動乱群像録 7
「なんや、また下っ端か?」
椅子にどっかりと腰を下ろしてそう言って笑いかける明石に余裕の表情を見せる別所。だが、すぐにその顔は厳しいものとなった。
「そう言うなよ。現在お前さんの階級も大尉へ昇格するように上申してやったんだ。それに今度発足する部隊は赤松の御大将の直参になる部隊だからな」
別所の言葉に明石はようやくこの異動の裏にある政治的な意味に気づいた。
遼南内戦が結果的にはムジャンタ王朝の復活と言う結末を迎えた遼州系。そんな中でこの一月で胡州の株式市場は大暴落を開始していた。予定では来月にも凍結を解除すると地球諸国が公言していた胡州の在地球凍結資産。それに対して遼南の安定が実現した今、アメリカをはじめとする地球諸国は民主化が進んでいないとして首脳の非公式な見解として無期延期を示唆する発言が続いていた。そして現在の保守的な烏丸政権と対立して比較的地球に対しては穏健な姿勢をとっている西園寺基義が外務省批判の論文を発表したのは昨日の朝刊だった。
「軍事行動は政治の一活動に過ぎないと言うたのは『戦争論』を書いたクラウゼビッツと言うプロシアの参謀だが、ほんまやのう」
そう言って明石は書庫を眺める。元々インド哲学を専攻して僧侶になることが自分の一生だと思っていた明石は好んで哲学書や古典を読む習慣のある男だった。並んでいる本も実用書や小説よりも哲学書が多くを占めている。
「さすが帝大……プロシアなんて言葉は俺からは出てこないわ」
「『帝大』『帝大』って……魚住。ワレは同じことしか言えんのか?」
酒を煽って上機嫌な魚住ににらみを効かせる明石。だが、別所は冷静に明石を見つめていた。
「そうだな。赤松准将の直属になると言うことはひいては西園寺公のシンパになると言うことだ」
「これも西園寺卿が主張しているところの貴族制の弊害と言うやっちゃな」
別所の言葉に少し意地悪く答えた明石だが、別所はそれを否定するつもりは毛頭ないように見えた。
「しばらくは帝都勤務になる。当然陸軍の連中と街で出会うわけだ」
ほのめかすように話す別所。だが、陸軍と言う言葉だけで事足りた。陸軍は戦争中には過激分子が西園寺家に対してテロを行うなど西園寺家、そしてその被官である赤松家にとっては宿敵とも言える関係にあった。現在では四大公家の嵯峨家を西園寺基義の弟嵯峨惟基が継いでおり、その腹心である醍醐文隆少将が西園寺卿と懇意と言うことで過激派を押さえ込んではいるが、海軍と陸軍の間の怨恨が消えたわけでは無かった。
「ワシはそれほど手は早くないで。闇屋の掟は喧嘩はできるだけ避けるのが決まりや」
そう言って笑う明石。だが別所は笑う様子は無かった。
「タコ。まあコイツは御大将のお気に入りだからな気になることが多いんだろうよ」
「魚住、タコってワシのことか?」
にらみつければ魚住は笑いながら酒を煽る。黒田ははらはらしながら二人を見つめている。
「なあに、帝都に行けばわかるさ。今のこの国がどういう状況なのかな」
そう言って静かにコップ酒を煽る別所に明石は一抹の不安を覚えた。