動乱群像録 76
そのまま駆け出した安東。だが閉め切られたふすまを見てその手は戸から離れていた。
「おかえりなさい……」
ようやく搾り出したと言うような恭子の声に静かに頷く安東。何も言えずにただ日暮れの庭にたたずむ。
「調子はどうなんだ?」
「悪くは無いです」
扉の裏に張り付いて開かないように踏ん張っている恭子のことを思うと安東は胸が締め付けられる気持ちになった。始めは二人はこうではなかったはずだ。安東はそう思い返してみる。
高等予科で将来の士官として過ごしていたとき。喧嘩ばかりの彼の日常に西園寺家の三男の西園寺新三郎、その学友として付いて回る赤松忠満、そしてなぜか馬が合って共にすごしていた濃州候の時期当主である斎藤一学。陸軍予科などの不良と悶着を起こして怒鳴られるのは赤松と安東。二人は自然とお互いの家に入り浸るようになった。そんな中で次第にお互いの姉と妹に引かれていったのは不思議なことだった。
「実はな……」
ようやく士官学校に進むという日、赤松家の洋風のリビングで寝転んで漫画を読んでいた安東に正座をしている赤松の姿を見つけてめんどくさそうに安東は起き上がった。
「恭子がな……貴様のことを好きなんやて」
赤松の言いにくそうな表情の後ろの扉にじっと張り付いている恭子。赤松の知らない話だったが当時すでに恭子と安東は付き合っていた。
「で?」
真剣な赤松の表情が面白くて安東は漫画を脇においてソファーの上から見下ろすように土下座する親友の姿を見下ろしていた。
「別に……そんな、特にお願いは無いんやけど」
「そうか、なら野暮なことは辞めとけ」
そう言いながら静かに扉の隙間から笑みを浮かべている恭子と笑っていた。
「いや、ワシも言わなアカンことがあってな」
「ほう、聞こうじゃねえか」
うつむいたままじっとしている赤松。その姿を余裕を持って見つめていた安東だが次の赤松の一言に思わずソファーから転げ落ちそうになった。