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EP01:2017年6月某日「さすがは『あの』官庁訪問で採用された女性だと思ったりする」

 パソコンモニターの灯りが眼球を突き刺してくる。

 いつの間にか部屋は薄暗くなっていた。

 壁一面にはめこまれたガラス窓からは月の灯りが射し込んでいる。

 広いだけしか取り柄のない部屋は、観葉植物と応接セットから伸びる影で黒く彩られていた。

 時計を見ると二〇時前。

 仕事に夢中になって、すっかり時を忘れてしまっていた。


 でもちょうど仕事が一息ついたところだ。

 完成した資料をメールで送信、照明を灯す。

 次に取りかかる前にコーヒーを飲もう。

 ワーキングチェアに背を思い切り傾けて伸ば──すと、ノック音。


「社長、入ります」


 秘書の田中君だった。


 低く抑えた通りのよい発声、後ろで結わえてまとめ上げた髪。

 細長い卵型の黒縁眼鏡に控えめな化粧。

 黒のパンツスーツに白のブラウスを組み合わせた個性の無いコーディネート。

 押しつけがましくないストイックな身なりは、まさに秘書の鏡だ。


「どうした?」


「そろそろコーヒーが飲みたくなった頃じゃないかと思いまして」


 その言葉通り、手にはコーヒーカップとポットの乗せられたトレイ。

 いつものことながら、つくづく気が効く。


 差し出されたカップに、とくとくとコーヒーが注がれていく。

 背筋を伸ばしながらポットを傾ける様は、秘書というより執事を連想させる。


「政府の仕事ですし根を詰めるのはわかります。ですが、程々にしてくださいませ」


「麗しき田中君の入れてくれたコーヒーが飲めるなら、いくらでも頑張れようってものさ」


「社長、セクハラです」


 どうしてそうなる。

 笑っているし、本気で言っているわけではなかろうが。


 実際に、田中君の入れてくれるコーヒーは濃厚で美味い。

 本人曰く「豆を挽いて、ポットに入れて、お湯を注ぎ込んで四分待つだけです」。

 まるでインスタントラーメンのような方法で美味しく入れてしまうのだから大したものだ。


 コーヒーに口をつけたところで、田中君が口を開く。


「社長、早川書房の鈴木様から取材の申入れがありました」


 また?

