EP30:2017年6月某日「社長って、本当に『エロゲー神』だったんですか?」
語り終えた。
田中君がおずおずと申し出る。
「社長。恐縮ながら今のお話に一言申し上げてもよろしいでしょうか」
「どうぞ?」
承諾したところ、田中君は両手を広げて大きく息を吸い込んだ。
「『イグジッドはそこそこ売れ』? イグジットは発売直後から爆発的に売れ、今や統合セキュリティソフトのデファクトスタンダードですよね。『イードが細々ながらも安定してやってこれた』? イードは起業してからあっという間に急成長を遂げ、今や世界的な大企業じゃないですか。『しがない社長』? 社長は情報セキュリティにおける第一人者として世で知らぬ者なく『日本のジョ○ズ』と呼ばれるほど。今回も政府の方から請われて東京五輪の情報インフラにおける総責任者を務めてるんじゃないですか」
「社員への講話じゃあるまいし、そんなの自らの口から語るほど厚かましくない」
ついでに全然一言じゃない。
「私見を述べさせていただくなら、厚生省のモラハラの件は出口さんに賛成です。社長は六年前の時点で『時代の寵児』扱いされていました。もし過去の一件を表沙汰にされたら厚生省が叩かれるのは必至。さらに人事の見る目がなかったことまで露呈されます。だから社長の気に入るような理屈を取って付けたんですよ」
賛成どころか、出口すら口にしなかったことを。
「今の盛り上がったタイミングなら叩き記事になりうるかもしれないのは否定しない。それより早口で捲し立てるのはやめたまえ。せっかくのクールな魅力が台無しだぞ」
「そういう歯の浮いた台詞をさらっと口にするから、江田さんみたいな蛇女が擦り寄ってくるんです」
返す言葉もない。
田中君がコホンと咳払いをする。
「社長。恐縮ながら今のお話で最大の疑問を申し上げてよろしいでしょうか」
嫌な予感しかしないが、俺にはこう答えるしかない。
「どうぞ?」
「社長って、本当に『エロゲー神』だったんですか?」
「本当だよ。だけど今はおくびにも出さないから、そう見られるのは仕方ないな」
「そういうことを言っているのではありません」
「じゃあ、どういうことかね?」
田中君が半目にして、じとっと冷たい視線を寄越してくる。
「私はてっきり社長が出口さんとお付き合いなされているのかと思ってました。ただお二人とも忙しいから式を挙げる時間がないんだろうなと」
「只の友人だが? まあ、親友とは呼べると思う」
言った瞬間、田中君がテーブルを激しく叩いた。
「まさか、それ、出口さんの前で言ってませんでしょうね」
「ど、ど、どういうことだ」
焦って口籠もってしまう。
今までこんな田中君を見た事無い。
「合格発表当日の『いつかは俺もリアル人生のメインヒロインと出会う日が来るのだろう』、もう既に出会ってるじゃないですか」
「はあ?」
「通産省の面接終わった後の出口さん。誰がどう見ても『めくるめくエッチフラグ』が立ってるじゃないですか。棒読みなのは遠回しに『井戸の家に行きたい』って言ってるんですよ。社長を励ましたかったか、慰めたかったかで。別れ際にウィッグ投げつけたのは、気づいてくれなかったことへの当てつけです」
「はあ……」
「永田町からわざわざイード社まで来てたのだって、口実つけて社長と少しでも一緒にいたかっただけです。白衣持って帰るのは、口にしていた理由もあるでしょうけどそれだけじゃありません。自分があげたものをずっと大事に着てくれてた。その想いをストックしてるんです」
「そこは否定させてもらう。出口はそんな乙女じゃない」
「女性はみんな乙女です。社長の白衣羽織って寝ているのがその証拠。まるで社長に包まれているような気になれるからぐっすり眠れるんです」
「はあ……」
「私はあえて言わせていただきます。社長、出口さんとのフラグを──」
手の平を突き出して制止する。
「みなまで言うな。それは俺の決めるべきことだ」
通産省当日の行動は、本当にそこまで気が回らなかった。
やっぱり官庁訪問が終わってしまったのはショック。
でも心が折れないように前を向くのが精一杯だったから。
六年前の話も、田中君が言ったようなことは想像もしなかった。
そんなの男の側が想像できたら相当なナルシストだと思う。
かと言って、出口の気持ちに気づいていないわけじゃない。
俺自身もまた同じ気持ち。
