EP17:1996年6月26日「次は勝負所だよ」
「井戸さん、すごいねえ……びっくりしたよ」
「恐縮です」
謙遜してみせるも心の中でガッツポーズをする。
今会っているのは競馬監督課の方。
たまたま先に会った人と今年のダービーを三戦で制した競走馬の話題で盛り上がった。
すると次は競馬監督課を紹介されたのだ。
さすがにお役所の採用面接、自分からギャンブルを「興味」として持ち出すのは抵抗あった。
しかしこうなれば俺のフィールド。
競馬雑誌に書いてあるのは馬券戦術だけじゃない。
馬産の現状や市場開放など競馬にまつわる全ての周辺事情と評論が記されている。
好きなことなので興味持って読んでいたから知識は十分。
さらに普段から「こう書いてるけどこうすればいいんじゃないかなあ」というのを政策レベルで考えていた。
また、厚生省の悪夢以降、俺は「官庁訪問での話し方」を研究していた。
平岡係長との面談を参考にして。
平岡係長はグルメ漫画「美味しんぼ」を使って米の輸入自由化につき、現状認識・争点の摘示・賛成派と反対派それぞれからの争点の検討・自らの提案する政策という形で導いてくれた。
つまり俺が一人で話す時もこの通り話せばいいということになる。
実際に出口からも「それでいいよ」と言われた。
最初は頭がパンクしそうだったけど今は慣れた。
全ての条件が揃いに揃った、この面接。
しかも俺の主張は元々農水省寄り。
競馬監督課の方は俺の意見に対して全て反論してきたが、どちらも理屈立てて再反論することができた。
我ながら、まさにパーフェクトだ。
「ありがとうございました」
退室し、待合室へ向かいながら思う。
今回でようやく「官庁訪問での話し方」の感触を掴めた。
その一方で自分がこれまで頭を使ってこなかったことを反省させられた。
厚生省で言われた「当省を訪問する学生なら当然のレベル」は確かに間違ってない。
母子福祉や生活保護についても、このレベルで話せないといけなかったのだ。
それでもやっぱり一回で見切ることはないだろうと思うけどさ。
──待合室。
受付担当の、いつもの課長補佐がカレンダーを指さす。
「次は三〇日の一一時に来てもらえるかな。間隔空いちゃうんだけど、井戸さんに会って欲しい人が忙しくて時間とれないんだ」
会って欲しい人?
しかも先方から日時を指定されるなんて初めて。
日曜なのは合格発表前日なので驚かないけど。
まあ、何を言われたところで俺の返事は一つだ。
「はい、喜んで」
にっこり笑い、耳打ちをしてくる。
(次は勝負所だよ。頑張って)
おおっ!
これはもしかして、いやきっと、次のステップに上げてもらえたっぽい。
今日の面談が決め手になったのかな。
まさかアホ大の俺がファーストステージを勝ち抜けるなんて!
補佐が体を起こし、話を続けてくる。
「ところで、井戸さんの他省庁の訪問状況を知りたいんだけど……」
※※※
帰宅して、出口にメール。
【宛先:いぐじっと
差出人:イード
題名:やったぜ!
農水、上にあがったっぽい。
今後について教えて。
それと採用担当の課長補佐から「大蔵省を回るように」って勧められた。
本気でキャリア官僚になりたいなら見ておくだけでも後々活きるからって。
どういうことかよくわかんないんだけど、明日時間空いてたら付き合ってくれない?
大蔵省なんて「官庁の中の官庁」と呼ばれる受験戦争の最終ゴール。
とてもじゃないが一人で足を踏み入れる勇気ない。
なお、環境庁は動きなし】
しばらくすると返信が来た。
【宛先:イード
差出人:いぐじっと
題名:Re:やったぜ!
大蔵省の件はOK。
午前中授業あるから、一三時に田町のルノアールで合流してから行こう。
ボクは本命順調。
詳しくは明日話す。
農水の補佐さんは純粋な助言。
一つは、主計局が各省庁の予算を司ってるから。キャリアになるならいずれは折衝することになるし、今の内見ておけって話。
一つは、大蔵省の人材が別格だから。井戸は東大法学部じゃないから、視野を広げる意味で勧めたんだと思う。
ついでに。
厚生省は案の定切られた。
日曜の夜にOB総動員して東大生かき集めたって噂。
郷原補佐からは「本当に申し訳ない、君はどこかの官庁で間違いなく採用されるから」って深々と頭下げられたよ。
井戸にも、そのくらいの態度とってみろっていうんだ。
周囲もまとめて切られて、同じように慇懃な対応だったみたい。
あと、やっぱり待合室に江田いたよ。
目が合ったのに挨拶すらしてこなかった。
ボク、よっぽど嫌われてるっぽい(笑)
井戸にはどうでもいい(or耳に入れたくない)話かもだけど、情報ということで】
「っぽい」じゃなくて、絶対嫌われてるよ。
あの自己中女が、自分より注目集めそうな他の女の存在を許すわけがない。
というか、俺と出口はこの先何軒のルノアールに行くんだろうか?
ソファー気持ちいいから構わないけどさ。