80◇参列者、準備ス
『霹靂の英雄』暗殺事件から、一週間が経とうとしていた。
ここまでの間、実に様々なことがあった。
貴族院の編成は大きく変わり、幸助とダルトラ王は何度も意見を交わした。
英雄によって切り開かれ、英雄によって繁栄した国家だからこそ生じた歪み。
英雄という器に宿る狂気の発露。
それが現代になり国家をも侵蝕するというのなら、切除するべき。
比較的正常と判断した貴族家と、今すぐには無理だろうが優秀な臣民の登用なども視野に入れ議会を整えていくこととなった。
事件に関与した者達の処遇だが、軽いもので財産の凍結、重いものでは爵位の剥奪となった。
加えて現在は投獄されている。詳しい償わせ方については、いまだ審議が続いている状況だ。
事件こそ終結したが、事態が終息したわけではない。
リガルが謀殺され、しかもそれが国内の貴族によるものと判明した。
それによる混乱と不審の波及は無視出来ないレベルだ。
国家としては一挙手一投足に細心の注意を払わねばならない場面。
幸助は自室で着替えながら、憂鬱気な溜息を溢す。
元々は中卒の復讐者なのだ。
政治とか戦争とか言われても、正直困ってしまう。
もちろん幸助が全てを決めるわけではないが、口を挟む以上『何も分かりません』では通らないのだ。
こんなことなら多少なりとも勉強していればよかった。
幸助の意識は妹の復讐に全振りだったので、正直な話生きていた当時の総理大臣が誰だったかすら覚えていない始末だ。
それでも投げ出さずにいるのには理由がある。
アークスバオナの目的である異界への侵攻を止めたいという想い。
リガルの言っていた『正義になってくれ』という言葉に応えたいという想い。
そして、戦争なんてさっさと終わらせて、普通に自由に暮らしたいという想い。
この世界には友がいて、仲間がいて、恋人がいて、妹がいる。
それが壊されそうで、自分に護る力があるなら行使することに迷いなど無い。
でも、幸助は別に人を殺したいわけではないのだ。
戦争に対する忌避感は、普通の日本人程度に備えている。
幸助の手は、既に幾つのも命を摘み取っている。
人殺しだ。
けれど、そこには基準があった。
悪行を犯していること。
でも戦争は違う。
兵士達の多くは、戦えと言われたら戦うのだ。国や大切な者の未来の為に。
これから幸助は、悪とは言えない命を奪わなければいけなくなる。
英雄である幸助がそれを行わなければ、偽善にほだされている間に味方が死ぬのだ。
だから、迷ってはいけない。
分かっているのに、心に差す翳は晴れてくれなかった。
コンコン、とドアがノックされる。
「こうすけさん、よろしいですか?」
エコナの声だ。
「あぁ、今着替え終わったよ」
ゆっくりとドアが開かれる。
エコナは黒装束に身を包んでいた。
ヴェール付きの帽子、ドレス、肘先までの手袋――イブニンググローブ。その全てが黒。
ダルトラの葬儀における正装だった。つまり喪服。
今日は、リガルの国葬が執り行われる日であった。
「こうすけさんは、軍服もお似合いですね」
エコナの笑みはどこかぎこちない。
リガルは彼女の故郷であるギボルネとの和平交渉を担うことになっていた男で、それを殺したアリスは学院見学の際に彼女に優しくしてくれたという。
彼女の心境はとても複雑なものだろう。
幸助は「そうかな」と言って自分の姿を省みた。
ダルトラの軍服は白を基調としたデザインで、上位軍人になるとロングコートと徽章が与えられる。
幸助は正式に英雄となったわけだから、軍部に組み込まれ名誉将軍職を賜った。
ダルトラの貴族階級は七爵位と呼ばれるもので、上から大公爵、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、希爵となっている。
