EP28:2011年某月某日「郷原本人から聞きました」
「優しさ?」
「まず、諦めさせようとしたのは学生に貴重な時間を浪費させたくなかったからです。当時は超のつく就職氷河期だったでしょう」
「そうでしたね」
今も再び就職氷河期だったりするのだが。
「あの年の厚生省の官庁訪問は殆どポーズだけ。だったら会議室の学生にはお引き取りいただいた方が本人のためでしょう」
「そりゃまあ」
「国家一種合格するレベルにないならなおのこと。夢想は捨て去り、その時間で一社でも多くの民間を回るべきです」
「その夢想を捨てるのがきついわけですが」
「だからモラハラになるんです。全否定されないと現実を直視できませんから」
そういえば俺も「『訪問』くらいさせてくれ!」と言ってたよな。
でもあの時は既に競争が始まっていた。
ただ認識が甘かっただけのこと。
アホ大で認めてもらえないなら、認めてもらえるところを回るしかない。
少なくともそのことは悟らされたし、次に向かうこともできた。
「……そうかもしれませんね」
「加えて冷やかしで訪問してきた学生の大半は、残念ながら子供です。どう対応しようとプライドを傷つけられたと拗ねますし、過剰に反応します。結局は同じですよ」
江田さんなんて、市民団体やマスコミに告発とか言ってたものな。
警察庁では、被害者であるはずの俺すらどこまで本当かわからないくらいだったし。
本田総括が一旦締め括る。
「郷原は学生達の利益を考え、虚栄でしかない『数』のステータスを捨てた。そこが『優しさ』というわけです」
実際に、くだらない面子を捨てられないのが霞ヶ関。
よくやったと喝采すべきなのは認める。
「学生達のメリットも『優しさ』もわかりました。でも厚生省のメリットはないでしょう? それどころかデメリットまであります」
「メリットはありますよ。採用したい学生の評価に専念できますから。デメリットについては、厚生省が目を付けなかった程度の学生に何を言われようと構いません」
「ドライですねえ」
「悪評出回ってまずいのは、どこかの官庁に決まる人材。実際に青田買いかけて断る羽目になった人達には、深々と頭下げてますよ」
出口の言ってた通りだな。
いやらしい対応ではあるが、大人と言えばそれまでだ。
「やはり郷原補佐の仕打ちは許せませんが……一分の理はあったくらいは思えますね」
本田総括が和らげに微笑む。
「そう思えない人に官僚は務まりません。郷原の行為には道徳・倫理上の問題がありますが合理性の観点からは評価できます。その視点に欠けているということですから」
「そう思える私でも官僚は務まらなかったように思います」
「あはは、そんなことありませんって」
合理性、そこに全てが行き着くのは理解した。
でも、まだ腑に落ちないことがある。
「合理性の観点からモラハラを評価できることは納得しました。でも郷原さんはどうしてそんなことをしようと考えるに至ったのでしょう?」
それこそが本当の動機だ。
何の理由もなくして採用する気も無い学生に優しさを見せるほど、郷原氏は絶対にお人好しじゃない。
「郷原って官庁訪問を一回失敗してるんですよ」
「ええっ!?」
とてもそんな風に見えない。
失敗なんてしたことなく、ずっと勝ち続けてきたように見えるのに。
「一年目は大蔵省を専願してたんです。しかし愛想の良さを真に受けて、引っ張られるだけ引っ張られてしまって……」
後はお察しとばかりに首を切るジェスチャーをする。
「あちゃあ。でも、郷原さんって順位良さそうに見えますけどね」
「実際に上位合格ですよ。ただ大蔵省基準ではボーダーだったらしく、それが引っ張られた原因だったみたいですね」
「ボーダー?」
本田総括が苦笑いを浮かべる。
「なんせ法律職二十位でもドン尻扱いされる役所ですから」
「次元が違いすぎますね……」
「直後は自我が崩壊しそうになったそうです。両親から『大蔵省に入れ』と育てられ、それしか選択肢が見えなかったらしいですから」
官庁訪問に失敗しておかしくなる。
郷原さんもまた、あの都市伝説を形作る一人だったのか。
「実際に通産省で目の当たりにしましたよ、おかしくなった人」
本田総括が軽く口を開け、驚きを見せる。
「もしかして『トオルちゃん』ですか?」
「御存知で?」
「学部は違いますけど、同じ学校ですので。郷原は成績よくて回り方を間違えただけ。成績悪くて最初から勘違いしてただけの彼とは一緒にできないです」
ぼろっかすだなあ。
東大ってバカとみなした人間には厳しいと聞くけど、ここまでか。
「あれから彼はどうなったんでしょうかねえ」
「法務省矯正局で採用されましたよ」
は?
