表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/25

行かずにいられない

 1990年6月。


 今日の東京は梅雨の晴れ間だけど湿度が高い。

 天気予報によると札幌の今日は、晴れ時々曇りでライラック祭りが始まっている。

 上京して4年が経つけど、俺は札幌の天気をチェックする癖が抜けない。

 今日はマリアからホームパーティーに誘われていた。

 マリアが友達のモデル2人と一緒に暮らしているアパートのフロアは広く、高い天井は開放感がある。

 レコード会社と契約して俺たちのバンドDarwinが東京でライブをやるようになってから、よく聴きに来てくれる外国人の女の子がいた。

 彼女は会社関係のカメラマン芳賀(はが)さんの知人でウクライナ出身の20歳のモデル。それがマリアだ。

 俺のファンだと言ってくれて、ライブでは「ユッケー」と呼んで応援してくれる。

 とにかく華奢で、長い金髪に透けるような白い肌と褐色の瞳が綺麗な子だ。

 マリアの友人でエリノアという同じモデルの子もよく来てくれる。

 彼女も華奢で黒髪に褐色の瞳の綺麗なおとなしい子で、うちのドラマー、ケンのファンだ。

 ケンはエリノアからパーティーに誘われて俺と一緒に来た。

「ユッケー、ケン、来てくれてありがとう」と笑顔でマリアが迎えてくれた。

「こちらこそ呼んでくれてありがとう」俺とケンは花束とお菓子を渡した。

 パーティーは、来れるメンバーが入れ替わり立ち替わり参加しては帰るスタイルで気楽だった。

「マリアは黒髪で男っぽいユッケがカッコいいって。空軍にいる彼女のお兄さんみたいだってさ」とマリアを紹介してくれた芳賀さんが俺に言った。

「え、マリアのお兄さんて軍人だったんだ」

 マリアがワインのグラスを2つ持って俺の隣に来て、1つ手渡してくれた。

「ユッケーどうぞ。私とエリノア、ペリメニとサラダ作ったよ。クッキーも」

「ペリメニ、俺初めて食べたよ」

「ユッケー、美味しい」

「うん、うまいよ」と答えて俺はふと洸の家で餃子を作って食べたことを思い出した。(こう)と洸の家族と。

「ねえユッケーはいくつなの。札幌から来て名前は伊東ユースキー」

 マリアは真剣だけど、俺の名前面白いことになってる。

「年は22だよ。名前は、ゆ、う、す、け。でもユッケでいいよ」ふと気づくと今年の誕生日がもう過ぎていた。

 そう、だから22だ。

「ユ、ウ、ス、ケ。ユッケー大好き」とマリアが微笑んで言った。

 ケンが向こうからチラッと視線を投げて来た。いい感じなんじゃないの、とケンの目線がそう言ってるようだ。

 俺は伊東祐介。ハードロックバンドDarwinのリーダーでベース担当。

 祐介。上京してからそう呼んでくれる人は周りにいなくて大抵ユッケ、か伊東君とかだ。

 祐介と呼ぶのはうちの家族か洸の家族、だいたいは聖美(きよみ)さんだ。

「今度、ワタシとユッケーと2人であそびたい」

 とマリアが言った。

 映画行ったり遊園地行ったり、お茶したり買い物したり、東京に来てから何人かの女の子と過ごしたことがあった。

 女の子は可愛いし優しいし、笑ってくれると嬉しくなる。1日が楽しくなる。

 なのに

「そうかあ。当分は無理だなあ」と俺は言っていた。

「トウブン」とマリアが言う。うまく説明できるかなあ日本のニュアンス語を。

「うーん、少し長い間のことかな」

 伝わったようだけど、そのせいでマリアは明らかに寂しそうな顔をした。

「どうしたの。マリアにあれでいいの」とパーティーから帰る道すがらケンが言ってきた。


 昔から俺には時々どうしようもなく甘えたくなる人がいる。

 この気持ちには14の時から気付いていて、17の時にははっきりと自覚していた。

 少し時間ができると、その人のそばに帰ってみたいなと必ず思った。

 けど、繰り返し考えては迷って結局それはしなかった。あの人に弱気を見せたくなくて4年間意地を張ってた。

 できない理由もわかってる。もう1人の弟っていうポジションが居心地良かったから。

 俺が居ていい場所を失うことが怖くて、ただ意気地なしだから。

 時々甘えるだけで叱られるだけでいい、心に麻酔でもするように自分に言い聞かせるようになってた。

 プロデビューして、俺たちは夢を叶えようと4年間足掻いて来た。

 ここまでメンバー誰1人愚痴も弱音も吐かなかったし、今も全力だ。

 最近のライブはホールが毎回ソールドアウトだしCDも売れてる。

 これからの目標は札幌での野外ライブ参戦と、アリーナ規模のライブを成功させることだ。

 でもDarwinが進化して早く走れるようになればなるほど、高く飛べば飛ぶほど心に打つ麻酔は効かなくなった。

 俺はあの人に認めて欲しい。そうしないと失速しそうだ。そう自覚すると苦しくて辛い。

 今更それが叶うのものか、そう思うと怖い、でも。

「ケン、俺明日のライブの後札幌行くわ」明後日はオフだった。

「え、何急に」

「まあ撃沈して死ぬかもだけど、俺聖美さんに会いに行くわ」そう言うとケンは少し固まったけど急に笑い出した。

「お前、ついにまた叱られたくなったのか」言うなケン、恥ずかしさが尋常じゃない。

「うん、いや。でも洸に今更だけど言いづらいなあ」

「そうかな、洸はわかってるんじゃないの」とケンは言った。

 肚を決めた俺は次の日のライブの後で洸に言った。

「洸、俺これから札幌行って聖美さんに交際申し込んでいい」精一杯筋を通したつもりだったのに、洸の第一声は「え、これから。飛行機あんの」だった。

「もう取った」

「じゃあ、それは別に俺に聞くことじゃないだろ。でもマリアじゃなくて、ゴリラでいいの」と横目でニヤついて言って来た。

「悪いか」と俺が言うと洸は黙って眉を上げて笑った。

「ユッケの思春期にグッドラック。何かあれば焼肉奢る」とセイ。ありがたいけどそれは多分振られる前提だよな。

 22で思春期か。確かに今さらこんなことする奴はそういうレベルってことか。

 恥ずかしいけど、嬉しさも辛さもこういう情けなさもメンバーとは分け合って行くって決めてるから、と俺は開き直った気持ちになる。

「お前、この際好きなだけ叱られてこい」とケンがダメ押しするので

「そうするわ。したっけ」と北海道弁の捨て台詞を決めて俺は楽屋を出た。

 1990年6月。天気予報だと今夜の札幌は穏やかに晴れているらしい。

 マネージャーの柾木さんに明日には戻ると伝えて、俺はライブ会場から空港に向けて直行した。

 言えるのかあの人に。俺を見て欲しい、選んで欲しい。できるなら俺だけを愛して欲しいと。

 あの人から見たらいつまでも俺はガキかも知れない。撃沈するかもだけど。

 そうしたらショックでもう会えなくなりそうだ。

 それでも行かずにいられない。俺はもう心を決めたんだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