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君だけの青春が、ここにある  作者: 天満川鈴
前章:21年前
15/31

EP15:1996年6月21日「わっしょいわっしょいだよ」

 農水省の待合室。

 月水金と一日置きに訪問しての三回目。

 午前中に来ても午後三時とかに終わるし、回っているのは農水省だけではない。

 時間も体もかなりしんどい。

 だけど今は踏ん張り所だし気を引き締めないと。

 むしろこれだけ待たされるのは、きっと先方も忙しい合間を縫って時間を作ってくれてるからだしお互い様と思うようにしている。


 でも、疲れてるのは疲れてる。

 体力を回復すべく、机に突っ伏して仮眠をとる。

 本当なら他の学生と雑談して情報を仕入れた方がいいのかもしれない。

 しかしアホ大と名乗ると、みんな可哀相な人を見る目を向ける。

 それが嫌になって誰とも話さなくなった。

 出口も他の学生との交流について「情報が仕入れられるメリットがある代わりに、噂に振り回されるデメリットもあるから痛し痒し」と言っていた。

 なので、俺には出口だけでいいと割り切った。

 出口に頼り切るのも申し訳ないが、そこはエロゲー同志と思って我慢してもらおう。


 ──学生達の噂話が聞こえてくる。


「厚生省潰れやがれ!」


「ごうはら、しーね! ごうはら、しーね!」


 あれからどこの官庁の待合室に行っても、厚生省と郷原補佐への恨み節が学生達の話題になっていた。

 聞こえてくる話だと、翌日以降もモラハラは繰り返され被害者がさらに増えたらしい。


 正直、厚生省の話は耳にしたくないのが本音だ。

 怒りがフラッシュバックするし、出口から真相を聞いているからというのもある。

 ただ一番大きい理由は、単に一緒になって騒ぐ気になれない。

 他人を呪わば自分に返ってきそうな気がして。


 みんなが騒ぐ気持ちはもちろんわかる。

 あんなことして恨まれないはずがないし、言いふらされて当然だ。

 俺だって呪わないだけで怒ってはいる。

 それこそ「バカ」でもわかる話。

 厚生省こそ、郷原補佐こそ、「バカ」じゃないのかと思うけどな。


「井戸さん、いますか~」


「は~い」


 ──面談終了、今日も無事にアポを入れさせてもらえた。


 農水省で紹介してもらっているのはヒラから課長補佐まで満遍なくの三人。

 出口によれば、農水省の原課訪問における肩書は関係ないらしい。

 ステップ上がれば明らかにわかるという話だった。


 聞こえてくる噂だと、既に上のステップへ進んだ学生もいるとか。

 でも気にしたって仕方ない。

 例え本当でもどうにもならないのだから、焦ってしまうだけ。

 今は俺にできることをやるだけだ。


※※※


 環境庁へ向かう。

 厚生省と同じ庁舎なところに抵抗を感じるが、そんなことを気にしていては官庁訪問なんてできない。


 出口と飲んだ翌日、早速環境庁に向かった。

 聞いた通り、環境庁はいくらでも理想論で話せる感じだった。

 職員達の反応はどれも「現実は考えないといけないけど、まず理想を持たないと環境を守ることはできない」だった。

 これがきっと、普通の人の感覚だよなあ。

 やっぱり「現実は考えないといけない」とは口にする。

 特に企業側の代弁者たる通産省とは水と油みたいだし、省庁間の力関係もあってなかなか思うようにいかないのが実情とも言っていた。

 でも始めに理想あっての妥協、そのスタンスには好感が持てる。


 また会った職員みんなが、農水省とは別の意味で、世間の抱きそうなキャリア官僚のイメージから掛け離れていた。

 威張るどころか気弱そう。

 でも優しくて、人当たりよくて、どこか芯がある。

 おまけに採用は元々東大じゃない人ばかりなので学歴関係ないと話していた。

 かなり気に入って、本日で火木金と三回目の訪問となる。


 ──待機部屋に入ると、先客達が例の話題で盛り上がっていた。


「ねね、薬害エイズ反対運動してる市民団体に郷原補佐のことチクろうよ」


「テレビ局の方がいいんじゃない?」


「週刊文秋はどう? 去年、官庁訪問が就職協定破ってる実態暴露してたしさ」


 報復を討議しあっているのは女性陣。

 具体的で、しかも本気で騒動にする気満々。

 こんなの見ると三次元女性から逃亡したくなる──って。


「江田さんじゃん」


「あ、井戸君。こないだぶり~、元気してた?」


 けらけらと笑う。

 どうやらお酒の誘いぶっちぎったことは気にしていないようだ。


 隣には備前君。


「井戸君、こないだぶり」


 しかし和やかな口調の挨拶と裏腹に、明らかな仏頂面。

 敵意すら感じる。

 俺、何もした覚えないぞ。


 いや、もしかして。

 空気を読んで江田さんに尋ねてみる。


「江田さんと備前君、二人で一緒に回ってるの?」


「うん、あれからずっとね」


 江田さんが備前君を見つめ、同時に備前君の顔が緩んだ。

 二人の顔の距離も近いし、寄り添っているようにすら見える。

 やっぱり……。


 備前君、身代わりになってくれてありがとう。

 あの後どうなったかは察しがついた。

 エロゲーを愛する身としてはフラグをすっ飛ばして女の子とそんな仲になりたくない。


 さて、他に空いている椅子もない。

 仕方ないので江田さんの隣に腰を下ろす。


「二人とも他にどこ回ってるの?」


「厚生省が本線で、あとは運輸省とか女性採ってくれそうなとこ」


 はい!?

