動乱群像録 15
「なんでこんな老人にこれほどの若い将来ある人達から声がかかるのかは分からないが、とりあえず私の発言には期待しないで欲しい。今の胡州の窮状は私が何かを言って変わる状況じゃないんだ」
そう言い切って保科は聴衆である青年士官達を見回した。前列を占める西園寺派の将校は頷き、後ろに立ち並ぶ烏丸派の将校は言葉を飲み込む。
「だが、諸君等に希望を託す者として正直この海軍の状況は情けないものだと言わせてもらおう。国の存亡にかかわる状況で派閥争いにうつつを抜かす輩がこうして若者を先導すると言うのは非常に嘆かわしいものだ」
「そうだ!」
立見席から声が飛んだ、すぐに前列からはその声に向けて野次が飛ぶ。そのまま会議室は騒然とした。振り向いて野次馬のような笑みを浮かべている魚住がいる。今にもその野次合戦に参加しそうな彼を何とか明石は押しとどめて座らせた。
最前列でのこんなやり取りに背後に下がっていた清原がマイクに近づいてそれに手を伸ばす。
「止めたまえ!見苦しい!君等には誇りが無いのか!」
清原が叫ぶ。さらに西園寺派の将校が壇上の清原に野次を飛ばし、それに同調するように大河内派や嵯峨派の将校からも野次が飛んだ。
「黙りたまえ!君達は……」
そのまま保科の隣でマイクを握り締める清原を老人は押し止めた。そして黙り込む。しばらく野次の応酬が繰り広げられたが、黙ってその様子を見つめている保科の姿に次第に騒ぎは静まっていく。
「君達は何をしたいんだね。内戦かね、それともクーデターか?君達には義務があるはずだ。一つはこの国を守ること、そしてこの国のすべての住民の安全を確保すること。これが第一の役目でないと言うのならばここを去ってもらったほうが良い。出来ればそのまま軍から身を引いてもらいたい」
その言葉に数名の西園寺派の将校が席を立った。立見席でも数名が失望した目をして廊下へ消えていく。
「若いのは良いな。実に正直だ。枢密院の石頭の貴族達につめの垢を煎じて飲ませたいくらいだ」
乾いた笑いが聴衆に広がる。明石はそこで保科と言うこの国のカリスマの瞳が光るのを見た。
「今の危機的な状況の中。自己の保身の為の貴族制度の維持。これを本願にしている政治家がいる。そして軍内部にもその勢力は多い」
保科はそう言って後ろに立っている清原の顔を見る。表情を変えない清原を一瞥してそのままマイクを握る。まばらな拍手が前列に広がる。魚住や黒田もそんな西園寺派の将校達と一緒に拍手をしていた。その様子に呆れたように明石はただ目を壇上の老人に向けた。
「だが貴族制なんていうものは所詮システムでしかない。それを優先して無益に他国との関係を悪化させるのは正直無駄な努力だ」
「そうだ!」
今度は前列から声が飛んだ。立見席で再び囁きあう声が響くが保科老人は話を止めることが無かった。
「どんな社会も同じ地位に同じ人間がいれば腐敗するものだ。常に流動する社会が理想だと私は思っている。だが、それは難しい。特にわが国の貴族制度がそれを阻害していることは間違いない」
後ろの囁き声がさらに増すのが最前列の明石からも分かった。
「ただここで留意しなければならないのはわが国は現在孤立していると言う事実だ。既存の制度を完全に破壊して新しい制度を構築する。言葉で言うのは簡単だが、実際それを実行しようとすれば長期の政治的空白を生むことになる」
その言葉で今度は前列の西園寺派の将校が囁きあいをはじめる。だが、明石はこれまでの話し方が明らかに両派の将校を自分の話に集中させるための前振りだと思って次の言葉をつむごうとする保科の黒い目を見つめていた。