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反則

1986年も年末になろうとしていた。

ライブハウスの動員が伸び続けていて、最近は毎回満員ソールドアウトで「来年の目標はホール制覇だね」と柾木さんが言った。

今月またラジオ番組へのゲスト出演もあってFMでもよく俺たちの曲のリクエストが入ってるようだ。

今夜のライブ後もまた出待ちの子達がかなり集まっている上に、このライブハウスも通用口からの通路が狭くて抜けづらい。ファンの子達もかなり熱くなっていて、俺たちが出て行くとすごい歓声が上がってタッチしてくる子もいた。

途中まで何とかすり抜けて通れたけど、もうちょっとのところで俺は急に後ろから抱きつかれた。

まずい、苦手なあれだ。気持ちが焦る。「キャー」と周囲から悲鳴が上がった。

後ろにいる相手に向かって「悪い、離してくれる」と言ったけど、相手の腕は緩まなくて逆に密着された。

「コウ君ー」

「やめてー」

「離してあげて」と叫び声がする。そう俺も叫びたいとこだ。

「ごめん、離して」ともう一度言ったけど駄目だ。相手は女の子だとわかってるし、力ずくは避けたいんだけど。

後ろからそうされるの本当に苦手なんだ、離してほしい。冷や汗が出てくる、もうダメだ。

俺はいよいよ体に巻き付いた腕を掴んで振りほどこうとした。

その時、ユッケの声が「洸、かがめ。下」と言った。

その声に咄嗟に体が反応して、俺は体を屈めて下からすり抜けた。

なぜか周りから「おおー」と声が上がる。感心されてるみたいだけど俺はそれどころじゃないんだ。

「洸くん」

と柾木さんが呼んでくれて、俺は後ろを振り返らずにその場を離れて車に乗り込んだ。

ユッケの声がなかったら、危うくファンに暴力振るうところだった。

無理やり抱きつくってのも暴力に思えるけどな。

「ごめんね洸くん、危なくて車もあれ以上寄せられなかった」と柾木さんが言ってくれた。

「大丈夫です。ユッケ、おかげで助かった」

「護身術だったか思い出した。あれ役に立ったな」とユッケは何かに感心している。

「凄いホールドだったね」とセイ。

「あれは反則」とケンが言って俺も全く同感だった。


年末には所属する会社Red Wingのアーティストばかりでやる音楽祭に俺たちも出演した。

ラジオのロックの特番と、久々の対バン形式の年越しライブも入って年末は札幌には帰れなくなり、87年の年明け早々に何とか少しだけ帰れるスケジュールになった。

俺は今度こそ未希にちょっとでも会いたいと思って電話した。未希が20歳になるからだ。

「洸、忙しいんだね。大丈夫、私は冬休み中だから心配ないよ」

「未希、誕生日すぎちゃうけど俺ちょっといいもの見つけたんだ。楽しみに待ってて」

銀の天使のモチーフがついたチョーカーを見つけたから、未希にあげたいんだ。

そう、贅沢は言わない。未希の顔が見られるだけでもいい。

「えー、何だろう。でも無理しないで。気をつけてね」

そう言う未希の声を聞くと心がくすぐられるように嬉しくて、札幌に戻るのが待ち遠しくて仕方がない。

そんな純真な19の俺に、神様は重い鉄槌を振り下ろした。

年越しライブの最中からすごい悪寒がしてきて、立ってる床が歪んでるみたいにふらつき、息が上がる感じがしてきた。メンバーも俺の不調に気づいてフォローしてくれて、なんとか最後まで俺はやり切った。

でもライブ直後、俺はぶっ倒れて病院に運ばれた。

咳が出て来て息苦しくなり、40度の高熱で急性気管支炎の疑いと一人暮らしだからということで、そのまま都内で入院することになった。そんなわけで気づいたら病院の個室に入れられていた。

