71◇紅の継承者、観念ス
幸助は彼女の足の負傷を『白』で『無かったこと』にし、それからグレイを伴って軍部へ向かった。
まだグレイの発明が嘘であると多くの者は知らない。
アリス以外に刺客が用意されていないとも限らないのだ。
なるべく幸助の近くにいた方が万が一の時安全ということで執った措置だ。
軍部までは魔導馬車で向かった。
グレイは魔術適性こそあるものの多くの魔力は持っていない。
そこで魔力をエネルギーとして蓄える魔法具と、その魔法具と魔導馬車の操縦席にある水晶を接続する魔法具を開発し、そこから魔力を供給することで魔導馬車を動かせるようにしたという。
幸助が運転したのでその魔法具を使う機会は無かったが、面白いと思った。
魔力が少ない人でもそれを溜めることによって大きなことが出来るようになるということだ。
今ある魔動式の魔法具は魔力注入発動タイプがほとんどで、貯蔵魔力利用タイプは少ない。
幸助の家にある冷蔵庫などは後者だが、あれも数日に一度魔力を注ぎ込まなくてはいけないし、例えば使わなくても注いだ魔力は徐々に霧散してしまう。
魔力量の少ない人間が利用するには厳しいのだ。
だからこそ、魔力を長期間保存出来るこの魔法具は素晴らしい。
新たな商売も作り出せる。。
魔力の多い人間が魔力を蓄える魔法具に魔力を注ぐことで、魔力電池とでも言えるものが出来上がるわけだ。
自分の少ない魔力を溜めるよりも早いわけだから、魔道式の道具が一般に広く普及すれば需要は爆発的に高まるだろう。むしろ、普及の手助けになると言うべきか。
来訪者の安全な小遣い稼ぎにも、貴族の新しい国家への貢献方法にもなりそうだ。
そうこう考えている内に到着。
馬車を停め、手足を紐で縛られたアリスを肩に担ぎ、グレイと共に降りる。
ドルドがいた。
トワを捕まえた隊を率いていた壮年の軍人だが、幸助に協力してくれた人間でもある。
彼と、その部下数人が敬礼した。
既にドルドにはアリスとの一連の会話、その映像を送っていた。
ちなみにグラスに音声まで記録される仕組みだが、これは録音機能が付いているということではなく、映像記録に伴って周囲で発生した音の波を集積しているということらしい。
音の楽譜とでもいうべきものを作り、再生時に眼球の接触面から極微量の魔力を得ることで初めて『音声』に変えることが出来るのだと。
録音そのものとなるとさすがにコンタクトレンズサイズでは無理なようだ。
ともかく、彼女の自白と言い訳にもならない主張は全て軍部に渡っている。
と、そこでアリスが身じろぎ。
微かに呻き声を漏らす。
どうやら起きたようだ。
幸助は彼女を地面に放る。
「……ひゃん…………。痛いですよー。寝起きから家庭内暴力ですかー?」
幸助は頭が痛くなった。
先程の今で、爪の先程も変わっていないのが逆に凄い。
狂人からすればあの程度の絶望、立ち直るに時間を必要としないのか。
グレイだけでなくドルドを含むその場の全員――無論彼女を除いた全員という意味だ――が顔を顰める。
「あらら、こんな風に私を緊縛しちゃってもー。どうするつもりなんですか? えっち」
「緊縛じゃなくて拘束だ。えっちかは知らんが軍警に突き出す。裁きを受けろ勘違い女」
「そういえばベッドじゃなくてお外なんですねー? しかも人の目もあるというのに……まぁクロさんがそういうご趣味だというのなら、妻として応じるに吝かではありませんがー」
幸助は対応するのを止めた。
「早く連れて行ってくれ。頭がどうにかなりそうだ」
ドルドが頷き、彼の部下が動く。
「アリスグライス・テンナイト=グラカラドック、貴嬢を捕縛する」
「……あはは。クロさん、本当にこのまま全て解決すると思っていらっしゃるんですかー? トワさんを処刑した方が良いと王室は一度認めたんですよ。発表もしてしまった。この状況でそれを覆して、名門グラカラドック家を含む有力貴族の名を貶めることが国益に繋がるとお思いで? そもそも、そんな馬鹿げた策を貴族院が認めるとでも?」
