72◇紅の英雄、嗚咽ス
番兵は二メートルと鷲鼻の兵士では無かった。
交代したのだろう。
駆けつけた幸助を見て、番兵が敬礼する。一人だった。
幸助はこちらも敬礼を返して、「トワは!?」と尋ねた。
「ただいまクライス二等兵……いえ失礼しました。もう一人の番兵が牢へからお連れするところであります!」
「そうか……」
やがて、扉が開く。
番兵に続いて、手錠を外されたトワが出てきた。
「……し、処刑執行が早まったってオチじゃない……よね?」
彼女はどこか不安げに言う。
どうやら釈放の理由は伝えられていないようだ。
「真犯人を捕まえた」
彼女はパチクリと瞬きを繰り返したあと、「うそ……」と口元に両手を当てた。
瞳が徐々に潤んでいく。
幸助は彼女に近づき、両手を広げる。
抱き締める寸前になって、トワが飛び退った。
彼女を抱擁しようとした腕が空を切る。
かなり格好悪い構図だった。
対するトワは、顔を赤くしながら、言い訳するように言う。
「だ、だめ……。お風呂入ってないから、きっとあれだし、臭うし……」
「……は、はぁ? んなクソどうでもいい理由で恥を掻かせないでほしんだが」
「ど、どうでもよくないんですけどっ!? いくらトワが超絶美少女でも、お風呂に入らなかったら汗の臭いとかしちゃうんで、クロにはそういうデリケートな部分わかんないかもしんないけどね!」
「お前が汗掻いてようが臭かろうがどうでもいいわ! 空気を読め!」
「は、はぃ? 読めるんですけど? スラスラ読めちゃいますけど? 『空気を読むことにかけてトワちゃんの右に出る者は全異界を探しても見つからないだろうね』と言われたことあるくらいなんだけどっ!」
「間違っても今のお前は空気が読めてないし、仮にそんなアホみたいな褒め方をする奴がいたとしたらそいつは人を褒める才能が無いから教えてやるといい」
「なっ、トワは人褒めるの得意だし!」
「お前なんじゃねぇか! 自画自賛もド下手なら嘘吐くのも下手とはな!」
墓穴を掘る妹だった。
「なっ、なっ……! そ、それを言うならクロは指切り下手だったもん!」
「あんなもんに上手い下手があるか! つーかな、こっちは命がけで無罪証明してきたんですけど!? ちっとは殊勝な態度をとったらどうなんだ貧乳」
「今おっぱいは関係なくない!? ただのわるくちだったよね! っていうか別に助けてなんて頼んでないんですけどっ!?」
「頼んでたじゃん。泣きながら『たちゅけて~』って言ってたじゃん」
既にトワの顔は深紅と言えるまでに赤い。耳まで、更には首もだ。
「そこまでは言ってないし! ほんとなんでこんなやつに頼っちゃったのかなトワってば! 白馬の王子さまがいないからクロでいっかとでも思ったのかなー! はいはいまぁご苦労様でした~。大義である~」
「……腹立つわぁ。『黒の英雄』侮辱罪でもっぺん牢屋にぶち込めねぇかな」
「やれるものならやってみれば? 明るくなったし温かくなったし食事も女の人が運んでくれるしでお風呂入れないこと以外は快適だったし~」
「それも俺が頼んだんだが」
「うわぁ恩着せがましい~。そういう男ってモテないってトワどっかで聞いたな~」
いつの間にか番兵が消えている。
誰も閉じ込めていない牢の見張りをしていても意味ないので、当然と言えば当然だった。
幸助はそろそろ茶番に付き合うのをやめにすることにした。
彼女に近づき、腕を取る。
「ちょっ、だからだめってっ……」
トワの身体は、小刻みに震えていた。
当たり前だ。
冤罪で死刑を言い渡されて、一人で牢屋に閉じ込められて。
どれだけの不安だったろう。
どれだけの恐怖だったろう。
解放されたからと言って、すぐさま元気になることなんて出来る筈が無いのだ。
でも、そこで強がってしまうのがトワという少女だった。
しかし、周囲にはもう人はいない。
幸助は彼女を無理やり抱き締める。
