54.146◇未来の魔術師、感激ス
去っていく幸助の背中が消え、扉が閉まるまでエコナはそれを見届けた。
幸助――正確にはリガルだろうか――が手配してくれた学院見学はエコナの胸を踊らせるものだった。
所狭しと並ぶ魔道具とその研究を行う学院生達。中には教職員だろうか、学生とは思えぬ人も混じっていて、赴きとしては学生集団というより研究機関に近いものを感じる。
といってもエコナにそういった見識は備わっていない。
その場の空気があまりにも真剣なもので、見るものもエコナからすれば高度な作品ばかりだったことから、成長する為の場としての学院とは似つかわしくないと思っただけだ。
学生と聞くと未熟であったり大人の途中という印象を持ってしまうが、ダルトラでは十五が成人。学院の場合、初等部であれば六歳から入学可能であり、卒業までの期間は実力主義。
カリキュラム云々より選択科目を修得出来ているかのみをいつでも実技なり筆記なりで証明可能で、それによって単位取得資格が決定付けられる。
だらだらと受講するだけの人間は一生単位が取得出来ず、逆に授業に参加せずともテストを突破すれば即座に単位が与えられる。
二十五歳までは学院生でいることが出来、卒業後の進路は自由だが、優秀な者はそのまま学院の創設家であるグラカラドック傘下の研究機関へ就職することになるという。
学院の種類は主に三つ。
貴族の系譜。
来訪者。
そのどちらにも属さない者。
エコナは最後者だ。
たまたま魔術適正が多く出ただけのギボルネ人。
正直、不安もあった。
幸助やシロ、生命の雫亭の人間はみな優しく接してくれるが、全人類がそうというわけではない。
エコナは人生の多くを極寒の地で過ごしてきたし、残りの短い期間は奴隷として、最近は酒場の給仕娘として暮らしている。
端的に言って、学院というものに馴染めるかわからなかった。
けれど、こういう場なら。
「攻略者育成科の場合は無駄に明るい子とかも多いですけどねー。基本的に魔術師育成科というものは成果主義的実力主義的な面が目立ちますから。エコナちゃん程の柔軟性と発想があれば適合出来ないってことはないんじゃないかなーと思いますよー」
そう言って励ましてくれるのはアリスグライス・テンナイト=グラカラドック。アリスだ。
ワインレッドの毛髪と瞳、体格は華奢で触れれば手折れてしまいそうな程に儚げ。
張り付いたような薄笑いは美しくもあり、空恐ろしくもある。
「アリスさんは、どの科に通っているんですか?」
「淑女育成科ですよー。貴族家の女は基本的に子を産む機械ですから、かくあるべしというルールを叩き込まれるのですー。優秀な雄の血を後世に残すことこそ存在意義だ、という風に」
彼女の言っていることは、よくわからなかった。
けれど、よくわからないことを言っている時だけ、彼女の瞳の輝きが純度を高める。
それが名状しがたい恐怖を煽った。
「ところでエコナさん。少しお聞きしたいことがあるのですが」
「? はい、なんでしょう」
「エコナさんとクロさんの出逢いは、迷宮だったと聞き及んでいるのですけれど」
エコナは首肯した。
「はい、その通りですが……」
前の主に死を前提とした時間稼ぎを命じられ、今まさに魔法具持ちに殺されるという場面で幸助に救われた。
「命を救うのは、まぁ英雄の行為としてそうおかしくはありませんよねー。ただ、その後で救った相手の生活まで保障する義理はどう考えてもない。特殊な性癖を持っているわけでも、労働力としての奴隷を欲していたわけでもないとすると、理由はなんでしょう?」
「そ、それは……こう……いえ、クロさんは、お優しい方なので」
「それだけで説明がつきますかねー? 他に何か……助けないことに忌避感を感じる? それとも強迫性障害といえるレベルまで達しているのでしょうか。助けずにはいられないという方が近いのでは? よろしければ、当時の映像データをいただけないでしょうか?」
今日は案内してもらった立場であるし、断る理由も特に思い浮かばなかったのでエコナは応じた。
映像を見終わった彼女が見せた笑顔は、とても印象に残っている。
運命の相手にでも出逢えばそうなるだろうかという程に頬を火照らせ、表情を緩ませていた。
「素晴らしい……! ――ですが、何故最初から『黒』を発動なさらなかったのか。序盤の苦戦がいまいち納得できかねますねー。まるで、その時使い方を知ったかのような……」
