動乱群像録 11
赤松の屋敷に住み込むようになって明石は自分がかなり丸くなったのを感じてきていた。
用心棒と思っていた赤松家の暮らしだが、元々先の大戦での英雄である赤松忠満准将の用心棒を買って出る士官は海軍に数知れずいた。おかげで明石は週に三度の別所達を仮想敵としてのアサルト・モジュール3式の実機訓練の他にも帝大法科の講義を聴講し、海軍大での佐官任官試験の為に必要な座学の単位を着実にためる毎日を送ることができた。
そうして軍に戻って一年。あっという間に時間が過ぎていくのを感じていた。だが回りを見回せば、時代がきな臭くなるのを肌に感じることが多い日々だった。烏丸内閣と野党指導者西園寺基義は正面を切っての政争に動くことは無かった。実に奇妙な個性がそれを阻んでいた。
保科家春と言う枢密院議長を務める人物、彼の弟で西園寺の後見とも言えた大河内元吉が病に倒れていることで西園寺派は本格的な倒閣運動を行なうことも無く状況を静観していた。それが遼南で人民軍の内戦での英雄として担ぎ上げられた嵯峨惟基がクーデターで遼南の実権を握ったと言う状況が状況の緊迫を煽ることとなった。
烏丸頼盛は西園寺基義の弟の遼州皇帝即位に脅威を感じてこれまで対地球と言う意味で封印していた貴族制度の維持に関する法案を矢継ぎ早に提案してはそれに反対する西園寺基義の影響下の議会を空転させることになった。そのたびに議長の保科家春が間に入り調停を行うと言う流れが毎月のように繰り返された。
そんな決まりきった政治のルーチンワークが繰り返される度に明石は次第に周りの軍関係の人間の態度が硬化していくのを感じていた。
赤松家には西園寺派の海軍将校が絶えず出入りし、陸軍でも西園寺家に近い醍醐将軍のシンパが出入りすることも多くなっていた。別所達と連れ立って町に飲みに出かければ喧嘩をしている将校は西園寺派か烏丸派と言うのが普通の話だった。店もそれを知ってか、赤い提灯を下げている店が烏丸派で白い暖簾を下げているのが西園寺派と店まで分けるような根深い対立に波及していた。
そんなある日のこと、非番で部屋で法律書と格闘していた明石の部屋のふすまを許しも得ずに開くものがいた。
「おい、聞いたか?」
それは魚住だった。明石はめんどくさいと言うように振り返り、浴衣の襟をそろえて難しそうな面をしている魚住を見上げる。小柄な魚住とはいえ、机の前の座布団に正座している明石よりははるかに高い。だが、そのまま魚住は明石の視線に目を合わせるようにして息を整えた。
「なんや、騒ぐだけ騒いでだんまりかいな」
明石の言葉を無視して呼吸を整える魚住。
「いいか、落ち着いて聞けよ」
「それよりお前が落ち着かんかい」
明石の皮肉に口元を緩める魚住。
「遼州の……政軍同盟が発足した」
魚住の言葉に明石はただ意味が分からないと言う顔をして見せるしかなかった。
「魚の字。同盟?どことどこが同盟を結んだんや?遼州ってもいろいろ国があるやろ……それに状況がつかめんのやったらテレビを見たほうがましやん」
そう明石に言われて気がついたように頭を掻く魚住。
「まあ、先か。一週間前、嵯峨の大公が遼南皇帝に即位しただろ?」
「兄貴の西園寺公が烏丸首相に即位式に出るなって噛み付いてもめた件か」
明石はそこまで聞いて嫌な予感に包まれた。西園寺兄弟。兄西園寺基義と弟嵯峨惟基は犬猿の仲と思われていた。西園寺の家中が基義と一蓮托生と覚悟しているのに嵯峨家家中は筆頭の被官、地下家の佐賀高家は烏丸派でも有力な勢力を保ち、その弟で分家の醍醐文隆は西園寺基義の陸軍における橋頭堡のような立場だった。嵯峨家の領邦は胡州の人口の半分を占める大身である、その帰趨が大きな意味を持っていることは明石も十分承知していた。