確かに、汗の臭いがした。
でも、気になる程じゃない。
幸助がトワの背中に手を回しているのに対し、彼女は両手を幸助の胸に当てている。
何度か離れようと叩くふりをしていたが、やがてそれもやんだ。
幸助の服を握り、声を押し殺して泣き始める。
幸助は黙って彼女の頭を撫でた。
「……んぐっ……ぐすっ…………クロ」
「あぁ」
「……クロ、どっちなの」
「どっちって」
「お兄ちゃん? 弟?」
「……お兄ちゃんだよ。お前はお兄さまって呼んでた」
「ふふっ……コウちゃんだろーが再設定を試みるな」
ずずっ、と洟を啜りながら、彼女は幸助の腰に腕を回した。
ぎゅっと、力を入れる。
「たすけてくれて……ありがと」
幸助は。
その言葉に、もう我慢が出来なくなって。
視界が涙で掠れて、声が出なくなってしまう。
五年前、幸助は妹を救うことが出来なかった。
でも、今度は。
この、二周目の人生では。
救うことが、出来たのだ。
彼女を抱き締める腕に、どうしても力が込められる。
「んっ……苦しいよ、コウちゃん」
「……トワ…………ごめん」
「なんで謝るの? コウちゃんはトワのこと、助けてくれたのに。こんなの、普通は出来ないよ」
「違うよ、トワ。俺だけじゃない。手伝ってくれた奴が、沢山いるんだ。お前のことを、助けようとしてくれた人が……この世界には沢山いるんだよ」
トワは「そっか……」と呟いてから、戸惑いがちに囁く。
「日本には、いなかった?」
「……わからない。でも、俺は、独りだったよ。独りで、やるしかなくて……」
きっと彼女は気付いているだろう。
幸助は前に過去生で目的を果たしたと伝えていたし、彼女は記憶を封印する程過去が凄惨なものだと自覚している。
そこに幸助との血縁関係が加われば、幸助の不幸の理由くらい察することが出来るというものだ。
トワは幸助の背中を、あやすようにポンポンと叩いた。
「…………目的、果たしたって言ってたよね」
「……あぁ」
「……ばかだなぁ、コウちゃんは」
「あぁ」
記憶が戻ったわけでは、ないだろう。
ただ、その呼び方の方がしっくりくるから使っているだけで。
「ねぇ、エルフィのとこ、行こうか」
「――な、んで……」
それを示すところを、幸助はすぐに理解出来た。
だから、理解出来なかった。
その理由を。
トワは顔を上げて、幸助を上目遣いに見つめる。
「コウちゃんのこと、全部思い出したいから」
「……でも、そんなに都合よく出来るものなのか? 仮にそれ自体は出来たとしても、それがきっかけになって……」
死の記憶を、思い出してしまうかもしれない。
それは、忘れていた方がいい記憶の筈だ。
「……うん。怖いよ。おかしくなっちゃうかもって、すごく怖い」
「なら――」
「でも、コウちゃんがいる」
「――――」
「いてくれる、でしょ?」
ずるい、と幸助は思った。
そんな風に言われたら、断れる筈が無い。
「あと、過去生の彼氏くんも思い出してあげないとだし~」
場を和ませるように、トワがおどけた調子で言う。
幸助はそれに合わせるように鼻で笑い、教えてやることにした。
「お前、彼氏居ない歴イコール年齢だぞ」
「えっ?」
「父さんと俺以外の男と出かけたこともないし、手すら繋いだことがなかった筈だ」
「そんな天然記念物みたいな超絶美少女が……」
「あと、お前は別に超絶美少女じゃない。いいとこ美少女だ」
「そこはいいじゃん超絶美少女で!」
「身内の欲目で見ても超絶は付けられないなぁ」
トワは幸助の胸に手を戻し、それを何度も叩きつける。
「そういうこと言う人にトワを抱き締める資格はないでーす。ただちに離れてくださーい!」
頬を膨らませて拗ねる彼女が面白くて、幸助は微笑ましい気分になる。
もう少しだけ、こうしてじゃれていたいと思った。
そんな場合じゃ、ないのかもしれないけど。
あと少しだけ。