動乱群像録 34
「待て!」
立ち上がろうとする西園寺を烏丸は呼び止めた。明らかに不愉快そうな顔の西園寺を見上げる烏丸。
「その人事案、決定ではない訳だな?」
搾り出すような烏丸の声に安東は彼の敗北感を感じていた。
「当然ですよ。私の狭い知識を絞って出てきた人材ですが、より適任な人がいるならお知恵を拝借したいと言うのが私の立場です」
そう言って再び西園寺は腰を下ろした。そしてその時ふすまが開いた。
「あのう……」
中を覗き込むのはこの館の当主、正親町三条楓だった。
「おう、茶でもいれてくれるかな。それほど時間はとらせないよ」
姪に優しげに微笑んだ後、西園寺は烏丸の前に閣僚名簿を置いた。
「波多野さんがだめと言うことですか……他にもどれが気に入りませんか?」
閉められたふすまに消える姪を見送った西園寺はそのままどっかりと腰をすえて烏丸と清原をにらみつけた。
「陸軍大臣。醍醐君はまだ経験不足だと……」
烏丸の言葉を聞くとすぐさま背広の内ポケットから蛍光ペンを取り出して×をつける西園寺。
「じゃあ他には?」
まるで子供が自分のテストの採点をするような表情で烏丸を見つめる西園寺。
「そんなすぐに結論が……」
清原の声に場が凍りついた。
「なるほど、即決は出来ないと……あなた達も支持する人達のところで話し合いをしたいのでしょう。よろしい、このリストはお持ち帰りください。なんなら端末に送りますけど?」
にやりと笑みを浮かべる西園寺に烏丸は視線を落とす。
「ほう、話せばわかるということだな。結構!」
ひざを叩く保科。だが一人安東だけは納得がいかないような顔をしていた。それを見抜くと赤松はふすまの外の気配を見抜く。
「楓!」
赤松の声に手に盆を持った女中と海軍下士官の正装をした楓がふすまを開いて入ってくる。
「とりあえずこれで一つ山を越えたわけだ」
そう言う保科老人に部屋の中の人々は彼の意思がすでにかつてのカリスマとしての機能を果たさなくなっていることに気づき、この会談が遠からず無意味だったことになることを感じながら苦い茶を啜ることになった。