EP10:1996年6月17日「バカバカ繰り返してるけど本当にバカすぎる」
待ち合わせ時刻の五分前。
アイスコーヒーを啜っていたところに、出口がやってきた。
「お待たせ。もう来てたの?」
「特に用事もないし、人は待たせない主義」
「いいことだ。霞ヶ関だと『役人の仕事は一に時間を守る事』って言われるくらいだし」
「そうなんだ」
「外務省は時差のある相手と働いてるせいでルーズらしいけどね」
出口も腰掛け、アイスコーヒーを注文する。
「あー、やっぱりソファーがふかふかでゆったり~」
涼しげに感じさせる顔だが、汗の一つもかいてないのが空恐ろしい。
外は結構蒸し暑いんだけどな。
──届いたアイスコーヒーに口をつけてから、出口が身を乗り出してきた。
「早速本題から入るよ。もう厚生省回るのは止めときな、時間のムダだから」
「言われるまでもなく、二度と回る気ないよ」
行きたかったところだけど仕方ない。
「厚生省は何度回っても無駄」とはっきり言われたんだから。
「それならいいんだけどさ。実はもう厚生省の採用枠って埋まってるんだ」
はあ!?
「どういうこと?」
「現在の厚生省を取り巻く状況は説明するまでもないよね」
「薬害エイズに暴露本にってことだろ」
出口が頷く。
「厚生省は『このままだと誰も来てくれないかも』と危機を感じたんだ。そこで職員に命じて優秀な学生をピックアップ。一本釣りを始めたのさ」
ちょっと待て。
「今日ってまだ、国家一種試験の翌々日だったよな?」
「試験前からだよ。情報は大学の教授や法律・行政系サークルから仕入れられる。ボクみたいに既に合格資格を持っている人もいる。そういう人達に『面接優遇するから訪問してくれ』と話を振ってきたわけ」
「つまり、青田買い?」
出口が頷く。
「ボクも先輩に誘われた一人。優遇してくれるって言うなら訪問しない手はない。それで第一志望を回ってから厚生省に顔出したんだ」
「なんてこった……」
今年の国家一種が例年より一週間遅くなったのは民間企業との兼ね合いって話なのに。
就職協定なんて有名無実もいいところじゃないか。
「ボクの周りだけでも何人かいるし、間違いなく採用予定数以上に声を掛けてる」
「でも結局は、誰も来てくれないどころか大盛況だったよな」
正直言って他の学生は逃げると思ってたけど、とんでもなかった。
業務の内容的に女子が集まるのはわかるけど男子も多かった。
どうしてあんなに賑わったのか。
「そこが問題でさ。井戸は見たくないかもしれないけど、見てほしい──」
出口が手帳を差し出してきた。
「──ボクと郷原補佐の面接を再現したメモだよ」
どれどれ……こ、これは!
※※※
面接再現 6/17 厚生省初回
郷原補佐はにこにこ顔。
待機室で聞いていた話と全く違う。
まず国民年金の基本的論点についての質問。
回答を示す。
郷原「出口さん、さすがだね。まさにその通りだよ」
ボク「恐れ入ります」
郷原「まったく。我々の志を理解してくれない国民達はバカで困る」
ボク「おっしゃる通りです。でも国民は目先のことしか考えないもの。いずれは厚生省の崇高な志に感謝する日が来るでしょう」
郷原「そうであるといいんだがね」
郷原補佐が訪問票を手に取る。
郷原「志望動機は『社会福祉という国民の生活と密着した業務に携わりたいから』と……」
言葉が止まってしまった。
ボク「何かおかしいでしょうか?」
郷原「いや、失礼。口にしてしまっただけだ」
ボク「そうですか」
郷原「私達は優秀かどうかだけを重視している。例えばさっきの質問にすらすら答えられるような、ね。こんな志望動機の欄なんてどうでもいい」
(確かに霞ヶ関では志望動機なんて重視しない。でも、ここまではっきり口にするとは)
郷原「しかし昨年の合格順位すごいねえ」
ボク「恐れ入ります。ただ法律職ではなく経済職ですし、取り立てて自慢できるものではありません」
郷原「いやいや、どこの官庁でも胸張って回れる成績だよ」
ボク「ありがとうございます」
郷原「本来は国家一種に合格しているだけでも賞賛に値するところ。まぐれだとこんな順位は獲れないし、私達もまぐれで合格した人は採りたくない。既に合格しているというのは大きなセールスポイントと思って構わない」
(持ち上げぶりすごいなあ。全てを真に受けるほどおめでたくはないつもりだけど)
郷原「出口さんには来週から始まる次のステップに進んでもらう。各部局の優秀な職員達と面談して我が省に対する理解を深め、然る後に私より上の者と会ってもらいたい。二四日月曜日の一四時でどうかな」
ボク「ありがとうございます、その時間で大丈夫です」
アポイント表に記入し終えた郷原補佐が溜息をつく。
郷原「ふう……あ、すまない」
ボク「いえ。どうなされたのでしょう」
郷原「ようやく、まともな面接ができたものでな。みんなが出口さんみたいに優秀ならいいのだが」
ボク「恐れ入ります。でも会議室は訪問者で溢れかえっているじゃありませんか。私はたかだか慶應の身。あの中には東大生を始め、真に優秀と呼ぶに値する学生はごろごろいるでしょう」
郷原補佐が拳を握り、歯ぎしりする。
郷原「とんでもない。あいつらは我が省をなめきった能無しどもだ」
(ええっ!? まさかの返答に言葉が詰まってしまう)
ボク「……申し訳ございません。私の口からは何とも申し上げようがありません」
郷原「賢明な回答だ」
郷原補佐が微笑を浮かべる。
郷原「私から続けるが、我が省の現状は承知しているだろう?」
ボク「世間から厳しい批判に晒されていることくらいは」
郷原「構わない。なんせ我が省は『人殺し』呼ばわりされている身だからな。会議室の学生達は、その弱みにつけこんできているんだ」
ボク「と、言いますと?」
郷原「『今年の厚生省は人気が落ちる、それなら東大じゃない自分でも入れる』、そう判断して訪問してきたんだ」
(そんなところだろうというのは待合室でもわかった。でも、ここはフォローしないと)
ボク「そんなことはありません。社会福祉という国民の生活と密着した業務を主とする厚生省が人気を博するのは当然のことです」
郷原「その本音を実際に口にしたバカまでいるよ。ついでに薬害エイズ問題や暴露本のネタを採り上げて『厚生省はどうなっているんですか』と批判してきたバカもな。そのくせ厚生行政については何一つまともに答えられない」
ボク「そ、それは……」
(バカバカ繰り返してるけど本当にバカすぎる。いったい何しに来たんだ)
郷原「絶句するだろう。会議室の学生のほとんどがそんなレベル。一方で東大生については危惧した通り。女性はともかく男性からは見放されてしまった有様だ」
ボク「失礼ながら、『お察し申し上げます』としか……」
郷原補佐が、ふっと笑う。
郷原「私こそ愚痴を言ってすまなかった。来週を楽しみにしているよ」
ボク「御期待に添えるよう頑張ります。失礼します」
※※※