実際朦朧としていて、柾木さんやメンバーが色々してくれたことに感謝しかなかった。

それからメンバーみんなは済まなそうな顔で俺に声をかけて、札幌に向かった。

ありがとうみんな、俺のことは気にしないで帰ってくれ。仕方ないんだ、そう思いながらも気持ちが沈んで行く。

生まれて初めて点滴をされた腕がひんやりしている。

ああ、もっと前に未希に逢いに行けそうだって時に、ここは我慢だなんて思ったせいか。

それとも未希がライブに来たいって言ってくれた時に、また今度なんて言った罰か。

でも神様これはないだろ、反則だよ。

が、結局次の日、元日に札幌から俺のお袋と一緒に未希が来てくれた。

確かに顔が見られるだけでいいって思ったけど、それがこんな形で再会するとは情けない。

咳のせいで思うように喋れないし、だいたい声がうまく出ない。

「無理しすぎなんじゃない」と俺に会ったお袋が言って、未希もうなづく。

「たまたま、タイミング」と掠れた声で俺。

「なんなのタイミングって」とお袋に言われた。正月早々なのに神妙な顔で向かい合って、柾木さんと内藤さんまで来た。

アイスクリームを差し入れてもらい、みんなで食べる。

「ほんと、よくやってもらってます。Darwinは実力があるし人気も凄まじくて。ゆっくりしてって言いたいところではあるんですけど、そうもいかなくて誠に申し訳ありません」

と、黒い虎の化身で魔女のはずの内藤さんまでもが神妙な面持ち。柾木さんにも頭を下げられて俺は困る。

俺がもっと強ければ、だからそんな顔しないでほしい。それから「命に別状ないみたいだから、私は洸の着替えでも調達してくるわ。未希ちゃんはここにいたら」とお袋は未希に言った。

ナイス、それ賛成。声が出ない俺は盛んにうなづいてお袋は笑った。

が、その時俺はハッとした。

内藤さんが、例の悪い魔女のような目線で未希を見たのに気づいた。けど柾木さんがお袋を会社で手配したホテルに案内すると言ってくれて、内藤さんも一緒にそのまま病室を出て言った。

「洸、苦しいんでしょ。無理して喋らないで」二人になると未希が言った。

「点滴なくなるよ」本当だ。ナースコールして看護婦さんが点滴を交換しに来た。

「ご飯食べれないの」

うなづいた。喉の痛みと咳が邪魔して思うように食事が摂れない。

「脱水もなってた」と俺は言った。熱とライブ後に倒れたのもあって脱水症状が出ていた。

「未希20歳おめでとう。プレゼントが…」ああ、せっかく用意したのに自宅に置いたままだ。悔しい。

「ありがとう。それは今度ね。洸19歳おめでとう」と未希は言って逆にプレゼントをくれた。

ジップアップするパーカーと、未希が手作りした新作ブレス。

「着けて」と俺は頼んで未希にブレスをつけてもらった。

今度のは、藍色を基調にしたストーンで作ってあって綺麗でかっこいい。

「洸は頑張り屋さんだからなー」と言う未希を見ていたら、俺は未希の手に触れたくなった。

俺が手を伸ばすと未希は手をさし出してくれて、その手を握った。

「お母さんが言ってたよ。洸は具合悪くても、なんかに夢中だと気がつかないって」

未希の声を聴きながら懐かしいその手の感触を確かめる。深いところで求めていたものが、俺の中に戻ってくる。

充たされる、離したくない。その思いが強くなってくる。

ここで俺が手にしたものがあるとしても、この手を離してまで取りに帰りたいと思わない。

何もいらない、この手の他には。

「洸、ダメだよ。点滴が漏れるよ」俺は未希を抱きしめようとしていた。

「この針、動いても大丈夫って」

「本当に」

俺はうなづく。

「病気のくせに。一瞬だよ」

今度は本当に抱きしめた。離したくない、離したくない。

「愛してる。未希」

「洸、愛してる。でも体熱いよ、熱上がってるんじゃない」

「違う」俺は言い張る。このクラクラするのは、違う。

「じゃあ熱計ってみて」

あ、38.7度。上がってる。

「ほら違わない、洸はもう寝てなさい」と未希に言われてまたナースコールし、今度は氷枕と解熱剤をもらって飲んだ。












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