男爵までは聞き覚えがあったが、最下位の希爵は初めて聞く響きであった。
聞けば一代限りではあるものの貴族であると認められるものだという。
現代の英雄達は基本的に希爵階級を与えられる。
だから、幸助は一応貴族になったのだ。例えば子供が出来た時、それはただの臣民になるが。
望めば貴族院にも参加出来るとのことだったが、それは辞した。
軍服を着ているのは、軍人が葬儀に参列する際はそれが正装と認められるからだ。
少々堅苦しい気がするが、正装というのはそういうものかもしれない。
「黒は女性を美しく見せるっていうけど本当だな。大人びて見えるよ」
彼女の心を少しでも解せたらと思い、幸助は優しく微笑んだ。
エコナは幸助に言葉に、面映ゆそうにはにかむ。
「ありがとう、ございます」
二人の間に流れる空気が弛緩している中、ドアの外にそれを覗く目があった。
「じぃ……」
トワである。
「なに隠れてんだよ。仲間に入りたいのか?」
幸助が言うとトワはビクっとしてから部屋に踏み入り「はい? 意味がわからないんですけど?」と何故か喧嘩腰で言った。
それからちらちらと幸助と自分の服装を交互に見ている。
いかにも褒めてほしそうな顔だったので、幸助は無視した。
「さてエコナ、下行こうか」
「ちょっと! 最愛の妹の軍服姿ですけどっ!? なにかあるでしょ!」
幸助とて、妹の気持ちくらい汲める。
リガルの葬儀に思うところがあるのは全員同じ。
だからといって暗くなり過ぎてはいけないと、つまり場を和ませる為に話題を明るくしようと努めているのだろう。
その話題があまりよろしくないというだけで。
「無いよ。っていうかその最愛の妹ってフレーズ言われる度に背中痒くなるからやめてくれないか」
「だってそうじゃん。トワのこと大好き過ぎてアークレアに来ることになったんじゃん」
「…………あーはいはい」
「あーはいはい!? ……ふ、ふふっ。そうか、エコナちゃんの前だから照れてるんだね? まったく昔からコウちゃんってそういうとこあるよね~。友達の前だとトワのこと無視したりさ~。そういう子供っぽいとこ、直さないとだよ?」
……う、うざい。
「妹が何着てるかなんて隣の家の夕飯くらいどうでもいいんだが」
ちなみに幸助とほとんど同じ格好だ。スカートタイプなのが大きな差異か。
まぁ、似合っている。
実妹の服装を一々褒めるなんて気持ち悪いので口にはしないが。
トワは幸助の横まで来て、その細い指で兄の頬を突く。
「そんなこと言っちゃってさー、ほれほれ、言うてみい。可愛いとか世界一可愛いとか宇宙一可愛いとかあるでしょ。あ、ちなみにコウちゃんは別に普通です」
脈絡なくスカート捲ってやろうかと思いつつ、幸助はエコナの前なので踏み止まった。
それに妹のパンツなど見てもテンションが下がることはあっても逆は無い。
「……あー、似合ってるよ。特に、なんだ……布を纏っているところとか」
「洋服全般そうじゃん! 褒め方が雑を超えてそもそも褒めてないに達しているよ!」
部屋を出て階段を降りる間も、トワはずっとぶう垂れていた。
記憶が戻ってからというもの、五年前に逆戻りしたかのような妹っぷりを発揮している。
失くした時に大切さを知るというが、取り戻してみると結構鬱陶しい。
ただ、二度と失いたくないと思う時点で、悔しいことに最愛の妹という表現は間違っていないのだろう。
こればかりは口が裂けても本人には言えない。
「コウちゃんってばエコナちゃんにだけ優しくない? 贔屓じゃない?」
「エコナは良い子だからだ。そしてお前は良い子じゃない」
「トワ超人間出来てますけど? あ、喉乾いたからリフルの生搾りジュース買ってきて」
幸助はニコリと微笑み、妹の額にデコピンをかました。