EP25:1996年8月14日「覚えておくよ」
最終合格発表日の八月一四日。
出口と二人、人事院前で合格を確認。
電話で順位を聞いたら「六位」と言われた。
去年の出口の順位と同じなんですが。
「ギリギリって言われてたのに、どうしてこんな上なんだ?」
「人事院面接でA評価もらったんでしょ。井戸って人当たりいいもの」
「人事院面接のA評価ってそんなにすごいの?」
「A評価なんて獲れたらごぼう抜きだよ。例え最終点数が合格ラインに届いてなくても強制的に最下位で合格措置が採られるくらい。そうでなくても今年は団子状態だしね」
「ふんふん」
「あとは論述試験がかなりできたんじゃない? 付け焼き刃の対策な人多いから平均点低いらしいし。逆に井戸は暗記じゃなくて理解するタイプだから二次の方が向いてるでしょ」
「なるほど」
出口が怒鳴ってきた。
「なるほどじゃない! 厚生省はもちろん、通産省だろうと大蔵省だろうと胸張って回れる順位だよ! 立派な上位合格じゃん!」
上位合格者の基準は法律職五〇位以内、経済職三〇位以内。
大蔵省など一部の省庁では、これ以下を相手にしない順位フィルターがあるとか。
「『胸を張るにも張れない微妙な感じ』だけどな」
「揚げ足とるな!」
「何位だろうと紙切れ一枚なのは同じだよ」
一次合格発表時点でこの順位なら俺の学歴でもどこかが内定くれたかもしれない。
しかし残念ながら、時既に遅しだ。
出口が更にヒートアップする。
「何が『キャリア官僚の東大偏重を解消しよう』だ! 『人物重視の採用にしよう』だ! 霞ヶ関はまず、最終合格発表終えてから採用活動することから始めろ!」
そんな悠長なことしていたら優秀な人材は全て民間に奪われてしまう。
だから就職協定なんて無視。
霞ヶ関の建前と本音は、出口の方が俺よりよっぽど知ってるだろうに。
俺のために怒ってくれるのは嬉しいけどさ。
なお、出口はもちろん一位だった。
「一位」とぼそっと一言呟いただけで会話が終わってしまったが。
「もういいよ。俺も就職先決まったんだし」
官庁訪問が終わった翌日、俺はアホ大の学生課へ。
IT業界の求人を片っ端から漁って面接を申し込んだ。
後藤補佐との語り合いで、俺が本当にやりたいのはIT関連であることに気づけたから。
あんな楽しかった官庁訪問は初めて。
落ちたら全て終わりなのに、すっかり忘れていたくらい。
また後藤補佐の評価から、IT業界なら通用する自信が持てたのもある。
決して綺麗事じゃなく、通産省で最後に言われた言葉は「糧」になった。
しかも国家一種の一次を突破していたことが評価され、アホ大はハンデにならなかった。
それどころか、どの企業の人事担当者も「アホ大から国家一種!?」と目を剥くことに。
おかげで業界では有名なシステムセキュリティ対策を主業務とする会社から内定をもらうことができた。
学歴からすれば十分すぎるほど満足できる結果。
アホ大では、どれだけの就職難民がゾンビよろしくキャンパスを彷徨っているか。
就職活動から解放されただけでも幸せだ。
「もったいないじゃないか。江田すら労働省に決まったのに」
江田さんはあの直後トントン拍子に面接が進み、すぐに内定が出たとか。
「他人は他人、どうでもいいよ」
というか、二度と関わりたくない。
あんな厭らしい情念を露わにした蛇女。
腕を組まれた時は精気吸い取られるんじゃないかと思ったからな──って!
