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軋む扉 2

後ろを向いて眠っている洸の背中は骨格と筋肉がとても綺麗。

二人きりの時間、洸はいつも私を腕の中に置いてるから、こんな風に洸の背中をずっと見てるのは初めて。

肩甲骨の隆起に、そうっと口付ける。

ヌードデッサンをする時、人の体って綺麗だなあと思うけど、

はるか昔にはこの部分から本当に羽が生えていたんじゃないか、と想像することがある。

洸と離れて一年半近い月日が流れて、今夜、私は真夏の東京に来ている。

昨日は洸が招待してくれて、チエちゃんと聖美さんと、そして東京の大学に通う新ちゃんと一緒にDarwinのライブを渋谷のホールで聴いた。

音圧も凄いし華やかだし、薄い光の膜を纏ったように見える洸は唄い、ファンを煽り音楽の世界に巻き込んでいく。

ホールのライブがソールドアウトなんて、札幌の頃からみると夢みたいだ。

バンドのみんなと久しぶりに一緒に過ごして、一層カッコ良くなったみんなとたくさん話した。

そして今夜は初めて、洸と二人で一緒に眠る夜を迎えた。

1月に洸が倒れた時は心配でたまらなくて、聖美さんから知らせをもらった私はじっとしていられなくて、洸のお母さんと一緒に病院を訪ねた。

あの時の洸は気管支炎で咳がひどく声が出なくて、そのぶん表情でいろんなことを伝えようとして来たっけ。

病室で過ごした二人だけの短い時間、点滴を受けていた洸は熱でほてった体で私を抱きしめた。

今は体調はいいようだけど、時々ちょっと表情が陰るような気がする。

何か気になることがあるのかな。

最近ファンの子に家がばれちゃったって言って洸は引っ越したけど、他にも何か悩んでいることがあるんじゃないだろうか。でも洸は何も言わない。


以前からだけど、身体に触れるとき洸には苦手なことがある。

後ろから抱きしめられるのが苦手だ。それと他にも、ある。

「洸ばっかり、ずるい」と私が言うとちょっと困り顔で、「くすぐったくて苦手」と洸は言うけど、

反応はそうじゃなくてまるで熱いものにでも触ったように避ける。

本当に火傷しそうな感じで。

ふっと目が覚めて、洸の背中を眺めながらそんなことを考えていたら、急に洸が苦しそうに、唸るように声をあげた。

「どうしたの洸、大丈夫」私は反射的に洸の背中から手を回して抱くようにした。

そうしたら、「ああっ」と洸は声をあげて私の手を振りほどいた。

でもすぐに目覚めて、体を反転させ私の方に向き直った。

「未希、」そう呼んだ洸の息遣いが苦しそう。

「大丈夫、洸。なんかうなされてたよ。だから触ったの」

「未希ごめんね、ちょっと嫌な夢見てた。俺、叩いたりしなかった」

「あ、うん。手を払われたけど、大丈夫だよ」

「未希ごめん。悪かった」そう言って洸は私を抱き寄せた。

「かなり怖い夢だった」

「うーん、追いかけられるやつ」と洸は言った。

「確かに洸は追いかけられてるし、ストレスなのかな」

「うん、ちょっと脱出したい気持ち。未希と」そう言うと、薄暗がりで洸は私の髪と背中を撫でていた。

でもしばらくの間、洸の手は冷たく湿って緊張した時の手だった。



俺たちはホールでのライブにもかなり慣れたし毎回ほぼソールドアウトしている。

新譜も順調で、あれからまたいくつかテレビの音楽番組に出演してテレビ局でも冷静にやれる感じになった。

ユッケのトークにも磨きがかかった。

テレビ局からの撤収も少し学んで、俺はギターケースとか荷物を背負ってサングラスをかけることにした。

これはセイのアイデアだ。

「サングラスかけると表情読めないし、洸はかなりクールな感じになるからいいんじゃないの」

「荷物があると、やっぱり壊しちゃいけないとか思ってもらえそうだし」その通りで実際、効果を実感中。

外でのランニングもしない代わりにジムに通うことにして鍛えるようにした。

夏の段階でもうすでに年末のスケジュールは埋まっているけど今度の年明けだけは死守して休みを確保した。

今度の11月に俺は二十歳になるし、札幌で成人式に出たかったし、何より未希が会いたいと言ってくれていた。

離れてから一年半以上の間、俺たちはどちらも「会いたい」と言うことはなかった。

口にすれば何かが崩壊してしまう禁断の言葉みたいに避けてた。言わないことで、二人の間にある誓いを確認してきたんだと思う、だからこそ。

8月に、未希と初めて一緒に眠った。

でもそんな大切な晩に俺はまた悪夢に襲われた。例の夢、記憶の夢だ。


キリキリキリ、とカッターの刃を繰り出す音がして、色白の綺麗だけど怖い顔が目の前に迫る。

俺は、動けない。体が動かない。


未希が俺の異変に気がついて声をかけてくれた時、俺は無意識にその手を払いのけた。

そして、心配した彼女に俺は嘘をついた。追いかけられてる夢を見たって。

未希は信じたろうか、でも確かめることはできない。

ただ、未希はこれまでも俺の心にあるものに気づいてくれた。もしかすると、何かに気づかれたかもしれない。

「年明けにはちょっとだけ、洸に会いたい。できたらゆっくりしたいなあ」未希がそう言った。

その言葉が何かから俺を救い出すような、そんな気がする。

でもこれは、この記憶の夢のことだけは話せない。





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