EP06:1996年6月16日「君は我が省を侮辱しているのかね?」
郷原課長補佐のところへ移動。
席に着くと、遠目に見ていたときより押し潰されそうなものを感じる。
なんてプレッシャーなんだ。
席に着くと、名刺を差し出してきた。
「郷原です。魁聖高校から東大法学部に入学し、上級甲法律職に合格して厚生省に採用されました」
魁聖高校は日本一の進学校。
高校から名乗る辺り、「私は特別」と言いたいらしい。
冷たいどころか感情の通っていない目。
まるでウジ虫か何かの汚い物でも見るかのように俺を見下ろしている。
俺自身のコンプレックスもあるとは思う。
だけど、これは絶対言い切れる。
郷原補佐は俺を人として見ていない。
郷原補佐が訪問票を手にとり、目を通す。
──しかし、すぐに突き返された。
持っていたペンで学歴欄を指し、低い声で尋ねてくる。
「井戸君。すまないが、ここに書いてある文字を読み上げてくれないか」
「荒川法科大学」
「もう一度、もっと大きな声で」
「荒川法科大学」
「どうやら私の見間違いじゃないようだ──」
郷原補佐がニヤリと笑った。
「──君は我が省を侮辱しているのかね?」
「はい!?」
ペン先でトントンと学校名を叩かれる。
「荒川法科大学、世間では確か『アホ大』と言われているな。これまで国家一種試験に合格した者は何人いるんだ?」
「恐らく一人もいないと思います……」
声を掠らせながらやっとの思いで答える。
国家一種どころかノンキャリア採用の国家二種すら。
だからこそアホ大と呼ばれているのだから。
郷原補佐が訪問票を手に取り、ぴらぴらと突きつけてくる。
「厚顔無恥にも程がある。いったいどういう神経を持ち合わせたら、そんな底辺大学の学生が、選ばれたるエリートの集う我が厚生省のキャリア採用試験会場に足を踏み入れることができるんだろうな」
む、無茶苦茶言いやがる。
受けるくらいは自由じゃないか!
建前は「官庁訪問」じゃないか!
しかし叫べない。
叫んだが最後、更なる罵詈雑言が待ち構えているのは目に見えている。
そんなの聞きたくない、耳に入れたくない。
でも、これくらいは言わせてもらう。
「私は合格している自信があります。自己採点からも間違いありません」
郷原補佐が吹き出した。
「ぷっ。夢想に励むのは自由だがね。国家一種に合格できる能力があれば東大なり他の名の通った大学なりに行ってるだろう」
「でも──」
声を荒げかける。
しかし我が目を疑い、固まった。
郷原補佐は俺の訪問票をくしゃくしゃに丸め、後ろへ放り投げた。
「な、何て事を……」
ただ唖然としていた。
言うというより、開いた口から勝手に言葉が漏れた。
「このくらいされて当然のことを、君はしているんだ」
「そ、そ、そ……」
そんなことをした覚えはありません。
そう言いたいのに言葉にならない。
郷原補佐が片手を椅子の背に回しながらふんぞり返る。
「いいかね? この会場の門を叩くに相応しい学生は、過酷な競争の中で自らを研鑽し勝ち抜いてきたんだよ。そして今、新たな競争のスタート地点に立っている。井戸君は彼ら同様の厳しい人生を過ごしてきたと口にできるか? それなのに厚生省のキャリアを志すのは、我が省のみならず彼らに対する侮辱でもある──」
そして目を細め、どうでもよさそうに付け加えた。
「──もし万一、君が本当に合格っていれば、その時は他の官庁になら採用されるかもしれないさ。厚生省は何度回っても無駄だがね」
もう……これしか言えない……。
「わかりました」
既にわかりきった結論が、郷原補佐の口から冷たく発せられた。
「厚生省は君程度の学生に用は無い。帰りたまえ」