動乱群像録 38
「政治は一握りの貴族のための物ではない。それは親父の口癖でしょ?」
そう言って嵯峨は酒をあおる。その姿を見ながら西園寺も徳利の酒を注いだ。
「つまらない正論に何が出来る」
西園寺の口元が笑みでゆがむ。目の前の弟もただ闇に沈んだ庭に目をやるだけだった。
「東和の支援を餌に民衆を動かしたらどうなります?」
そう言う弟。だが、それはすでに西園寺の考えの中にあるプランの一つだった。現在の首相に過激な反貴族制論議の喚起を叫ぶ波多野秀基をすえたのもそれを見込んでのことだった。実際東和の動きは早く、外務大臣が就任式典を理由に訪問、実務者の往来は烏丸前首相のときの数倍のペースとなっている。それ以上にアステロイドベルトの開発を進める合意もとりつけてあった。
「甘いな」
「そうです。実に甘い」
弟のその一言に西園寺の顔がゆがんだ。
「兄上にはその後の立場の保障は無い。留守にはねっかえりが事を起こせば立場は一変、完全に悪者で通用するようになる。もうこの屋敷にも戻れなくなる」
平然とそう言ってグラスを干す嵯峨。そしてその瞳に浮かんでいるのは兄にも見通せぬ闇のようなものだった。
「このまま残って乱を待つか、どう出るか分からない賭けに出るか。俺が決めることじゃない。ただどちらにしろ育ててくれた胡州に不利益になることをするつもりはありませんよ」
そう言った弟の目に生気が無いのを見て、西園寺は黙り込んだ。
「それなら俺は乱を選ぶしかないだろうな」
「そうですよね」
あっさりと肯定する嵯峨。
その時ふすまの外に人の気配を感じた西園寺は立ち上がった。
「新ちゃん」
開いたふすまから西園寺の妻康子が顔を出す。
「ああ、お姉さま」
それまでの余裕を失い口を引きつらせる弟に西園寺は笑いをこらえるのに必死だった。
「新ちゃんはこの家が滅びても良いという考えなわけね」
そう言って静かに弟ににじり寄る妻を西園寺は見物することに決めた。
「そう言うわけじゃないですけど……」
「嘘!新ちゃんは遼南皇帝でしょ?なら勅書を出してこの対立を収めることくらい出来るはずでしょ?」
そう言ってさらににじり寄る姉に身を固めて動けない弟。貧弱な幼帝だった彼に武術を教え、剣を研がせた師である姉が最大の天敵であることを知っている西園寺にはこれからの行動が見えてついには噴出していた。
「康子さん。あまりいじめないでくださいよ。コイツも事情があるんだ。なあ」
兄の言葉にようやく我に返った嵯峨は静かに身ずまいを整える。
「そうね、じゃあこれだけは約束して頂戴ね」
そう言って康子は振り向いた。そこには陸軍士官学校の制服を着た娘の要が立っていた。
「要ちゃんに恥ずかしくない胡州を作ること。それだけは約束してね」
姉ににらみつけられる嵯峨。彼には頷く以外の道は残されていなかった。