EP18:1996年6月27日「ボクの行きたい官庁が一番の官庁だよ」
俺と出口は今、大蔵省の待合室にいる。
古いけど、だだっ広く重みの感じられる会議室。
他官庁と異なり、ゆったりした革張りの椅子。
こうして待っているだけで、自分まで偉くなったような錯覚にとらわれる。
会議室はしーんと静まりかえっている。
他の官庁では盛んな情報交換がほとんど行われていない。
みんな黙々と本を読んでいる。
恐らく二次試験の参考書だ。
ただ学生が会議室を出て行く時は何人かが手を振って見送っている。
つまり多くが知り合い同士、というか東大生なのだ。
受付の職員も他の官庁とは違っていた。
二年目と言ってたっけか。
もうこの時点で係長や補佐クラスが対応する他官庁とは違う。
声を出すのが憚られるので、筆談で会話。
【受付の人、にこやかで丁寧な対応だったな】
【賢いんだよ。某省と違って、むやみに敵を作ったら損だというのを知ってるから。その代わり真に受けたら手痛いしっぺ返し受けるぞ】
【言われるまでもなく頭の中で警報がガンガン鳴ったよ。ぶっちゃけ、怖い】
【その警報は、井戸の人を見る目が肥えてきた証拠だよ。見に来るだけの価値はあっただろ?】
そういう捉え方もあるのか。
もし内定獲れなければ一生関わることもないから、肥えても仕方ないんだけど。
いやダメだダメだ、絶対に内定獲るんだ!
というわけで、出口に聞いてみよう。
【農水ってこれからどうなるの?】
【三〇日の呼出しということは、面接後に別室で拘束掛けられるかが勝負だね】
【拘束?】
【他の官庁を回らせないため。つまりヒロインとのめくるめくエッチフラグが立ったってこと】
【おおっ! でも拘束されなかった場合は?】
【農水省だと残念ながらバッドエンドルート。ただ省庁によっては一旦そう見せかけて内定ということもあるから完全にアウトというわけでもない】
【と言うと?】
【内定部屋と落とされ部屋ってのがあってさ。落とされ部屋に回されながらも内定が出た例がある。逆に内定部屋で拘束されたのに最後でお断りされるケースもある】
ひえっ!
【そんなのもあるのかよ。どうしてそうなるわけ?】
【ここはボクの推測だけど、情報は持ってないけど成績優秀な学生が一次発表見て回る場合があるから入替するんじゃない? 七月一日過ぎたら官庁に一次の順位伝わってるから】
【ふんふん】
【それで落とされた側は悲惨。もうめぼしいところは終わってしまっているから巻き返しようがない。言ってみれば、最後のフラグを立て損ねた挙げ句にセーブデータごとゲームが吹っ飛んだようなものだよ】
そんな事態、考えたくもない。
【あと井戸は間違いなく評価されてるから考えなくてもいいけど、評価されていると思って実はまったくされてなかったというケースもある】
【江田さん?(笑)】
【あれは論外(爆) そうじゃなくてさ。言質をとらせないために、評価をお役所言葉で告げる場合が多いんだ。愛想までいいとくるから、気をつけないとボクでも騙される】
まさか出口の口からそんな台詞が出ようとは。
お役所言葉って、そこまでなのか。
【官庁訪問って難しいな……】
【エロゲーだって同じじゃん。攻略チャートを見ない本気プレイなら、エンディングを見るまでは正解を進んでいるのかわからないんだし】
【何でもエロゲーに繋げるのをやめろ】
【全ての事象はエロゲーで説明できる。いわばエロゲーは万物共通の真理だよ】
お前のエロゲー脳もエロゲーで説明できるのか問うてみたいよ。
──他の学生の会話が聞こえてきた。
小声ではあるが、部屋が静まりかえってるので聞き取れてしまう。
話しているのは隣に座る二人組。
まるでエロゲーの背景に描かれていそうな何の特徴もないモブ顔。
しかし聞こえてくる内容にはインパクトがある。
「大蔵省よりも警察庁行きたいなあ。一番人気はむしろあっちだし」
「四大のどこか入れれば十分、贅沢は言わないよ」
四大官庁は大蔵省、通産省、警察庁、自治省。
もう言ってる台詞が次元違いすぎる。
【一番人気って大蔵省じゃなく警察庁なの?】
【大蔵省は住専問題で評判落としてるから。一方の警察は日本がどう変わろうと絶対必要でしょ? あと権力を直接振るえるイメージがあるしね】
【自分の気に入らないヤツを逮捕するとか? 怖いなあ】
【そんなの表に出す人は採用されないよ。周囲だと根っからの正義漢か二重人格かな】
【余計に怖いんだが】
【経済系に限定すれば通産省が一番人気かな。華やかなイメージあるし、産業そのものを押さえてるのはやはり強い。切れ味鋭い論客が評価されるから、本当に頭いい人は通産省行くって言ってる人もいる】
なるほど。
俺にはまったく縁のなさそうな官庁だ。
──再び噂話が聞こえてくる。
「せめて省と名のつくとこ行きたいよなあ。但し世間体の悪い厚生省除く」
「ひどい落とし方してるって聞くからなあ……手の平返されたら俺達でも同じ扱い受けるかもと思うと、怖くて行けねえよ」
東大法学部すら怖がってるってダメじゃん。
郷原補佐や厚生省への恨み節じゃないだけ他官庁の会議室とは違うが、内容自体は似たようなものだ。
「そういえばあのバカ、防衛庁決まったらしいな」
「東大法学部の恥さらしには相応しいんじゃないか? あんな大蔵省と警察庁の植民地な三流官庁行ってどうすんのって感じだけど」
よりによって出口の前で。
「ざけんな!」と思ったときには、既に拳を握りしめてしまっていた。
──拳の上に、出口が手を載せてきた。
ひんやりした冷たさに驚いて拳を緩める。
出口は黙って首を振り、再びペンを取った。
【一流とか三流とか関係ない。ボクの行きたい官庁が一番の官庁だよ】
【でも……】
出口がふんと鼻を鳴らす。
【それにこの先、彼らは泣きをみるかもしれないし】
【どういうこと?】
【確かに東大法学部内でも成績などによる序列がある。下に対してはボロクソなのも聞いた通り。でも、どこか具体的に進んでる官庁があるように聞こえた?】
【そういえば……】
入りたいとか嫌とは言っているが。
それは自分自身の願望にしかすぎない。
【実はボク、もう防衛庁の内々定もらってる】
えっ!
驚きかけて、慌てて口を押さえた。
出口が苦笑いしながらペンを動かす。
【大蔵省終わった後で言おうと思ってたんだけどごめんね。ただ、もう各省庁とも、そういう時期に差し掛かってるってことだよ。】
【おめでとう! そしてなんとまあ……】
【ありがと。つまり現時点でどこからも声の掛かってない彼らも大したレベルじゃないってこと。東大法学部は確かに強いけど、それだけをもって通用するほど霞ヶ関は甘くない】
【同じ肩書を持つ学生は山ほどいるんだもんな】
【そういうこと】
──職員の呼出しが聞こえる。
「井戸さん、いますか~?」
「行ってくる」
「頑張って」