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四分の一の可能性

1991年5月。私は医大病院の血液内科病棟を訪ねた。


病室の入り口前のスペースに入ってスリッパを履き換えた。

時計と指輪を外して手を洗い、それから不織布でできた帽子をかぶって髪を覆い、

マスクを掛けて足元までのガウンを羽織る。

最後に消毒液に手を浸してから手を拭き、個室のドアをノックして引き戸をそっと開けた。

部屋に入ると聖美さんが休んでいるベッドの横に据えられた椅子に、

私と同じ格好の誰かが腕組みして腰掛けていた。

「ユッケ」

「お、未希どうも」

Darwinは昨晩大阪でライブだったはずだけど、ユッケは一体いつ来たの。

「今朝早くこっちに来てくれたんだ」と聖美さんが言った。


今、聖美さんの面会は午後からの数時間なのに、ユッケは少しでも早く聖美さんに会うため大阪から飛んでやって来たに違いない。ユッケは他のみんなと一緒で普段は東京にいるんだけど、今日みたいに短い時間でもスケジュールの合間を縫って札幌に来ている。

聖美さんは去年の10月に体調を崩して発熱が続き、精密検査を受けてこの病気がわかった。

治療は長引いて抵抗力が落ちたために、聖美さんは今年のお正月を病院で迎えてその時は面会できなかった。

洸は今日東京でラジオ番組の収録を終えてからこちらに来た。

ここで採血などの検査を受ける予定で、今はもう下の階の外来にいた。

「洸はもうじき検査終わってここに来ますよ」

「そうか、洸が来たら俺一回出るわ」とユッケが言った。面会は一度に2人までなのだ。

洸が今日受ける検査は、急性白血病で医大病院に入院している聖美さんへの、血縁者間骨髄移植の提供者として適合するかどうかを調べる検査だ。

移植は遺伝の関係でご両親では無理で、兄弟姉妹で適合するかにかかっていると聞いた。

「俺と適合するかは四分の一の確率らしいんだ」と洸は言って、家族もユッケも私も祈るような気持ちでいる。

ユッケと一緒にいる聖美さんの表情はとても穏やかだけど、最近私1人で面会に行くと弱気を見せることがあった。

もともと細身で美人な聖美さんなのに治療の薬の影響でむくみが出たり、もっと辛いのは髪が抜けることだった。

「祐介に見せたくないなあ」

そう言って聖美さんは長かった髪を短く切り、バンダナを巻くようになった。

「そうそう、未希にいい知らせ持って来たよ。次に出すCDのジャケット描いて欲しいんだ」とユッケが言った。

「わあ本当、すごく嬉しいよ。夢だったよ」

私は今グラフィックデザイナーとして、デザインの会社に勤めている。高校の頃からDarwinのライブのフライヤーとか、デモテープのジャケットを作ってきたけどDarwinがプロデビューしてからは彼らが所属する会社がプロの人に頼んでいた。でも、バンドのみんなはまたいつか私のデザインで、と約束してくれていた。

「うん、ついに念願叶ったよ。俺たちの5周年だしみんなで猛烈に推したからね」

Darwinプロデビューからもう5周年なんだもんね。

「詳しいことはもうちょっとしてからね」

「わかった、よろしくね。ねえ聖美さん、洸のお土産のお菓子預かって来たの。食べませんか」

「何、どんなの」

楽しそうにする聖美さんをユッケが目を細めて見つめている。

2人が交際するようになってからわずか数ヶ月後に聖美さんはここに入院したんだよね。

「おいしい。スポンジもバナナのクリームもいい感じ。祐介もちょっと食べてみる」と聖美さんが言うと

「ん、ちょっとだけ」と甘いものが苦手なユッケが言った。

聖美さんがフォークにお菓子を乗せてユッケの口に入れてあげると、ユッケはちょっと照れ臭そうに食べた。

「あ、これはうまい。俺でも食える」

その時、外に人の気配がした。洸が来たみたい。

「来たな。俺、仕事の電話かけて外でコーヒー飲んでくる。聖美さん、何か要るものある」

「ないよ。気をつけてね、行ってらっしゃい」と聖美さんは手を振った。

「行ってきます」とユッケも手を振って部屋を出た。

ユッケと入れ替わりに洸が入って来て「どう調子、飯食えてるの」と聖美さんに聞く。

「この頃は微熱くらいで済んでる。洸、お土産ありがとう、これおいしいよ。ご飯は正直あんまり食べられなくて昨日からお粥にしてもらった」

「そうか、お袋明日来るから食べたいもの聞いといてって」

「うーん、悩むなあ」

「それと今日の検査は結果出るまで一ヶ月近くかかるって言われた。スケジュールのこともあるから、まず姉ちゃんと俺んとこに連絡もらうことになってるからね」

「うん。洸、痛い思いさせてごめんね。忙しいのにありがとう」聖美さんが眉を寄せて言うと、

「別に、血を取るくらい痛くないよ。ストレス溜まるから気使わないで、また熱上がったらユッケが落ち着きなくなるからさあ」と洸は笑った。



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