79◇アークスバオナ皇帝、勅命ス
第二十一代アークスバオナ皇帝――リオンセル・アーヴィラ・ガ=アークスバオナは父である先代を弑逆し皇位に就いた。
その際、腹違いも含めて二十四人の兄弟を全て始末し、その親類縁者をも余さず処刑。
自身の妨げとなる者には一切の情け容赦なく死を与えるその為様は多くの人間から畏怖を集め、独自に手駒とした私設来訪者部隊によって反抗勢力は残さず殲滅された。
反面、彼は自身の扶けとなる者には大いに報いた。
言ってしまえば、こういうことになる。
仲間に愛を、敵に死を。
ここまで単純な区別もそうない。
逆らえば殺されるが、恭順を示せば一度や二度の失敗で咎められることもない。
巧みな人心掌握術によって、次第にアークスバオナの者の思考は誘導され狭められる。
従えば幸せになれるのだから、そうしない方がおかしい。
逆らうやつが悪い、と。
全ては彼の目論見通りだった。
今までの人生で上手く行かなかったことなど、ただ一つの例外を除けば存在しないくらいだ。
リオンセル皇帝の求心力は絶大。
無論、全ての帝国民が彼に心服しているわけではないだろう。
そんなものは、神だって不可能だ。
だが自分には神の血が流れている。
神に等しき成果を出すことは必然の範疇。
そして、そんなリオンセルの目下の敵は――ダルトラだった。
彼の国の王もまた、神の系譜である。
「召喚に応じ馳せ参じました、陛下」
皇都クリフォトフォビアのファロリギネ宮殿において、皇帝が人を迎える為の建造物が四つある。
内、三つは政治や儀式の際に使用され、朝廷部分に建てられている。
リオンセルが今居るのは、最後の一つ。
私生活を過ごすに使用する宮廷部分に置かれた唯一の謁見の間であった。
そこに招かれるのは、彼が特に信を置く一握りの人間のみ。
そういった意味もあり、表御殿と比べるとやや内装は落ち着いている。
玉座に座す彼の足元から長い段差が続き、その果てに一人の男が片膝をついている。
左膝をつき、右膝を立てる。開いた左手で右拳を包み、それを胸の前で行う。そして頭を下げる。
これがアークスバオナにおける恭順の意を示す所作だ。
来訪者らから集めた莫大なデータによると、異界国家にも拱手と呼ばれる似たような辞儀があるとのこと。
異界を作ったのがアークレアの神であるというのならば、不思議は無い。
「面をあげよ、グレア」
グレアと呼ばれた青年はリオンセルの言葉に応じ顔を上げる。
黒の長髪に銀灰色の瞳。鍛えぬかれた肉体と歴戦の猛者をも震え上がらせる覇気。
黒髪の美丈夫は名をグレアグリッフェンと言った。
アークスバオナの黒き軍服に身を包んでいる。
リオンセルの右腕と言っても過言ではない青年は――『暗の英雄』であった。
「して、グレアよ。いつまで朕を待たせるつもりだ。我が手にダルトラを献上すると申したこと、忘れたとは言わせぬぞ」
リオンセルの圧を受けても、青年は微動だにしない。
火の海に放り込まれ地獄の責め苦を受けようと乱すこと能わぬとばかりに、青年は落ち着いている。
「畏くも、皇帝陛下。彼奴らは曲りなりにも英雄国家と呼ばれる国家でありますれば、万難を排し望むがアークスバオナ千年の繁栄が為かと」
「御託はいい。お主の力を疑っておるわけでもない。だが、ダルトラは早々に落とさねばならぬ。我らが覇道を前に、偽神の血脈は障碍と成り得る唯一の要因であればこそ」
グレアはリオンセルの存意を即座に汲み取り、頷いた。
「御意」
「英雄旅団の召集と運用を許可する。一月だ。一月でダルトラをアークスバオナ領とせよ。これは、勅である」
「それこそが皇帝陛下のご意思であるのならば」
グレアは再度頭を下げたのち、立ち上がりその場を後にした。
玉座に独り、リオンセルが残される。
彼は高い天井を仰いだ。
「…………リガル。どこまで愚かなんだお前は」
リオンセルがまだ少年と呼ばれる時のことだ。
のちに『霹靂の英雄』と呼ばれる男リガルはアークスバオナにいた。
彼はリオンセルに様々なことを教えてくれた。
リオンセルは、異界に興味を持ち、そして欲した。
だというのに、その段になってリガルはリオンセルを否定したのだ。
正しくないと。やめるべきだと。
欲求をさんざ刺激しておいて、その入手は阻むなど許せるわけもない。
リオンセルはあの時、リガルに暗殺者を差し向けた。
差し向け、失敗した。
リガルより強い人間を送ることも出来たのに、しなかった。
殺すべきだったのに、殺せなかった。
自分に広い世界への興味を与えてくれた、友人だったから。
友であろうと、裏切れば許さない。殺すことに迷いは無い。
今のリオンセルはそういう人間だ。
二十六年前、一度だけリオンセルは失敗を犯した。
逃げ果せたリガルはあろうことかダルトラの英雄となり、アークスバオナと敵対する道を選んだ。
そのリガルが死んだ報を聞いた時、リオンセルは可笑しくて笑ってしまった。
彼はダルトラに尽くし、ダルトラに殺されたのだ。
自分ならばそんなことはしない。
仲間は裏切らない。仲間の方から裏切らない限りは。
平和の為に英雄を使い捨てにする国家と、欲望の為に他者を踏み潰す国家。
どちらが正義かなど論ずる気も無いが、リガルの選択は過ちだったと断言出来る。
「愚かなリガル……。僕に付いてきていれば、望む未来をくれてやったものを」
リオンセルは嘲笑するように唇を歪め、不意に表情を消した。
「僕にその資格があるとは思えないが、せめてもの餞だ。
リガル。かつての友よ。
お前を殺した国家を、僕が破壊してやろう」
元より全てを手中に収めるつもりだったのだ。
道中、私怨混じりの侵略を行ったところで問題は無いだろう。
仮に問題があったとして。
神に等しきアークスバオナ皇帝のそれを、一体誰が咎められるというのか。