 心の中で声がひっくり返ってしまった。


「まだ厚生省回ってるの?」


 あんなこと言われて、しかもこれだけ怒ってて。


「だって女性の地位向上目指すなら厚生省しかないもの」


「労働省があるじゃん」


 女性への支援ならともかく、地位向上なら労働省の方がベストとすら思う。


「労働省も魅力的だけど~、就職協定守らないといけない役所だから七月一日にならないと回れないし~。わたし、労働行政なんて何やってるか知らないし~」


 まったく感情が篭もってない。

 さすがに俺でも「労働省なんて嫌だよ」って言ってるのがわかった。


「じゃあ環境庁は?」


「『わたしの地球を守ってる』とか言い方すると何となく格好いいじゃん。格が高いとは言えないけど、わたしのイメージには合ってるかなって」


 つまり官庁を格とイメージで選んでるということか。

 労働省は他省庁より格が低いとされてるし。

 ミーハーというのかブランド志向というのか。

 本当はやりたいことなんてないんだろうな。

 出口の「ボクの生活はボクが守る」とは台詞の重みがまるで違う。

 俺も学歴不問&会った職員の印象で回ってるだけだから、他人のことは言えないけどさ。


 江田さんが自分の話さえ聞いてもらえれば満足するのは重々承知してる。

 どうせこの場だけの付き合い、面接呼ばれるまで実のない会話を続けよう。


「その後の厚生省の手応えは?」


「『現実を見たまえ』とか『君にキャリアは無理』の繰り返しで、えーんえーんって感じ」


 目をこするジェスチャーで泣き真似をしてみせる。

 これが官庁訪問初日なら可愛く思ってたかもな。

 今はただウザい、素っ気なく返す。


「そうだろうな」


「でも井戸君みたいに『二度と来なくていい』と言われたわけじゃないよ」


 イラッとさせやがる。

 「わたしの方が井戸君より上なんだよ」ってことだろう。

 それくらい自覚してるよ。

 でも江田さんだって空気読めてないだけで、お断りな状況は同じじゃないか。


 ……とは言えない。


「江田さん、俺と違って一流大学だし。実はきっと評価してもらえてるんだよ」


 俺も嘘が上手くなった。


「わたしもそう思う。厚生省は『優しさ』を武器に『弱者を救う』という理想を掲げて働く役所。でも現実をちゃんと見据えないといけないから、わざと厳しいこと言って信念どこまで貫けるかなって」


 なんてお花畑な思考回路。

 アホ大の俺に言われたくないだろうけど、学歴があろうと何だろうとバカすぎる。

 ここまで言われて選考落ちしてるのに気づかないなんてありえない。


 ああ、恐るべき自己中。

 よく言えば純粋なのかもしれないけど。

 「かわいい子にキャリア官僚は無理」は真理かもしれない。

 かわいい子って常に自分を肯定されるし、甘えが通ってしまうから。


 おっと、いけない。

 つまらなさそうな視線を寄越している備前君をフォローしよう。


「備前君はどこ回ってるの?」


麻衣・・と同じとこ。特に行きたい役所があるわけじゃないし」


 別に下の名前強調しなくていいよ。

 江田さんに欠片も興味ないから。

 下の名前は電話番号と一緒に書いてた気がするけど、今の今まで忘れてたし。


 と言うか、もっとバカがいた。

 いったい何しに霞ヶ関回りしてるんだ。

 早稲田なんて慶應と並ぶ私学の頂点だろうに。


 頭痛くなってきた。

 今だと出口が二人と関わろうとしなかったのもよくわかる。

 できれば話を切り上げて逃げたい。


 ただ、お節介かもしれないけど、これだけは言っとこう。

 あまりに見ていられない。


「本気で厚生省入りたいなら、市民団体やマスコミへの通報は止めた方がいいんじゃない?」


 いったいバレたらどうなることか。

 しかし江田さんは零れそうに大きな瞳を輝かせ、あっけらかんと言い放った。


「そうやって厚生省の評判下げてライバル減らすんじゃん。その分わたしの採用される確率が上がるもの」


 開いた口がふさがらない。

 これで話は終わり。

 参考書出して二次試験の勉強しよう。


 ……思ったら、江田さんがスーツの袖を引っ張ってきた。


「ねね、井戸君も一緒にやろ? 井戸君の悲劇なんて特に派手だしマスコミは絶対飛びつくよ。ここはお祭り、わっしょいわっしょいだよ」


 冗談じゃない。

 何が「わっしょいわっしょい」だ。


 確かにあの時は泣きたくなるくらい口惜しかった。

 でもその物言いは単にお笑いネタにしてるだけじゃないか。

 もっと言えば自分が表に出ず、俺を利用して騒ぎにしようという魂胆丸見え。

 郷原補佐は確かに人でなし。

 だけど江田さんも形を変えただけの人でなしだ。

 この女には、もう二度と関わりたくない。


 ──職員の呼ぶ声が聞こえる。


「井戸さん、いますかー?」


 助かった、これで逃げられる。


「呼ばれたから行くね。じゃ、また今度」


 もちろん今度なんてないけどさ。


 そそくさと江田さん達を背にして思う。

 もちろん郷原補佐は許せない。

 だけど出口に愚痴った気持ちだけは少しわかった気がした。

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