78.145◇紅の英雄、宿泊ス
トワはエコナを大層気に入った。
既に生命の雫亭には顔を出したことのあるトワだが、丁度その日エコナは学院見学の最中だったので逢うのはこれが初めて。
帰宅した幸助をエコナはその日も待っていてくれて、トワの登場に首を傾げた。
掻い摘んで説明するだけで、聡明なエコナは理解してくれる。
「……妹御さまも英雄だなんて、御兄妹揃ってすごいんですね」
と両手を合わせて驚いている様子だった。
声が弾んでいないのは、来訪者が皆不幸であるという前提を知っているからだろう。
心優しい同居人は、安易に羨むことは不幸の肯定だとでも考えてくれているのかもしれない。
と、そこでトワが妙な声を上げた。
「……きゃわ」
嫌な予感がする。
「……おい」
「可愛い!」
制止の声は届かない。
トワはエコナを抱きしめ、挙句頬擦りなどを始める。
「……うみゅっ、あ、あのっ、やめっ」
エコナは咄嗟のことに慌てながら小さな手足をジタバタさせた。
当たり前だ。初対面の人間にそんなことされたら、誰だって戸惑う。
「エコナちゃん可愛いね~。お肌もすべすべもっちりだし、お目目も髪も透き通るように綺麗だし。あっ、コウちゃんに変なことされてない? まぁ巨乳好きの変態だから基本的に子供には無害だとは思うんだけど」
幸助は彼女の脳天にチョップを叩き落とし、エコナから手が離れた瞬間を見計らって引き剥がした。
尻もちをついたトワが頭を押さえながら涙目で抗議する。
「ぼ、暴力っ!? 妹に暴力!? 今ので英雄の脳細胞が死んだんだけど! 国家の損失なんだけど!」
幸助は無視してエコナの頭を撫でた。
「ごめんな、こいつ頭は悪いんだけど悪気はないから許してやってくれ」
エコナは乱れた服装などを直しつつ、「大丈夫、です。驚いただけなので」と淡く微笑む。
「異議あり! コウちゃんだってそこまで頭良くないじゃんとトワは思います」
「かもな。でもお前ほど考え無しじゃない」
「むっかぁ……。三十分早く生まれただけのくせに、いつもそうやって偉そうに言うよねコウちゃんってさ」
不満気ではあるが、不機嫌になっているわけではない。
この空気感が、黒野兄妹の普通だった。
「本当に御兄妹なんですね。とっても仲良しさんで、びっくりしました」
エコナが少し羨ましそうにトワを見ているような気がした。
それから三人は椅子につき、トワが一緒に住みたがっているという話をする。
「それで、部屋は余ってるからそこはいいんだが、エコナ的には大丈夫か?」
いきなり知らない人間と一緒に暮らすというのはハードルが高い。
幸助とエコナは一緒に暮らすまでにクレセンメメオス戦というワンクッションを置いていたのと、事情が事情だったこともありスムーズにそれを受け入れられたわけだが、今回はそうもいかないだろう。
夜いきなり知らない少女が来て、一緒に暮らしたいというのだ。
戸惑うのは当然。
しかしエコナは微笑んだ。
少し、無理をするような笑顔だ。
「わたしは、大丈夫です。むしろ、御兄妹で暮らされる中にわたしがいるのは……ご迷惑ではないでしょうか」
幸助は失念していた。
エコナはとかく遠慮がちで、慎ましい。
だからトワの登場に不満を持つことなく、むしろ自分が邪魔なのではないかと考えてしまう。
そんな彼女に掛ける言葉は、すぐに出てきた。
「エコナを迷惑に思うことなんてないよ。いつも世話になってるのは俺の方だ」
「ですが……」
「嫌ならそう言ってくれて大丈夫だ。別にこいつ宿無しなわけじゃないから」
エコナは「滅相もありません……!」と首をブンブン横に振る。
「ただ……その。トワさんは、折角お兄さまと一緒に生活されるわけですから、わたしなどは邪魔ではないかと……」
トワは人差し指を立て、それを「ちっちっち」という声に合わせて左右に揺らした。
「トワはね、実はお姉ちゃんか妹が欲しかったんだよ。だからむしろコウちゃんを追い出してエコナちゃんと二人暮らしでもオッケーなわけ」
「オッケーなわけあるか。その場合俺どうするんだよ」
「外で寝れば?」
「理不尽過ぎる!」
極々自然に普段通りの口論に発展する二人を見て、エコナは呆然とした後、クスクスと唇に指を当てながら笑った。
「本当に仲がよろしいんですね。……あの、トワさん」
「なにかなエコナちゃん」
「……こうすけさんとの生活に、わたしがいてもご迷惑ではありませんか?」
トワは親指を立てて良い笑顔をエコナに向ける。
アークレアの人間にサムズアップが通じるかは微妙なところだが、エコナは笑顔の方を了承と受け取ったらしい。
ぺこりと頭を下げる。
「それでは、よろしくお願いします」
「トワの方こそ、これからよろしくね」
童女と少女が笑い合う。
「……そういえばお前さ、家事出来るようになったのか?」
炊事洗濯掃除、昔はからっきしだった筈だ。
自室の掃除すら、母かそうでなければ幸助に任せきりだったくらいだ。
トワは自信に満ちた、もといた世界で言うところのドヤ顔を幸助に向ける。
「完璧だよ。トワ、女子力高いからね」
「……お前は知らないだろうが、女子力は死語だ」
「うそっ!? あんな流行ってたのに……」
「流行は移り変わるものだろ」
一年前の流行語はもはや死語であるというのも珍しくない。
「と、とにかくっ! 料理できるよ」
「へぇ、例えば?」
「コウちゃん知ってた? 大抵の食べ物は火を通せば食べられるんだよ? しかもトワは『紅の英雄』だから自前の火が出せちゃうわけ。料理なんてチョチョイのチョイなわけ」
幸助は席を立ってエコナを抱き上げた後、階段へ向かう。
「さて、もう遅いし寝ようかエコナ」
「ちょっ!? 待って待って、洗濯も出来るよ? 洗濯機に全部投げ入れてスイッチを――って無視しないで! 掃除なら完璧だから、英雄の『風』魔法で埃を、『水』魔法で汚れを一掃できちゃうんだよ?」
「それはもう女子力でも生活力でもねぇだろ! ただの魔力だ!」
「コウちゃんってほんと一々細かいよね。そういうの女子に嫌われますけど?」
「お前が雑過ぎるんだよ。エコナとは大違いだな」
「あ! 今の傷ついた! そうやって比べるのほんと最低だって思うんですけど」
幸助は階段を上がっていく。
トワは文句を言いながらもついてきた。
「お二人は、本当に仲がよろしいんですね」
再びエコナが言った。
とても小さな声だ。
幸助に対する文句をぶつぶつ言っているトワには聞こえなかったようだ。
だから幸助は、エコナにだけ聞こえるように、こう返す。
「あぁ、そうだな」