彼女の言葉に、ドルドの部下の動きが止まってしまう。
青年兵は戸惑うように幸助を見た。
「認めるよ」
「どーしてそう言い切れるんですー?」
「それを認めないクズ共は全員国政から外れてもらう」
「? あなたに何が出来ると?」
「アリス、お前は死刑だ。でも自分大事なお前がそれを受け入れるかな? 俺にはそうは思えない。お前は俺とグレイが繋がっているかもしれないと疑っていたんだろ? そこまで頭の回る奴なら、事が露見し糾弾される事態も想定している筈だ」
「…………」
「お前は今回の件に協力した人間を知っている。証拠だってわざと残してるに決まってる。そいつらを全員捕まえれば、そいつらに協力してた奴も捕まえられるだろう。芋づる式って言って通じるかな。それとも、一網打尽の方が分かりやすいか?」
彼女は幸助の子を孕む為なら家族や王だって殺せると認めた。
そんなアリスが他の貴族への義理なんて人間らしいものを持っているとも思えない。
甚だ遺憾だが、減刑をちらつかせるなりすれば全て吐くだろう。
「もし断ったらどうなるんでしょー?」
「その場合は、ちゃんと処刑してやる。あぁ、俺が担当を買って出よう。お前の死体なんて豚の餌にも劣るが、命は次代に繋いでこそって言葉は響いたからな、そのクソみたいなステータスも俺の糧にしてやるよ。嬉しいか?」
「……あははー。それはそれで魅力的ですけどねー。私としては折角子宮が機能してることですし、気持よく数を増やす方向でいけたらなーと思うんですけどー」
「ぺらぺら情報を吐くか、じゃなきゃ死ぬか。前者の方がオススメだぞ。なんでかっていうとだな――」
そこで、その理由が現れる。
「あらクロ、お疲れ~。そしてアタシにもお疲れさまって言いなさい」
エルフィだった。
彼女にもドルドに送ったのと同じ映像を送信していたのだ。
そして同時に頼みごともしていた。
アリスに精神干渉を受けた者の“調律”だ。
「お疲れ。それで、治ったのか?」
彼女は自分の手を反対側の肩へ伸ばし揉むというのを繰り返しながら返答する。
「当たり前でしょー? 魔法具付けただけの貴族様魔法に、バリバリ本物の英雄様が劣るわけないじゃない。あーそれにしてもおっぱい凝っちゃったわ。クロちょっと揉んでくれないかしら」
女から男へのセクハラも成立すると教えてやった方がいいだろうか。
いや、ここはもといた世界ではないから言っても通じないか。
「クロさん、エルフィさんって頭大丈夫ですか? こんな脳みそ弄る才能と巨乳だけが取り柄の淫乱より、絶対私の方がクロさんを幸せに出来ると思うんですがー」
エルフィがクスクスと淫靡に笑う。わざとだろう。
「肉体的魅力だけでなく、人間的魅力すら大きく欠如した英雄殺しには言われたくないわねー。アタシの方がクロを幸せに出来るわ。何故なら一秒あれば脳内麻薬をダバダバと――」
話が脱線する未来が容易に想像出来たので、最後まで言わせない。
エルフィの声を遮る形で、アリスに言葉を投げかける。
「お前なら言わなくても分かるだろうが、情報を自主的に吐かない場合、強制的に吐かせる」
「……あのですねー、名門貴族のグラカラドック家子女に対してそんな無礼、許されるわけないってわかりませんかねー?」
「トワが処刑されることになったのは政治的判断だ。でも、お前を捕まえて情報を吐かせるのは治安維持だよ。分かってないのはお前だ。もう、軍警の管轄なんだよ。……てめぇの家柄なんぞ知ったことか。あの気持ち悪い自分語りを国中にばらまいてやるとでも言えば黙るだろ」
彼女は俯き、肩を震わせる。
泣くような感情の揺らぎはあるのかと思いきや、違った。
「ふふっ、ふふふっ、あはははっ! 凄いです! 大胆で博打みたいな策を弄すると思ったら、詰めは誤らず繊細に理屈を捏ねて追い詰めてくる! 貴族家の自己保身体質まで計算に入れていたんですね! 分かりました全部お話します。なので私の命だけは助けてください。そしていつかでいいです、あなたの子を――」
「連れて行け。手錠を忘れるなよ」