俺と出口の視線の先には、まさにその蛇女がいた。
周囲には男達が取り囲んでいる。
江田さんが手を振ってくる。
「あーっ、ちわわー」
俺達は犬か。
江田さんが出口に笑顔を向ける。
「出口さん、防衛庁おめでとう。順位どうだった?」
しかし目は全く笑ってない。
もう明らかに敵視している。
「まだ聞いてない」
さらっと嘘を吐き、猛牛のごとく突っかかろうとする江田さんをひらりとかわす。
並の組合せなら両者の間に火花が飛び散りそうなところ。
やはり出口の方が役者は上だ。
「そっかー。これからも色々会うはずだし、よろしくね。井戸君は国家一種どうだったの?」
「落ちた」
俺も嘘を吐く。
二度と関わりたくない以上、こう答えておいた方が無難だ。
あなたとは違う世界の住人になりましたよってことで。
「そっかー。アホ大じゃ仕方ないよねー」
へっ、と小馬鹿にした目線。
もうわかってるからどうでもいいけど。
次いで出口に顔を向ける。
「ねね。これからみんなで合格祝い行くんだけど、出口さんも行かない?」
心底嫌ってるんだろうに。
とりあえず抱き込んだ方が得策と考えたか。
「失礼するよ。ボクは井戸と先約があるから」
「ふーん? 落ちた人なんかの相手して、わたし達の誘いを断るんだ? みんな各省の内定者、選ばれた人間達を敵に回すのは後々のためにならないと思うけどなあ」
この増長ぶりは何!
恫喝そのものじゃないか!
しかし出口は全員を一瞥。
そしてにっこり笑った。
「覚えておくよ──」
出口が肩を組んでくる。
「──井戸、行こう」
離れたところで、声を掛ける。
「あいつら、ほっといていいの?」
「構わないよ。あんな幼稚な恫喝を真に受けるバカがいたところで、ボクの相手になるか」
ごもっとも。
江田さんに乗るとしても、まずは相手を確認してからにするだろうな。
どんなしっぺ返し食らうかわからないんだし。
「しかし、江田さんの態度すごかったなあ」
「無理もない。キャリア採用の決まった女の子は御姫様扱いされるから」
「どういうこと?」
「各省の内定出揃った辺りで、男性内定者による女性内定者の争奪戦が始まるんだ。とにかく早い者勝ちという感じで」
「また、なんで」
「男性内定者の方が女性内定者より圧倒的に多いだろう」
そこはわかる。
俺が聞きたいのはそういうことじゃない。
「別に女性内定者じゃなくても、他で彼女を見つければいいじゃないか」
「江田が『選ばれた』って言ってたろ? 男の側も選民意識のある人が結構いる。キャリア官僚以外人間じゃないなら恋人もキャリア官僚を選ぶしかないじゃないか」
く……くだらない。
「それって、ただの飾りじゃないか」
「実利面もあるよ。もう政治家の娘捕まえて地盤を継ぐって時代じゃない。キャリア官僚を妻にする方が霞ヶ関で戦っていくための武器が増えるメリットがある」
「そういう理由の方がまだ納得できるよ」
「その結果、霞ヶ関ではキャリア官僚の肩書を持ったゴリラの方が『同級生2』のヒロイン達よりも価値のあるものとされる」
「それはない! 十人いたら十人がエロゲーヒロイン選ぶだろ!」
「美人はいくらでもいるけどキャリア官僚の女は少ないから。いい加減に霞ヶ関の常識と世間の常識が違うというのを悟ろうよ」
「ゴリラが御姫様になる常識なんて悟りたくない」
「そこに来て江田は顔から言動に至る全てが、まるで二次元から抜け出たかのよう。霞ヶ関を舞台にしたエロゲーのトップヒロインとして君臨するのは当然だよ」
江田がトップヒロインの霞ヶ関エロゲーなんて攻略したくもない。
「恋愛くらい普通にすればいいのにな」
「まったくだね。二次元なら彼女を何人でも作れるけど、三次元では一人しか作れないんだから」
出口の感覚も色々間違ってる。
特にお前が作るべきは「彼女」じゃなく「彼氏」だ。
でもエロゲーだと何人でも攻略できるけど、現実の相手は一人。
その点には全く同意する。
いつかは俺もリアル人生のメインヒロインと出会う日が来るのだろう。
その日までは心ゆくまで甘酸っぱいエロゲーを楽しみたい。
「そういうことだな。早く高円寺に向かおうぜ」
別に出口の「エルフの本社がある高円寺で同級生聖地デートしましょう」というボケを真に受けたわけじゃない。
俺達二人が遊びに行くなら、まずはここしかあるまい。
「そうだな。早く駅に行こう」
「その前に肩離せ!」
「ボクの、この小さな胸に欲情するなんて、変態?」
「欲情以下略、暑苦しい!」




