EP16:1996年6月22日「どうして井戸がアホ大なわけ?」
土曜日だというのに、なぜかリクルートスーツでランチ中。
出口に「土曜日もやってるから体験談書くのに付き合って」と郵政省に誘われた帰りだからなのだが。
お店は俺達の間でもはや定番となってしまったルノアール。
サンドイッチをつまみ終え、アフターコーヒー飲みつつソファーにだらり。
ぼーっと、向かいの出口がメモを取り終えるのを待っている。
「終わった!」
「お疲れ、いいの書けた?」
「良くも悪くも特徴なさすぎて、何とも」
そうなんだよなあ。
たった一人しか会ってないのに決めつけるのもなんだけど、個性がない。
良く言えば、お役人らしいお役人か。
「テレビ局を監督してるからザギンでシースーってノリかと思ったけど」
「それ、偏見持ちすぎだから。世の中の郵便局員さんは雨の日も風の日も、毎日ボク達のために手紙を配達してくれるんだよ」
「出口こそ偏見だろう。今やマルチメディアの時代で郵政省の評価うなぎ登りなのに」
「そっちはどうしても通産省ってイメージがしちゃう。あっちの方が華やかだし」
二人とも大いなる誤解と曲解を繰り広げてる気がしなくもない。
郵政省さん、ごめんなさい。
別に次回のアポイント入れさせてもらえなかったの恨んでるわけじゃありませんから。
出口も声を掛けられていない。
農水省みたいに入れさせるところとそうでないところがあるから後者なのか、それとも単に切られたのか。
出口も郵政省には知人いないからわからないという話だった。
むしろ知らないからこそ、こうして体験談のための訪問をしたらしい。
「さてと。出口はこれからどうするの?」
「んー。久々の土曜日でオフだし『下級生』の続きやろうかなって。井戸は?」
「ウィンズ行こうと思ってる」
「ウィンズって競馬の場外馬券売場の? 競馬好きなの?」
好きというより、俺にとっては仕事なんだよな。
そうだ。
「暇してるんなら、出口も付き合う?」
「いいの?」
「馬券買うだけだし。官庁訪問のこと色々教えてもらってる代わりに、ちょこっといい思いさせてやるよ」
「へえ、楽しみ」
全然楽しみにしてないような無表情。
一〇〇パーセントじゃないけど、見てろよ。
※※※
ウィンズ銀座到着。
目当ては9レースの「しゃくなげステークス」。
一四時三〇分の発走だから、まだ余裕。
「騙されたと思って3-4、3-7、4-7買ってみ? 千円ずつで、さっきのランチ代くらいは出ると思う」
「随分な自信だねえ」
「落馬とか骨折事故がない限り、どこまで行ってもこの三頭で決まるよ」
「と言うかさ。普通こういうのって競馬新聞の読み方から教えてくれるものじゃない?」
「このレース終わったら教えてやる。準メインとメインは一〇〇円ずつ遊べ」
マークシートの書き方を教えて、二人で記入。
一緒に並び馬券を買う。
──レース開始。
〔4番、今先頭でゴールイン! 二馬身離れて二着には7番が入線。二番人気と一番人気の組合せで決まりました〕
「すごい、すごい! 当たった! 当たった!」
出口でも、こんな無邪気にはしゃぐんだねえ。
「おめでと。最終オッズは4.1倍だったか。ちょうどランチ代プラスアルファだな」
「うんうん。井戸はいくら買ったの?」
馬券を見せる。
「三万円ずつの九万円!? なんで、そんなに買えるの?」
「言ったじゃん。アクシデントなければどこまで行っても、この三頭って」
競馬に絶対はないから一レースにつき一〇万円以上使うことはないけど。
「いや、それでも買いすぎな気が……」
驚嘆半分、呆れ半分の白い目。
そりゃなあ、何と言ってもギャンブルだし。
「俺、馬券で生活してるからさ」
「馬券で生活!? なんで? どうして? 必勝法でもあるの?」
「必勝法というか……出口なら見ればわかるよ。ちょっとこっち来て」
建物を出て、ちょっと離れた場所に移動。
カバンから98ノートを取りだしてみせる。