 鈴木さんは週刊誌の女性記者で、以前に取材を受けたことがある。


「今度はどんな用件?」


「【あなたも見習え! 実業界で活躍するステキなおじさま10人】とか」


「年中、白衣を着て仕事している私のどこがステキなんだ?」


「年中、春風を思わせる爽やかなお顔立ちをしてらっしゃいますから」


 バカらしい。


 最初の取材は仕事絡みだったので受けた。

 でもその後は自分である必要のない企画ばかりなので断り続けている。

 週刊誌の女性記者というのは、こうも厚かましいものなのか。

 美人で独身なら誰もがホイホイ擦り寄るとでも思ってるのか。


「断ってくれ」


「そうおっしゃると思いまして、もうお断りの返事をさしあげました」


 さすがだ。いや、それより……。


「帰っていいんだぞ。とっくに終業時刻は過ぎている。我が社には上司に付き合って残業するなどというバカな風習はないはずだ」


「自主的に残業しているので、お気になさらず。格好よくて優しい社長の下で働けるなら、いくらでも頑張らせていただきます」


「茶化すな」


 田中君が目元を僅かに緩め、ふふっと微笑む。


「社員達みんなそう言ってますから御安心ください。特に今日はパワハラのニュースを見ながら『社長がこんな人じゃなくてよかったよな』と盛り上がってました」


「パワハラのニュース? なんだい、それは?」


「御存知ありませんか? 女性政治家が秘書に悪質なパワハラしていたのを週刊誌がスクープしまして。ネットもテレビもその話題で持ちきりです」


「全く知らない」


「社長も少しは世情に興味を持った方がよろしいと思います」


 だって忙しいし、興味もない。

 仕事に必要なニュースは田中君がまとめてシェアしてくれるから自ら探す必要はない。


 ただ、そこまで話題というなら知っておくべきだろう。


「何か、そのニュースがわかるものを持ってきてくれないか?」


「そうおっしゃると思いまして、既に用意してます──」


 田中君がトレイを引っ繰り返す。

 その裏には週刊誌「週刊パスタ」が貼り付けられていた。


「──どうぞ」


 週刊パスタを引きはがし、手渡してくる。

 さすがだ……と言いたいが、これは少々間抜けだぞ。


 ぱらぱらと捲り、付箋が付けられたページへ。

 タイトルは【女性代議士、パワハラのモラハラで永田町を席巻】。

 内容に目を通す。


【「このハゲーーーーーーっ!」】


【「違うだろーーーーーーっ!」】


「……なんだ、これ」


「すごいでしょう」


 自分で自分の顔が引きつるのがわかる。

 それくらいに凄まじい。


 秘書に対する罵詈雑言・誹謗中傷の嵐。

 読んでいるだけで心が折れてくる。

 暴言のみならず、秘書の娘をレイプする歌を唄いながら殴る蹴るって……ありえない。

 まさに疑いなきパワハラでありモラハラ、騒ぎになって当然だ。


 【同代議士が過去にキャリアとして勤務していた厚生労働省関係者によれば──】


 厚生労働省のキャリア官僚あがりか……ん?


 ──厚生労働省!?


 流した箇所を読み返し、彼女の経歴を確認する。


【一九九七年 厚生省入省】


「彼女……」


「お知り合いなんですか?」


「知り合いの知り合い。つまり『他人』なんだけど、噂を耳にしたことはある」


「どんな噂でしょう。ニュースから察するところですと、気が短い、暴力的、他人を思いやれない辺りですか」


「いや、『優秀な人ですよ』という当たり障りのないものだよ」


「その噂は今回の政府のお仕事の関係で?」


 首を横に振る。


「彼女が採用された年の国家公務員一種──いわゆるキャリア官僚の採用試験、私も受けていたんだ。その関係」


 田中君の睫毛が跳ね上がった。


「意外ですね。社長って官僚を目指すようなタイプに見受けられませんが。柔らかい人当たりしてますし、高圧的に偉ぶったりもしませんし」


「ありがとう。私のことはいいとして……記事の彼女、さすがは『あの』官庁訪問で採用された女性だと思ったりする」


「全く誉め言葉に聞こえないのは聞き間違いでしょうか?」


「その通りだよ、皮肉を言ってるんだ」


「気になる言い方しないでください。聞きたくなるじゃないですか」


 あからさまに口を尖らせる。

 普段表情をあまり変えない彼女だけに、本心で聞きたいのだろう。


「よかったら話そう。ソファーにかけたまえ」


「お仕事の邪魔をするわけには……」


 そう言いつつも目線はソファーをちらちら。

 なんてかわいらしい。


「休憩がてらちょうどいいさ。『程々に』って言ったのは田中君だぞ」


「そうですね。では、甘えさせていただきます」


 田中君がソファーに向かい、折り目正しく膝を揃えながら腰を下ろす。

 私もチェアの背へ掛けていた白衣を羽織り、田中君の向かいに座る。


「始めようか」

以前に投稿した「1996年、パワハラ議員の勝ち抜いた厚生省官庁訪問では何故モラハラの嵐が吹き荒れたのか?」を改題改稿して再投稿しました。

【以前お読みになった方へ】

・EP8から前回と大幅に異なってきます。出口が女性に変更ということだけ頭に入れて、そこから読み進めていただいても大丈夫だと思います。

【主な改稿点】

・出口を男性から女性に変更し、恋愛要素を加えてます。

・大筋は変わりませんが、各部はかなりの増補・修正を行い、全体としてかなりのボリュームアップとなってます。

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