EP26:2011年某月某日「その疑問、私が答えましょう」
【福島第一原子力発電所メルトダウン】
テレビで、新聞で、雑誌で、連日踊る見だし。
あの通産省──現在の経済産業省の官庁訪問で話したことがあるだけに複雑な感情がこみ上げてくる。
事故が発生した時のことを全く想定していなかったわけではないだろう。
でもやはり「起こってはいけないこと」扱いされていたのが報道のそこかしこから読み取れる。
──あの夏から一五年が経過した。
世がIT社会へ流れるなか、サイバーセキュリティの重要性は加速度的に増していった。
俺は就職した会社で技術・ノウハウを身につけ、三年で独立。
会社「イード」を起業した。
イード社はシステム管理の請負と並行して、独自アルゴリズムによる強力で動作の軽いアンチウィルスソフト「イグジッド」を開発。
当時におけるウィルスソフトの最大のネックは重いこと。
この欠点を克服したイグジッドはそこそこ売れた。
現在でも販売を続けており、アンチウィルスだけではなくファイアウォールやハック関連も織り交ぜた統合セキュリティソフトに進化している。
イード社は細々ながらも安定した経営を続けることができた。
これは出口のおかげ。
折りにつけては「防衛省」案件の仕事を持ってきてくれた。
加えて、経産省からも助けてもらった。
官庁訪問で語り合った後藤さんが、業界紙で俺の名前を見つけてくれたのだ。
「同じ職場で働くことができなかったのは残念だけど、一緒に業界を盛り上げよう」、そう言ってくれて色々と仕事を回してくれた。
この二つの官庁の仕事をこなすことで、イード社はいつの間にか政府全般からの信用を勝ち取っていた。
現在では防衛省と経産省に限らず、手広く政府案件の仕事をやらせてもらっている。
出口と後藤さん。
俺が何とか口に糊することができているのも、この二人のおかげ。
それだけでも、あの年官庁訪問を頑張った甲斐があった。
──そして本日は「厚生労働省」へ打ち合わせに訪れている。
厚生省は省庁再編で労働省と合併し、厚生労働省となった。
まさか、仕事を依頼される側として再び訪れることになろうとはな。
かつてはトラウマと化しそうだった中央合同庁舎第五号館も、今は何とも思わない。
むしろ感慨めいた感情が湧いてくる。
同じ庁舎の環境庁──現在の環境省が親切だったのも大きいだろうな。
指定された課を訪れると、担当者は俺と同じくらいの年齢の男性だった。
「本田と申します」
受け取った名刺の肩書は「総括課長補佐」。
総括課長補佐は課の番頭みたいなポスト。
この若さで総括課長補佐となるとキャリアか。
「申し訳ないのですが、ただいま応接室が全て塞がっておりまして……会議室でもよろしいですか?」
ただ本田総括は見た目も人当たりも柔らかい。
郷原補佐や他の面接官みたいな、偉そうだったりきつかったりという感じはない。
単なる民間人の俺に慇懃な態度をとるってことは、きっと誰に対してもだろう。
ろくな印象のなかった厚生労働省のキャリアだったけど、結局は千差万別ということか。
構いませんと告げると、会議室へ連れられた。
あれ……ここって!?
「井戸さん? 立ち止まって、どうかなさいました?」
「あっ、いえ。つい一五年前を思い出しまして」
「一五年前?」
「実は私、昔国家一種を受けて、厚生省を官庁訪問したことがあるんです。その時に待機室として使われていたのが、この会議室でした」
さっき昔を懐かしんでいたばかりだというのに。
いったい何の因果なんだか。
「そうだったんですか」
「面接を仕切っていた責任者の方が手厳しくて、大勢の学生達がいじめられましてね」
と、ここまで口にしたところで本田総括が渋い顔をしているのに気づく。
いけない、懐かしすぎて口が滑ってしまった。
身内を悪く言われて、いい気分するわけないよな。
笑って誤魔化そう。
「あはは……」
すると本田総括は、ぼそっと思わぬ名前を口にした。
「郷原、ですね」
「どうしてその名を!?」
肩書を抜いているのは身内だから当然として。
責任者は短期間、下手すれば一年で交代するはず。
そんなすぐに特定できるわけがないのだが。
しかし、答えはすぐに明かされた。
本田総括が頬をぽりぽりとかき、目を泳がせながら答える。
「実は申し上げにくいのですが……私、一九九七年の採用なんです。つまり一九九六年の内定ですね。そして、あんな面接が繰り広げられたのもあの年だけですから」
渋い顔をしたのは俺の発言に気を悪くしたからじゃない。
気まずかったからか
言ってみれば、本田総括は俺を蹴落とした一人だものな。
「お構いなく。ただの昔話ですから」
険しかった顔を緩め、明らかに安堵してみせる。
「ありがとうございます」
というか、言わなければいいのに。
うっかり反応してしまったのだろうけど。
厚生労働省にこんな緩い職員がいたかと思うと、かえって和みすらする。
そして……。
「今の話ですぐに特定できたということは」
「当然、内定者の間でも噂が知れ渡っていました。さっきの口ぶりからすると、やはり井戸さんも郷原から虐められたんですよね?」
「ええ、まあ……」
今度はこっちが答えに詰まってしまう。
しかし本田総括は自嘲気味に返した。
「ここはぶっちゃけ話で構いませんよ。奇遇と思って興味本位で伺ってるだけですし、もちろん口外もいたしません」
下世話とも思うが、人間そういうもの。
本田総括本人もそこは自覚した上で問うているのだろう。
こちらとしても今更気にしてないし、仮に口外されたところで構わないが。
「それでも話せないくらいのことをされた、とだけ──」
社会人として、仕事の場であの出来事を口にするのは少々躊躇われる。
「──ただ、どうしてわざわざ、あんな憎まれる真似をしたのかが不思議です。どこの官庁に行っても厚生省と郷原氏の悪口ばかり。何の得にもならないでしょうに」
代わりに無難な疑問を発して雑談をまとめにかかる。
これくらいならいいだろう。
本田総括だって「あんな面接」と言ったくらい、誰もが思うことのはずだから。
期待した答えは「そうですね」。
しかし本田総括の口からは、全く予想だにしなかった返答が飛び出した。
「その疑問、私の口から答えましょう」
「えっ!?」
声がひっくり返ってしまった。
本田総括はくすくす笑い、椅子に向けて手を差し出す。
「まずはお掛け下さい」
促しに応じて腰を下ろすと、本田総括も向かいに座った。
いったい、どんな話が飛び出すんだ?
本田総括が、前置き代わりに咳払いをする。
「コホン……郷原ってね、ああ見えて優しい人なんですよ」
「はあ!?」
「あのモラハラ面接も学生達を思いやったがためのことです」
「はあああああああああああああああああああああああ!?」




