81◇白の英雄、低語ス
ドアノッカーが力無げに叩かれる音がした。
もといた世界で家のチャイムが鳴った時などもトワは動かなかったが、それはアークレアでも変わらないようだった。
エコナが応対しようとしたので、それを柔らかく止め幸助が玄関に向かう。
扉を開けると、そこには軍服姿のクウィンがいた。
普段通りの気力を感じない瞳で幸助を見つめ、軽く手を挙げる。
「久し、ぶり」
それ自体が発光しているのではないかと見紛う程に輝かしい金の長髪。
血染めの紅玉を思わせる瞳。
『白の英雄』クウィンティ・セレスティス=クリアベディヴィア。
幸助が初めて逢った英雄にして、英雄をやめたがっている少女。
超難度迷宮の攻略を複数割り当てられていた彼女と逢うのは、英雄会議以来だ。
「あぁ、久しぶり。ごめんな、あんまり手伝えなくて」
会議の時に幸助は仕事を早く終わらせてクウィンの攻略を手伝うと言った。
しかしその後のごたごたで、結局大した手伝いは出来なかった。
彼女に割り振られていた三つの内一つは、ここ一週間でトワと協力して攻略することが出来たので、まったく力になれなかったわけではないが……。
「……大丈夫。それより、逢えて嬉しい。クロは?」
「もちろん、逢えて嬉しいよ。……リガルの件についてはもう聞いたよな」
クウィンは特に表情を変えずに頷いた。
それだけかと思いきや、ややあってから溢すように呟く。
「…………別に驚かない。英雄なんて皆一緒……皆、心が欠陥品」
リガルではなく、それを殺した貴族家へ向けた言葉だろう。
彼らは等しく、英雄を祖に持つ家系なのだから。
しかし、その言葉には妙に実感が込められているように感じた。
だがそれも、一瞬未満の短い時間で掻き消えてしまう。
「でも、クロは違う。クロは特別」
頬を僅かに、ほんの僅かではあるが確かに赤らめて、彼女はそんなことを言う。
剥き出しの好意は、それに応えられないからこそ心苦しかった。
「ありがとう……。玄関先で話すのもなんだし、中に入ってくれ」
元々、待ち合わせていたのだ。
ギボルネとの和平交渉に向かったルキウスと、ロエルビナフ戦役に臨んでいるパルフェを除いた英雄四名は葬儀に列席することになっている。
ダルトラ式の国葬は棺を馬車に乗せ、多くの軍人を伴って王都の大通りを行進するというものだ。
その護送役を務めるのは現役の英雄とされている。
今回の場合、幸助、トワ、クウィン、エルフィということになる。
待ち合わせは王城で構わないと思ったのだが、クウィンが幸助の家を見てみたいと言うのでこうなった。
入るやいなやクウィンは幸助の右腕に身体を絡ませる。
「あ、浮気だ。この映像をシロさんに送信……っと」
椅子に座ったトワがなにやらグラスを操作しているようなので、幸助は慌てる。
「やめろよ!?」
ダルトラは一夫多妻制を採用しているが、幸助としては複数人の女性と付き合うつもりはない。
もといた世界の常識に囚われていると言えばその通りなのだろうが、少なくとも今それが間違いだとは思わないし思えない。
シロは幼い頃にアークレアに来たようだが、多くの一般人が制度を利用せず一人の妻一つの家庭を作って暮らしているからか、彼女も男が複数の女性に手を出すことをよしとしない。
簡単に言うと、怒られる。
怒られるのは嫌なので、トワを止める必要があった。
だというのにクウィンは幸助から離れてくれない。
「大丈夫……。そうなっても、わたしがいる、よ?」
「いや……気持ちはありがたいが、そういう問題じゃないんだ」
エコナが幸助の左手側の裾を握り、トワを説得するように言う。
「こうす……クロさんは不義を働くような方ではないと、わたしも思います」
クウィンは幸助の本名を知らないので、エコナは途中で呼び名を変えた。
「……ねぇ、クロ」
「あぁ、なんだ?」
「トワと、一緒に暮らしてる?」
「そうだな」
「妹、だから?」
……そういえば式典の際、エルフィからトワに関する話を聞いた時、クウィンも側に居た。
だから彼女も幸助とトワの関係を知っているのだった。
「そう、だな。家族だからって一緒に暮らさなくちゃいけないわけじゃないけど、今はそういうことになってる」
クウィンはトワを見た。
彼女の茫洋とした視線を向けられ、トワは居心地が悪そうな顔をする。
「な、なにさ」
何も言わずトワから視線を外したクウィンはおもむろに言った。
「なら、わたしも妹、なる。クウィンティ・セレスティス=ナノランスロット、なる」
無茶苦茶言う英雄だった。
「それなら、一緒に暮らすの、問題ない。ね? ……おにいちゃん」
「いや……なんていうか」
「だめに決まってんじゃん!」
叫んだのはトワだ。
何故か焦ったような表情をしている。
「……どうして?」
「どうしてもこうしても、妹ってなろうとしてなるものじゃないし! それにクウィンティ・セレスティス=ナノランスロットって、それだとお嫁さんみたいじゃん!」
クウィンは一度首を傾げてから、幸助を上目遣いに見上げる。
「それも、あり?」
「……どっちも無しだ」
視界の端でトワが安堵するような顔になっていた。
クウィンは少し不満気だ。
「じゃあ……その子は、どうして、あり?」
クウィンに見つめられ、エコナが怯えるように幸助の後ろに隠れる。
「子供、だから? お金、無いから? ギボルネ人、だから? どうしてわたしだけ、だめ?」
「だめとかじゃなくて……クウィンには自分の家があるだろ」
「じゃあ、売る、家。これで家、無い」
重ねて無茶苦茶言う英雄だった。
「どうしてそこまで……」
言ってから、幸助は後悔した。
どんな言葉が返ってくるかなんて、少年ならすぐに想像出来たろうに。
しかしその言葉は、放たれることは無かった。
ドアノッカーの音が鳴る。
「誰か来たみたいだ。エコナ、頼めるか?」
エコナはすぐに「はい」と言って玄関に向かう。
タイミングを逸したクウィンは用意していた言葉を飲み込むように頭を微かに振る。
それから背伸びをして、幸助の耳に唇が触れかねない程、顔を近づける。
「……クロ、いつ手伝ってくれる、の?
わたし、英雄、もうやだ、よ?」