには軍への復帰に関して大きな恩を買った俺だ。断ることなんてできない」
そこまで言ったところで恭子はふすまから手を離したようでカタリと言うふすまが動く音がした。ここで飛び込めば妻の心は傷つくとそのまま安東は言葉を続ける。
「つまり君の兄である忠満とは敵味方に分かれると言うことだ。あいつも今じゃあ第三艦隊の司令だ。その任務を放棄することも無いだろうし主君である西園寺公を裏切るような男じゃないことは君も知っているはずだ」
「だから……なんですか?」
冷たいかすれた声が安東の耳に届いた。
「兄が敵に回るのは分かっています。子供じゃないんですから。私だって烏丸公と西園寺公が対立していることやあなたが清原准将に恩があることは知っています」
声は震えていた。怒りか、悲しみか。安東はただ頭を垂れて恭子が落ち着くのを待つことにした。
「あなたはいいですよね。自分が信じているように動けばいいだけですから。たとえ烏丸公が負けても義に殉じたといえば済む話ですから。でも私は……」
言葉が途切れた。安東は何もいえなかった。暗い庭の静寂に耐えながら安東は静かに妻のいる部屋のふすまを見つめていた。