「はぁはぁはぁ......はぁっ!」
人気のない倉庫で一人の男が走っていた。
その形相はあまりにも酷いものあり、尋常でない様子が漂っている。
目からは涙を零し、鼻からは鼻水が流れ、口からは涎を流す。
顔が液体でぐしょぐしょである。
足をもつれさせながらではあるが、男のベストなタイムを叩きだすほどの速度だ。
「ぐうっ!」
限界を迎えたのか男の足が不自然に絡まり転がる。
端から見れば目を覆いたくなるような悲惨な光景だ。
ここに人がいれば、手を差し出す人間もいただろう。
だが、ここにそんな優しさを掛けてくれる者はいない。
「頼む!助けてくれぇっ!!」
男はその場に踞り、許しを乞い願う。
その声に反応してか、陰から一つの影が現れる。
それは男を追い立てていた者であった。
手には日本では見慣れないものを持っている。
法治国家において、あまり目にする機会がないもの。
銃。
警察官や自衛隊くらいでしか扱うことはないだろう。
勿論、陰の主はどちらにも属していない。
男は一縷の希望を求め、叫んだ。
「俺には愛する妻も可愛い娘もいるんだ!」
「それは命乞い? それなら無駄......。」
この期に及んで情に訴えかける作戦。
だが、それは空振りに終わった。
悲痛な叫びに応えた声は冷たかった。
男性にしては高過ぎる声だが、女性にしては少し低い。
まるで子供の声、年端もいかぬ少年の声だ。
「な、何故?!」
「......奥さんも子供もいる。生物として完成している。ここであなたが死んでも血は途切れない。」
「ふ、不幸になるんだ! 水商売して色んな男に抱かれて! 心も体も傷つくんだぞ!」
「僕に命を狙われている時点で多くの人を不幸にしてる。それがなくなれば不幸になる人は減る。それなら仕方のない犠牲。」
男は確信した。
ここでどんな言葉を投げ掛けても目の前の少年の心には響かない。
黒髪の間から見える目が、瞳がそれを物語っている。
ならば、せめて最後くらいは綺麗に死にたい。
自分の人生が惨めにならないように。
「もし、私の娘に会ったら伝えてくれ……お父さんはお前のことを愛していた。と」
「……愛していた?」
「言葉の意味がわからないかね? でも、大丈夫。いつか、その意味を知るときがくるさ」
「……そう。」
「あぁ。」
少年が男に銃を構える。
それは何度も繰り返された慣れた動作。
男は思った。
もし可能ならこんなことを平然と出来てしまう少年にも幸せになって欲しい。
不思議と目の前の死が怖くなくなっていく。
最後の最後にこんな気持ちになるなんて……。
男は笑みを浮かべ、言った。
「ありがとう。」
パンッと乾いた音が響く。
少年の顔は疑問に満ちた顔をしていた。
男の最後の言葉の意味が理解できない。
何故、死を前にして笑っていたのか。
今までの連中は醜く、命乞いをした後に恨みがましく死んでいった。
銃の先から煙が立ち上る。
それだけはいつもと変わらなかった。