エコナは補足した。
「え、と。その通りです。わたしもあとからお聞きしたのですが、クロさんはその時、『黒』の使い方を知らなかったようで……」
「つまり、自身の特異性を正確に把握しないまま魔法具持ちに挑んだと? 豪胆といいますか無謀といいますか……。その場で彼が失われていた可能性を考えると背筋が凍る想いですよー。本当に、生きていてくれて良かったです……本当に」
それからアリスは、研究室以外も案内してくれた。
授業を受ける教室や、実験室、校庭。
そして学生食堂。
彼女曰く大人数の食事を短時間で用意する都合上味は落ちるとのことだったが、エコナからすればほっぺたが落ちる程絶品だった。
「エコナさんは、クロさんのことがお好きなのですねー?」
急にそんなことを言われてエコナは大変慌てたが、否定はせずにこくりと頷いた。
「わかります……。あんな素晴らしい力を直接目の当たりにすれば、疼かずには、惹かれずにはいられぬというものですよねー」
またしても、彼女の言っていることが分からなかった。
ただ、今度は受け流せない。
「……わたしは、クロさんがお強いから好きなわけではないです」
「? では、一体どの部分に惹かれたと?」
「その人柄です」
エコナは断言した。
幸助はレベル2で、『黒』も使えない中、見知らぬエコナの為に飛び出した。
救った後も、その場限りではなくエコナの生活が安定するようにと取り計らってくれた。
それに理由があるのだとして、アリスが考察するように純粋な善意以外の何かがあるのだとしても、それがなんだというのだ。
自分が助けられたことも、彼が優しいことも無くなってしまいはしない。
アリスは理解できないものを見るように、エコナを見た。
しかしそれもすぐに薄笑みに消える。
「なるほど、さすが英雄。力の一点突破では暴力の化身となってしまいますものねー。力は使い所。使い所を決めるは意思。であれば英雄と呼ばれる者のそれが、人々を惹きつけるのもまた道理ですねー」
理解してくれたのか、否か。
エコナには判断がつかなかった。
食事が終わり、食堂を出ると見知った顔に遭遇した。
煌めく金色の毛髪と双眸。
プラスだった。
「プラスさん? どうしてここに?」
「……クロ殿の命でして。見学を切り上げエコナ殿を送り届けるようにと仰せつかっております」
よくわからないが、幸助がそうしろというのならば文句はない。
「あらあらー、これはこれはプラスさん。己の無能も弁えず醜く英雄を目指すガンオルゲリューズ家の生き恥様ではないですか。今はクロさんの使いっ走りをしているとか?」
「師事しているのだ。貴嬢のように己を無能と決めつけ諦観に逃げる者には、その違いがわからないのだろうが」
二人共笑顔だが、険悪なのが一瞬で分かる雰囲気だった。
「どうしてクロさんはエコナさんを連れ帰ろうと? それもご本人ではなくあなたに頼んでまで」
「貴嬢に説明する義務はないかと思うが?」
「同じ三大貴族家の者同士ではないですかー」
「それがどうしたというのだ。ささ、エコナ殿。参りましょう」
エコナはやや困惑しながらも、アリスに「今日はありがとうございました」と頭を下げ、プラスの許へ行く。
「あ、エコナさん、少し待ってください」
怪訝そうな顔をするプラスを置いて、アリスはどこかへ駆け出す。
数分して、彼女は腕に白衣を抱えて戻ってきた。
それをエコナの肩に掛けてくれる。
「学院に入るのであれば最速で十の月の編入試験を受けることになるでしょう。エコナさんなら問題ないかと思いますよー。すぐに、白衣が似合う魔術師になれるでしょー」
そう言って、アリスはにっこりと笑う。
幸助にコートを掛けてもらった時と似た温かさが胸に染みていく。
「あ、ありがとうございます……!」
「いえいえー。クロさんにもよろしくお伝えください」
プラスはアリスの行いを胡散臭そうに眺めていたが、特に何も言わなかった。
学院を去る二人を、アリスは微笑みと共に見送る。
「……エコナ殿。何か妙なことをされませんでしたか?」
気持ちは、なんとなくわかる。
だがエコナは首を横に振った。
「アリスさんはとても良い方です」
そのアリスが『霹靂の英雄』リガルを殺し、トワを陥れようとした者であるとエコナが知るのは、少し先のことだった。