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君だけの青春が、ここにある  作者: 天満川鈴
前章:21年前
7/31

EP07:1996年6月16日「井戸、待たせたね」

 あまりのショックに視点が定まらない。

 ふらふらになりながら会議室に戻ると、テーブルには人だかりができていた。


「郷原補佐ぶっ殺す!」「お前は何様だ!」「死にやがれ!」


 シュプレヒコールがごとく吹き荒れる郷原補佐の悪口。

 こんなに被害者がいるのか。

 きっと江田さん達のヒートアップに「僕も」「私も」と集まってきたのだろう。


 江田さんと目が合う。

 セミロングの髪をなびかせながら、勢いよく体を乗り出してきた。


「井戸君、どうだった?」


「ん……ああ……」


 求められるまま、面接室のできごとを全て話す。

 終わった瞬間、江田さんが叫んだ。


「郷原補佐は人間じゃない! 井戸君かわいそう!」


 さらに学生達の大合唱。


「そうだ、そうだ! 井戸君かわいそう!」


 再び江田さんが叫ぶ。


「荒川法科大学だって大学だ!」


「そうだ、そうだ! 学歴で差別するな!」


 江田さんが手を差し出してきた。


「ほらほら、井戸君も盛り上がろうよ」


 しかしさり気なく振り払う。

 盛り上がってるみんなには悪いけど、とてもそんな気になれない。


 被害を受けたみんなが怒るのは当然だ。

 もちろん俺だって怒ってる。

 あれはもう圧迫面接なんかじゃない、まさにモラル・ハラスメント。

 人の尊厳を傷つけて悦に入っているようにすら感じられた。

 なんて苛立たしい。

 あんな奴絶対に許せないし、ぶん殴ってやりたい。


 でも、みんなの叫ぶ「井戸君かわいそう」。

 全然俺に向けられている気がしない。

 一瞬は嬉しかった。

 しかし笑いながら叫んでいるのを見ると、単に面白がってるようにしか受け取れない。


 俺の側だって心配や同情をしてほしくない。

 この自分を全否定された気分がわかるか。

 言い返しようのない正論で刺されたからこそ、より激しく深く心を抉られた。

 もう一人になりたい。

 早く家に帰って休みたい。


 そもそも、どうしてみんな集まって騒いでいるのか。

 憂さを晴らしたい気持ちはわかる。

 だけど正直言って不毛だし、気力が残ってるなら他を回った方がいいと思う。

 せめて騒ぐにしても場所を移した方がいいんじゃなかろうか。

 職員、ずっとこっち見てるし。


 さて……どうしよう。

 厚生省の空気を吸っているだけでも不快。

 だから一刻も早く出たい。

 でも自分がネタにされてるせいで席を立ちづらい。


 対面に座る出口さんは騒ぎに全く関心なさそう。

 手帳を開いて、黙々とメモをとっている。

 彼女は被害を受けていないのか、それとも俺と同じ気分なのか。

 ただ、さっきも江田さんの愚痴に耳を貸さなかった辺りマイペースには違いない。


 ──あれ? 出口さんのカバンから覗くクリアファイルは?


 大きなリボンをつけた二次元ヒロインの頭の一部に見える。

 もしかして。

 立ち上がり、ぐるっと回って出口さんの傍へ。

 失礼と思いつつもカバンの中を覗き込む。

 間違いない。

 我が愛するエロゲー「同級生2」で圧倒的人気を誇るメインヒロイン「鳴沢唯」だ。


 なぜ、出口さんが同級生2!?

 女の子がエロゲー?

 こんなクールで理知的に見える子が?


 あまりに意外すぎて、まるでハンマーで頭を殴られた感じだ。

 いや、きっと俺だけじゃない。

 誰であっても同じ衝撃を受けるはず。


 だってエロゲーは男の願望を充たすため作られている。

 当然プレイヤーの性別は男。

 そして、とてもじゃないが「趣味」と公言できるものではない。

 それなのに出口さんみたいな子が、しかもキャリア官僚の採用試験会場でエロゲーグッズだなんて。


 あ、でもダメ。

 好奇心の方が先に立つ。

 それに、もし本当に同級生2が好きなら俺の同志だ。

 聞いてはいけない、それでも聞かずにいられない。

 ふらふらと衝動にまかせて出口さんの耳元に口を寄せる。


(鳴沢唯好きなの?)


 ガシャンと椅子が倒れる音。

 出口さんが跳ねるように立ち上がった。

 さっきまでのクールな佇まいはどこへやら。

 ぽっかり口を開け、あわわと震わせていた。


 どうした、と騒いでいた学生達が振り返る。

 出口さんはそそくさと手帳をカバンに入れると、肩を組んできた。


「井戸、待たせたね。次の官庁に行こうか」


 なぬっ!?


 備前君が怪訝な顔で問うてくる。


「二人とも、いつの間に仲良くなったの? さっきまで全く口利いてなかったのに」


 しかも呼び捨て。


「つい先程、面接ブースの中で。では、皆様ごきげんよう」


 出口さん──俺も出口でいっか。

 肩へ回された手に力が込められ、強引に引き摺られていく──って!

 密着してるから胸が!

 わけわからないわ、どぎまぎするわ。

 いったいなんなんだ!


 江田さんが背後から大声で呼び止めてくる。


「わたしと飲む約束は!?」


 そうだった。

 しかし出口が耳元で囁く。


(ほっとけ。行きたくないんだろう?)


 気づいてくれてたんだ。

 当然、江田さんから逃げられるのは万々歳。

 体の力を抜いて、出口に我が身を委ねた。

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