青年兵は幸助の声に慌てたように頷き、彼女に手枷を嵌めた。
舌を噛まないように猿ぐつわも巻かれ、ようやく無駄口から解放される。
「エルフィ、引き続き頼めるか?」
エルフィは珍しく真面目な顔をして、「当然でしょ」と答えた。
「こんな小娘でもリガル殺しの犯人なんだから、容赦はしないわ。話している情報が本物かどうか、脳みそ丸裸にしてでも確認し尽くすわよ」
そう言って彼女は兵士の後に続く。
残ったのはドルドともう一人の部下だ。
「……貴殿ら二名の瞞着行為についてだが」
予想していたことだったので二人は驚かない。
情報聞誌の情報もこれで虚偽であったと世間にバレる。
そうすれば聞誌社にも迷惑が掛かるだけでなく、グレイの名声が地に落ちるだろう。
不備があったとか発表されればいい方で、国中から詐欺師と認識される可能性も高い。
聞誌を読んだだけの者にとってはグレイ一人の自作自演と思われるだろうが、貴族院と軍部の人間の一部は演習場で実際に『黒』を見ている。
あの魔法具が偽物なら、幸助がグルだった場合しかあのパフォーマンスは成立しない。
当たり前のように、同罪だ。
グレイは何も言い訳しなかった。
「然るべき罰を受ける。抵抗はしない」
幸助はわざとらしく両手をくっつけて差し出して見せる。
手錠を嵌めろと言わんばかりの仕草だ。
「右に同じだ。けどその前に、トワを解放してくれ。それを確認出来れば、取り敢えずは文句無い」
二人のその態度に、ドルドは首を傾げた。
「貴殿らが何を言っているか分かり兼ねる。件の模擬戦に関しては、捜査の一環であると判断したが?」
幸助とグレイは、思わず顔を見合わせた。
再びドルドを見ると、唇を曲げて笑っている。
「……だが、こほっ、あれは明らかな詐欺行為ではないか」
「ふむ。確かに騙された。だが詐欺の罪とは、それ自体を指すのではない。騙し、損害を与える行為まで発展した場合のみ、それは詐欺の罪となるのだ」
言われてみれば、その通りだ。
いや、聞誌社にはある意味損害を与えることになるが、その点を国賊を捕まえる為の捜査協力という形にし、かつそれが真犯人捕縛の手助けとなったことを多少脚色して発表すれば、そう大きな批判は起きないのではないか。
それでも何か埋め合わせはしなければならないだろうが、そこら辺は今まで拒んでいた顔出しを許可することでどうにか許してもらえないか。どうだろうか。
ともかく、罪には問われないということだ。
「でも待て。貴族院と軍部の貴重な時間を浪費した。これを許せば、示しがつかないだろ」
それもまた事実の筈だ。
しかしドルドは笑みを崩さない。
「何を言っている。英雄が現れれば決闘をする。それは伝統だった筈だが? 魔法具によって『黒』の遣い手が生まれ、ドンアウレリアヌス名誉将軍に代わりグラムリュネート名誉将軍がその相手を務めただけのこと」
「こほっ……いや、だがそれは屁理屈というものではないだろうか。そもそも、こほっ、わたしの魔法具は贋物であり、それを虚偽と見抜いた軍部が例の性能テストを、こほっ、慣例に沿った決闘であると判断するのは無理があると、こほっ、思うが」
「貴族院も黙ってないんじゃないか?」
言いつつも、幸助の方は既に顔に笑みを浮かべている。
「近々貴族院の編成に大きな変化があるだろう。新体制の貴族院から果たして、そのような不満が出るかどうか」
「しかし……」
根が真面目なのだろう、グレイは食い下がる。
幸助は焦れったくなって話を急いだ。
「で、トワは解放してくれるのか?」
「あぁ、面会時と同じ場所へ向かってくれればいい。釈放手続きに移っている筈だ」
幸助は駆け出したくなる思いを堪えて、まずグレイを見た。
「ありがとうグレイ! お前のおかげだ!」
「……何を言う。こほっ、それはこちらのセリフだ。わたしはいい、行ってやれ」
幸助は頷いて、ドルドを見る。
「もう手遅れだが、それでもグレイを狙う者がいるかもしれない。しばらく頼めるか?」
ドルドはしっかりと頷いた。
「任された」
それを聞き終え、今度こそ幸助は走り出す。