「はああああああああああああ? だって完全に頭おかしくなってましたよ?」
「法務省は昇進が遅くて課長補佐までしか出世が保障されてないから、誰も行きたがらないんです。頭狂っていようとなんだろうと、東大法学部ならそれだけで決まります」
出口も「キャリアとは正直言えない」と言ってはいたが……なんてこった。
ちなみに他の官庁は本省課長級まで保障されており、実際には殆どが審議官以上の指定職まで昇進する。
国家公務員は指定職で退職金が跳ね上がる。
そこまで確実に出世できるのがキャリア官僚になる金銭的なメリットという話だ。
「矯正局って刑務所でしたっけ?」
「囚人いじめの報道が絶えないわけです、やれやれ……」
「やれやれ、じゃないですよ。ただ郷原補佐については納得しました」
本田総括が頷く。
「『私が評価しなかったからといって他官庁や民間がそうとは限らない。彼らには巡り会うべき者と巡り会い、結ばれるべき者と結ばれてほしい。私は自らのエゴで彼らから新しい道を踏み出すための機会を奪いたくない』、これが郷原の弁です」
とても弱者の痛みがわかりそうには見えないけど、自分の味わった痛みはさすがに理解できるのだろう。
そして同じ思いを他人に味わわせたくないのは人として当然のこと。
この点においてのみは本当に「優しい」。
見方を変えたら浮かび上がってくる優しさというものもあるものだ。
「本田さんは以上の話をどこで?」
「郷原本人から聞きました。私も彼を庇うつもりはありません。他にやりようだってあったと思います。ただ……不器用でかわいそうな人なんですよ」
「本人は学生を思いやったつもりだった、それは理解しました」
こくこくと頷く。
「むしろ問題だったのは郷原よりも内定者達の方です。大半の訪問者がモラハラで尊厳を踏みにじられるなか、自分達は特別扱いされてましたから。実際に『俺達は選ばれた者だよな』と口にする者もいましたし、私もその一人でした」
「そうは見えませんが」
少なくとも傲慢には見えない。
基本的には穏やかで柔らかな印象だ。
「郷原に窘められたんですよ。『勘違いするな、お前はまだ何者でもない。本当に選ばれるのは選ばれるべきことをなした、その後だ』って。それ以来、一応は謙虚に構えるよう心掛けてきたつもりです」
「そう感じますよ」
「ありがとうございます」
本田総括がはにかむ。
「ちなみにここまでの話、他の同期は御存知で?」
「いえ、その場にいたのは私だけです。同期は大勢いますし、中には郷原を見た目通りに受け取っている者もいるでしょう」
「わかりました」
つまり遠回しではあるけど、未だに勘違いした者もいるということ。
明言するのは組織人として差し障りあるものな。
こんなところかな?
いや、まったくの興味本位だが一つ聞いてみたい。
「その年採用された同期の女性って、どんな方なんです?」
訝しむような目で見つめてくる。
「どうして、そんな質問を?」
「私の知人にも厚生省に執着していた女性がいまして、当時かなりの愚痴を聞かされたんです。最終的に某省へ入ったくらいには優秀なのですが、そんな彼女を打ち負かしたのはどんな方だろうと……」
某省って厚労省だけどさ。
つまり江田さんを負かした女性がどんな人か知りたいだけ。
俺も底意地悪いと思うけど小気味よいもの。
「あはは。それは災難でしたね。私の某省の知人にもいますよ。未だに『どうしてわたしじゃなくて、あの女なんだ!』と愚痴ってる人」
「十年も経ってるのに!? しかも某省とやらで働いているのに?」
「ランク付けされたということで根に持ってるんです。知人は容姿に優れていてみんなから御姫様扱いされているのですが、それだけでは満足できないらしくて……女性は怖い」
本人は気づいていないだろうが、すっかり表情が歪んでしまっている。
妙に話が具体的だし本心から辟易しているのだろう。
どこにも似た話はあるものだ。
本田総括も優しそうだし、江田さんみたいな蛇女からターゲットにされるんだろうなあ。
まるで他人と思えない。
ここは力を込めて言わせてもらおう。
「全力で同意します」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げ、「先程の答えですが」と切り出してくる。
「優秀な方ですよ。同期の間では『いかにも郷原さんが気に入りそうな子だよな』という声もあります」
郷原補佐が気に入るくらい優秀ってことか。
なんとも当たり障りないけど、外部の人間にはそれ以上のことは言えないよな。
「本田さん、貴重な話をありがとうございました。では、打ち合わせを始めましょうか」




