動乱群像録 105
「まあ……アンリはもう気づいてるからいいとしてだ」
嵯峨は立ち上がると額を右手の人差し指でつつきながら何かを考えていた。ようやくメイクの終わった嵯峨とほとんど変わらない姿の弟を見ても嵯峨の表情は緩まなかった。
「問題はやはり胡州か……本音は兄貴や忠さんに勝ってほしいが戦争は時の運だ」
「そうですか?色々噂を聞くんですが……あの地下の大将……佐賀高家とか言いましたか……彼を揺さぶっているとか……」
にやりと笑う影武者の嵯峨。その表情を受けて本物は静かな笑みを浮かべた。
「まあ事実だから認めるよ。あいつの参謀の中に俺の息のかかった連中を送りこむのにはそれなりに苦労したしな」
そう言って再びソファーに体を投げ出す兄。その様子を見ながら偽者である吉川俊太郎は大きく息をついた。
「なんだ?まだ不安なのか?俺より皇帝経験は長いくせに」
一度影武者を頼まれるとそのままずっと勝手に動き回る兄に何かを言いたくなったが無駄だと悟って吉川は黙り込む。そして今回の長い影武者生活についての愚痴を続けようとしたが馬鹿らしくなって口をつぐんだ。
「おう、分かってくれたか。それじゃあ俺はいつもどおり裏口から出るから」
「見つからないでくださいよ」
立ち上がる兄の姿を見送ろうとする吉川。彼自身自分が24歳だと言うのにそんな自分より若く見える39歳の嵯峨を見送ろうと立ち上がる。
「そんな見送りなんていらねえよ。餓鬼じゃねえんだ」
「その口調も何とかしてくださいよ。いずれ本業の皇帝家業が長く続くことになるんですから」
「へ?そりゃあ大変そうだねえ俊太郎ちゃん」
「ずっと影武者を続けろって言うんですか?お断りです」
先手を打たれてうつむき加減に部屋のドアに手をかける嵯峨を見送ることを辞めて吉川はそのまま静かに鏡の前に腰を下ろした。