EP11:1996年6月17日「あれはボクから見てもおかしい」
読み終えた感想を告げる。
「出口が公式の場だと『私』って言ってるのはわかった」
「まず、そこ?」
「重要だろう」
「まさか面接の場で口説かれるなんてないからね」
何食わぬ顔で言いやがる。
「本題に入るけど、どうしてあんなに人気あったのかと思えば。人気落ちるかもくらいは思ったけど、アホ大の俺でも『東大じゃない自分でも』だなんて考えなかったぞ」
どこに行ったってアホ大扱いは変わらないからだけど。
それでも普通はやりたい仕事があるところに行くと思う。
「卑屈とは思うけど、そう考えること自体は否定しないよ。昨日も言ったけど、例え合格したって内定獲れなければ合格通知の紙切れ一枚残るだけなんだから」
まあ、俺も他人のこと言ってられないか。
「薬害エイズや暴露本の件って批判はもちろんだけど口にするだけでもアウト?」
叩きのめされぱなしで、とても質問する気になれなかったけど。
「口にするイコール批判だよ。厚生省側はノーコメントって答えるしかないんだから。叩かれてる現状が答えになってしまう」
「ああ、そっか。危なかったな、もしかしたら口にしてしまうところだった」
「今後は気をつけるんだね。例えれば、ボクに百合の噂が流れているとする。そこで井戸がボクを口説きたいと思ってるくせに『出口って百合なの?』と聞くようなものだよ」
理解したけど、その例えは何だ。
「せめて『エロゲーでヒロインの意向を無視する選択肢選んだらフラグが折れる』とかにできないか?」
「どっちでもいいよ」
素っ気なく答えを返すと、アイスコーヒーのストローに口を付けた。
無視されたようで悲しくなる。
でも……。
「厚生行政については、俺もろくな受け答えできなかったしな。むかつきはするけど、あんな目に遭わされるのは仕方ないのかも」
しかし出口は首を振った。
「それは違う。あれはボクから見てもおかしい」
「ん?」
「怒るのと非礼な対応が許されるのは別問題。『怒ったから憂さ晴らしにやりました』なんて、どこの子供の言い訳だよ」
「それはまあ」
「江田や備前の話までは『圧迫面接かも』くらいに思った。霞ヶ関で圧迫面接なんて聞いたことないけどさ」
「そうなんだ」
「郷原補佐の言う通り、面接で重視されるのは頭の良さ。圧迫して答えられなくしちゃったら意味ないじゃん。政策に関する質問で既に圧迫してるようなものなんだしさ」
「なるほど」
「だけど井戸への対応は誰が聞いてもモラハラだよ。非礼で非常識極まりない」
きっぱりとした口調。
内心では苛立たしく思っていたのが伝わってくる。
「出口がまともな感覚の人間で安心したよ」
「あれをおかしいと思えないなら、官庁訪問より精神科の予約をとるべきだと思うよ?」
「違いない」
出口が「ははっ」と乾いた笑いを返す。
「どっちにしろ、本気で『母子家庭のために尽くしたい』と考えてるなら厚生省で働くのは無理。仮に採用されても一年で辞めちゃうと思う」
「どういうことだ?」
「ボクの先輩の話をしよう。先輩は誰からも『優しい』と評される人だった。『弱者を助けたい』と本気で考え、国家一種を上位でパスし、厚生省に採用された」
「ふんふん」
「先輩が配属されたのは『原爆訴訟』の担当課だった。先輩は寿命の限られた被爆者のために一刻も早く全力で取り組まなければならないと考え『私の仕事は何ですか! 頑張ります!』と申し出た」
「いい人だなあ。すごく共感できる」
俺も同じ立場だったら、きっとそうする。
「しかし上司の答えは、『仕事はない、それが私達の仕事だ』だった」
はい?
「意味不明なんだけど」
「先輩も意味がわからず問い直した。その理由を聞いて愕然とし、厚生省に失望して辞表を出した」
はい!?