「これは俺オリジナルの競馬予想プログラム。出口なら多変量解析はわかるよな?」
「当然」
「あれを用いて作ってる。競走馬の各データはJRAからダウンロードできるんだ。そこでデータの必要な部分を変数にして、モデル作ったってわけ」
「ふむふむ」
「さっきの9レースはこれ。上位三頭の数値がずば抜けてるでしょ? 経験上、このケースだと九五パーセント、この三頭で決まる」
「ふむふむ」
「こうしたほぼ確実に勝てるレースだけを勝負して、生活費を捻出してる」
母が死んだ後、生活保護は打ち切られた。
幸い大学の入学金と授業料は足りたものの、生活費に追われてしばらくはバイト三昧だった。
そんな折、大学の友人からパソコンによる競馬予想が流行ってるという話を聞いた。
情報を集めてみると、データをどう料理するかが鍵らしかった。
そこで最初は手作業でやってみたところ、そこそこ当たった。
これならとパソコン代を工面して購入、さらにプログラム言語を覚えて自分で組んだ。
あとは厩舎情報の信用できるスポーツ新聞や夕刊紙で結果を修正。
実績として、少なくともこの半年バイトせず勉強に専念できたくらいには稼げている。
「すごい! 多変量解析にこんな使い途があるんだ」
「数学だけはそれなりに得意だから」
「いや、これ、それなりって次元じゃないよ。方法を知っていても、大事なのはどうモデルを組むか。経済分析では、みんなそこで苦労するのに」
「出口にべた褒めされるなんて気持ち悪いな。プログラム系の情報はニフティサーブのフォーラムで情報交換できるし、何から何まで一から思いついたわけじゃない」
ううん、と首を振る。
「すっごく聞きたいんだけど」
「ん?」
「どうして井戸がアホ大なわけ? バカにするように聞こえたら悪いけど、国家一種の点数といい、どうみてもアホ大の学生のレベルじゃないよ」
「親が入院してさ、世話する時間を捻出するため推薦で早めに決めたんだ。ただ底辺高校だし、受験しててもやっぱりアホ大と思う」
あと国家一種は山と勧が頂点極まっただけだから。
都庁上級の願書は出してるけど、出題内容は行政職みたいなものだから絶対に落ちる自信ある。
七月上旬の国家二種もまず無理だ。
「じゃあ、その底辺高校へはどうして?」
「数学以外は本当にアホなんだよ。数学だって底辺高校ではずっとトップだったってくらいの意識しかない」
なんせ生徒はみんなダボダボのブレザー&スラックスなヤンキールックの高校だからな。
大学行った同級生自体が数えるほどしかいない。
他はもう以下略って感じだ。
出口が頭を下げた。
「ごめん、変なこと聞いた」
「別にいいよ。わかってるから」
学歴だけで人間判断するような奴なら、そもそもここにいない。
そして、こんな話をすることもないのだから。
出口が頭を上げる。
「さっきニフティサーブって言ったよね。だったらメール用にID交換しようか」
「出口もやってるの?」
「一八禁ゲームフォーラムに出入りしてるから。雑談もそうだけど、どうしても攻略わからない場合に頼ってる」
「オッケー」
出口がIDとハンドルを記したメモを差し出してくる。
俺も渡──す?
「ええっ! ハンドル『イード』って、半年前までエロゲー発売後すぐにエロゲー攻略フローチャートをエロゲーフォーラムにアップしてた、あのイード!?」
エロゲー、エロゲーと大声で連呼しないでくれ。
俺も恥ずかしいが、お前はもっと変な目で見つめられてるぞ。
「よく知ってるな」
「エロゲーフォーラムに出入りしてて知らない人はいないよ。アップ早いし、わかりやすいし、まさに『エロゲー神』じゃん」
そんな二つ名、まったくありがたくない。
しかし出口は一人で興奮し続けている。
「ボク、心から井戸を尊敬するよ。ああ、まさかイードと直接知り合えるなんて。官庁訪問してて本当によかった」
お前、もう何から何まで間違ってるよ。