ただタイミングを失ってしまっていただけだ。
二人とも忙しかったし、今までの関係で十分心地良かったし。
でも、そろそろケリのつけどきなのかもな。
──社長室の扉が開く。
「井戸、寝に来た」
噂をすれば。
しかし、なんて挨拶だ。
田中君が立ち上がって頭を下げる。
「こんばんは。ちょうど今、出口さんの話をしてたところなんですよ」
「ボクの? どんな?」
週刊パスタを差し出し、田中君の代わりに答える。
「俺達の官庁訪問のときの話さ。厚生省の」
「ああ。差し詰め『あんなモラハラな面接官に採用された人物がパワハラ起こすのも仕方ない』ってところ?」
「そこまで言うつもりはない」
「ですが、社長も『あの』官庁訪問と強調なさってましたよね。やっぱり本音では郷原氏の行為がモラハラだったと思ってるんじゃないですか?」
「そこは違う。郷原氏にモラハラの意図があったかどうかと、あの官庁訪問で採用された女性がモラハラ気質であることは別の話だ」
「どういうことでしょう?」
「『いかにも郷原さんが気に入りそうな子だよな』。これは本田さんの評価ではなく、彼の同期達の評価。ここはわかるね」
「はい」
「私は最初『優秀』と受け取ったが……本田さんは郷原氏の真の意図を知らない同期が多いことも話していた。つまり内実として『郷原氏=優しい人』だとしても、同期の間における外形上は『郷原氏=モラハラ気質』が成立しうる──」
田中君が話を飲み込む間をとるため、一息置いてから続ける。
「──そうすると、本田さんは同期の評判を借りる形で『女性=モラハラ気質』であることを婉曲に伝えたのかもと今では思える」
「その台詞だけでいいじゃないですか。私は最初からそう受け止めましたが」
「それは先入観にすぎるというものだ。何かを検討する際は事実を一つ一つ細かく積み上げた上で評価しなくてはならない」
当時はどうでもよかったから、ここまで至らなかったが。
ちゃんと検討するとなれば話は別だ。
「はあ……」
「厚生労働省に採用されたことで『選ばれた』と勘違いしている同期が存在することも本田さんは明かしていた。そんな学生達が郷原氏を見れば『選ばれた人間はモラハラが許される』と重ねて勘違いすることは仮説として十分なりたつ。件の政治家もその一人だったのかもしれない。帰結として、郷原氏如何を問わず『モラハラ官庁訪問がパワハラ議員を産みだした』というロジックは成立する」
「はあ……」
「ここで出口の言うとおり郷原氏はモラハラ気質という立場に立とう。モラハラ気質な面接官が好むのはモラハラ気質な学生。だから郷原氏に見出され採用された某政治家は元々モラハラ気質だった。この形をとってもまた『モラハラ官庁訪問がパワハラ議員を産みだした』というロジックは成立する」
出口が体を起こした。
「要は、物の見方には色々あるという話だよ。一つ一つの事実評価の違いによってロジックはいくらでも変えうる──」
週刊パスタを手に取り、田中君へ示す。
「──そもそも、記事に書かれていることが事実という保証なんてない。動画だって議員を貶めるため声真似芸人に頼んで捏造したものかもしれない。実は議員のパワハラが最初から存在しない可能性まで考えればロジックはさらに増える」
「存在しないというのはどうでしょうか。あることないこと書くのがマスコミだとは想いますが、全くのゼロを書くとは考えづらいです」
「不思議なことでもないよ。新聞社は記事を作るため珊瑚にラクガキをする。検察は有罪判決をとるため証拠のフロッピーディスクを改竄する。田中さんだって、これらの事件は知ってるんじゃないかい?」
「確かに存じ上げておりますが」
「真実は当事者が知りうる一つだけ。だけどボク達みたいな第三者でも思考を広げることによって、真実に近づいていくことはできる。その作業は楽しいよ」
格好付けた物言いをしてるが、実際は現実世界をエロゲーに見立ててフラグとエンディングを考察してるだけ。
やってることは攻略と同じだから楽しいに決まってる。
田中君がくすくす笑う。
「お顔を見ていればわかります。お二人って、本当に『理屈っぽい』ですよね」
「井戸はそこまで話したのか。でもボクはもうその台詞に負けない」
「ふふ。それじゃ私はこれで席を外させていただきます。出口さん、どうぞごゆっくりお過ごし下さい」