「その答えってのは?」
「『私達が仕事しなければ訴訟は長引く。訴訟が長引けば長引くほど被爆者達は死んでいく。そうやって支払う賠償金を一円でも減らすのが私達の仕事だ』」
ありえない。
生々しすぎて、逆に現実味が全く感じられない。
「厚生省、本当に『人殺し』じゃないか! 薬害エイズと何が違うんだ!」
「そこは違う。薬害エイズと違って、原爆を落としたのはアメリカ。厚生省は『人でなし』ではあるけど『人殺し』ではない」
「何を冷静に反論してる!」
出口が手の平を突き立て「まあまあ」と取りなしてきた。
「これが彼らの言う『予算という枠』の中で考え『現実を見る』ってことだよ。さすがに厚生省は『人の心をなくせないと通用しない』と言われてるけどね」
「そんな現実見たくないなあ」
「でもどこの官庁だって、いや民間だって、多かれ少なかれこういうのはあると思うよ。現実をどう受け止めどう折り合うかが『大人になる』ってことなんじゃないかな」
「そんな大人なりたくないなあ」
「あんなモラハラ受けて黙ってる時点で、他のみんなに比べれば十分に大人だよ」
だって喚いたところで何の得もない。
憂さすら晴れるか怪しいんだから、黙ってた方が合理的だ。
……なるほど、俺って大人かもしれない。
そういえば。
出口って明らかに他のみんなを見下してるけど。
「もしかして江田達に連絡先教えるのを躊躇したのは?」
出口の長い睫毛が一瞬ピクリと跳ねる。
しかしいつも通りの口調で淡々と続けた。
「声を掛けられてない学生と話したって得るものないもの。しかも二人は行政職だしね」
ん?
「行政職って何か問題あるの?」
「いわば『職種フィルター』。行政職って、どこの官庁も採りたがらないんだ。門前払いというほどでもないけど内定の壁は厚い」
「倍率百倍とかで一番難しそうなのに」
「母集団の問題だよ。法律職は東大法学部、経済職は東大経済学部や理系学部など受験戦争勝ち抜いてきた人達との戦いだけど、行政職は大半が地方上級や国家二種との掛け持ち組。実質的な難易度は低いよ」
「ふんふん」
「極端に言えば、井戸だって小学生に混じればトップ獲れる自信あるだろ?」
「……ない」
言葉に詰まってしまったじゃないか。
こんなひどい例えに「ない」と答えざるをえないアホ大が悲しい。
なんせ巷では「小学生よりバカ」と言われてるからな。
「ごめん、ボクが悪かった」
なんて気まずそうな表情。
ここは卑屈な物言いした俺が悪い。
黙って首を振り、さらりと返す。
「説明の趣旨はわかったよ。数字のマジックだなあ」
「付け加えると、法律職も経済職も一定の専門知識と論理力が担保される。一方の行政職は広く浅くな上に暗記だけで受かっちゃう。そこも嫌われる理由」
「じゃあどうして江田さんや備前君は行政職で受けたんだろ?」
「職種フィルターって意外に知られてないから。ボクにしてみれば井戸を見下してた二人の方がよっぽどかわいそうな人達だよ」
アホ大の俺よりかわいそう扱いされる二人って。
ただ見下されてたのは自覚してるし同情する気にはなれない。
「ありがと」
と言っておく。
恐らく学歴コンプな俺に気を使ってくれてるから、はっきり口にしてるんだろうし。
「じゃあ次は具体的な話に移ろうか」
「その前に。『いいところ♪』ってどこだよ。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか?」
「着いてからのお楽しみ。数十分後にはわかるよ」
「わかったよ。じゃあサンドイッチでも頼むかな」
しかし手にしたメニューを採り上げられた。
「ここで食べ物は無し」
「なんでやねん」
「もっと遅い時間に二人でゆっくりディナーしたいからさ」
なんてわざとらしい、フラグが立ったかのような台詞。
逆に「そんなわけないでしょ」と言っているようなもの。
本当にいったい何なんだ。