EP27:2011年某月某日「郷原だって人間、泣きもすれば怒りもします」
冒頭から叫んでしまった。
でもそうだろう。
どこをどうとれば、あのモラハラが「思いやり」なんてことになる!
本田総括は俺の反応を予測していたのだろう、くすくすと笑っている。
「具体的に説明願いましょうか」
「その前に私から尋ねさせてください。厚生省で郷原から失礼な振る舞いを受けた後はどうしました?」
「厚生省を諦め、農水省と環境庁を中心に回りました。七月一日過ぎてからは通産省です」
「それら官庁の感触はどうでした? 結果はともかくとした上で」
「農水省と通産省はそこそこ、といったところです」
「それが答えですよ」
まったくわからない。
「どういうことでしょう?」
「今の話を言い換えてみましょう。井戸さんは厚生省を切られた。でもその代わりに他の官庁を回る時間ができた。さらに農水省と通産省では勝負するチャンスを掴めた、となりませんか?」
「物は言いようですね」
「言いようではありません。郷原の非礼な振る舞いの意図は、望みのない学生に厚生省をきっぱりと諦めさせることにあったんです」
それこそ、きっぱり言い切られても合点がいかない。
「それならそう告げればいいだけ、モラハラじみた対応をとる必要はないでしょう。むしろ学生の反応を愉しみながらやっていたようにすら感じました」
傲慢さが全面に押し出されてたし。
少なくとも人間扱いされた気はしなかった。
「まず後者から。『愉しみながら』というのは受け手の主観にすぎませんし、誤解です」
「誤解?」
「郷原はあのキャラですから、接した人が不快になるのもやむを得ません。マイナスの先入観を抱いて事物判断すれば何事も悪く思えます。しかし、あの時の彼にモラハラ楽しむような暇も余裕もありません。会議室全ての学生と面接しないといけないのですから」
ふむ。
「客観的な事情を用いることで一見もっともらしく聞かせてますが……一人一人と面接する時間は絶対に要するのですから、その間は愉しむ暇や余裕があるとも言えますよね」
返事のテンポが遅れる。
「失礼ですが、井戸さんの国家一種合格順位は幾つでした?」
「普通は最終合格したかどうかから聞きませんか?」
七月一日以降も官庁訪問している時点で一次合格しているのは自明だけど。
そもそも、なぜ不躾にそんなことを聞くのか。
「合格る落ちるどころか、どうして井戸さんがどこにも採用されなかったのか不思議です。若くして立身出世なさったくらいですから頭が切れて当然とは思いますが」
立身出世も何も、しがないサイバーセキュリティ会社の社長じゃないか。
ついでに言えば、年取った分もっともらしく話せるようになっただけ。
どうしてこう、官僚って人種は外面いいんだ。
……なんて毒づいても仕方ないな。
「経済職で六位です」
本田総括が目を剥いた。
「どうしてその順位でどこにも採用されてないんですか」
「アホ大出身ですから」
簡単に事情を説明すると、本田総括は得心の頷きを見せた。
「官庁訪問の時期が最終合格発表後に変更されるわけですね……」
合格発表の日に出口の愚痴っていたことが問題視されないわけもなく。
いつだったか、採用システムが変更されたと聞いた。
しかし俺の受けた当時と違って、合格者数までもが倍増。
筆記試験が簡単になった代わりに壮絶な内定競争が繰り広げられているとか何とか。
「話を戻します。郷原さんが青田買いグループの学生達に対し、会議室の学生達を『能無し』だの『バカ』だのと見下す発言をしていたのも伝わっています。それは愉しんでいた証に他ならないと思うのですが」
ソースを「達」と曖昧にしながら面談メモの件を話す。
「それは逆に、郷原が採用担当者という立場でありながら学生に愚痴を漏らすほど疲れていたということです。いくら青田買いグループといっても身内ではなく部外者。おかしいでしょう」
「言われてみれば……そうかもしれませんね」
保身技術においては誰よりも長けているのがキャリア官僚。
漏洩されたら身を滅ぼしかねない愚痴を外部の者に漏らすだろうか。
出口はあくまで訪問学生という部外者にすぎないのだから。
「もちろん、郷原の愚痴った行為は採用担当者として失格です。でも、それだけの弱さを抱えているのを示す事情でもあるんですよ」
「弱さ? あんな傲慢で自信満々な人が?」
「郷原だって人間、泣きもすれば怒りもします。ただ人前で出すかどうかだけですよ──」
そんな言われ方すると身も蓋もない。
「──その上で、郷原が学生達に対する不満や怒りをモラハラによる憂さ晴らしへ向けた。そう結びつけるのは短絡的にすぎるというものです」
「ごく自然な発想では?」
「郷原が矮小なサディストなら当てはまるでしょう。しかし井戸さんは地を這う蟻の群れを踏みつけて愉しいですか?」
理解した、しかし……。
「最悪すぎる例えですね」
「それくらい天然に傲慢なんですよ。ただ郷原も採用担当を務めるほど主流を歩く職員、慇懃な仮面を被ることだってできます。あの時はあえて言葉も態度も選ばなかったんです」
ここから前者、つまりモラハラの必要性に対する説明か。
「どういうことか、具体的に教えていただけますか?」
「言ってもわからない学生が多いからです。それこそ『他をお回り下さい』すら」
「そんなことはないでしょう」
しかし本田総括は首を振る。
「実社会の厳しさを知らない学生は、言われた台詞を都合のいいよう受け取りがち。曖昧なお役所言葉なら尚更です」
「そこはまあ」
あの出口すら「騙される」と言ってたくらいだものな。
「加えて厚生省は──自ら口にするのは憚られますが──五大官庁とは別の意味での人気がありまして、執着する学生が多いんです」
当時別試験を行っていた外務省は、現在国家一種による採用。
そのため当時の四大官庁から一つ増えている。
「別の意味?」
「困っている人達の力になることができる、言い換えれば国民のために尽くすのを一番実感できそうな官庁ですから」
「ああ……わかります。私も当初はそれで志望しましたから」
「できそうな」という微妙な言い回しが、現実をよく表しているけどさ。
「井戸さんも他官庁の対応は御存知のはずです。同じ様に扱われたとして、厚生省を諦めることができましたか?」
「無理、だったと思います」
環境庁を思い出すとわかる。
受付の愛想は良かったし、合格発表当日も誠意溢れる対応をしてくれた。
でも評価自体は上に上げるほど高いものじゃない。
もし同じ対応をされていたら、七月一日まで厚生省を回り続けた可能性は大だ。
しかも官庁訪問の裏側を知らないままに。
「特に女性からは圧倒的な人気を誇ります。あれだけ厳しいことを言われても、厚生省に執着して七月一日まで回り続けた学生は少なくありません」
江田さんがそうだったな。
あの独りよがりな脳内お花畑を思い出すと、本田総括の言い分に頷けるものがある。
厚生省と労働省は合併したから、結局は本人の念願叶ったわけだが。
「モラハラじみた言動の必要性は理解しました。でも程度の問題はありませんか?」
「そこは私も認めます。SNSが発達した現在ならとんでもないことになるでしょうし」
怒った学生達の暴露による大炎上は必至だからな。
「その上で疑問なのですが……学生達が諦めようと諦めまいと厚生省の知ったことじゃないでしょう。訪問者数は官庁にとってステータス。執着してくれた方が、むしろ都合いいはずです。それどころかあちこちの官庁で悪評ばらまかれるなんて不利益以外の何物でもない」
「そこが郷原補佐の『優しさ』なんですよ」




