69◇紅の継承者、絶望ス
アリスは心底不思議そうな顔をしている。
幸助は、それを嘲るように笑った。
「お前に俺が理解出来ないのも無理は無い。末裔というだけで英雄の力を継がぬお前と、英雄である俺では在り様とやらが違うんだろう。英雄たる資格を持たないお前に、それを解する事が出来ないのは当然じゃないか?」
「――――……あ、あははー」
その笑みは、痙攣するようなものだった。
怒りの代わりに、どうにか表出させることに成功した出来の悪い笑顔。
彼女が幸助から見て異常者だとしても、人類ではないわけではない。
歪んだ正の感情だけで生きているわけではない。
どこかで、負の感情を刺激されることがある筈だ。
例えば、英雄の末裔としてのプライドを、踏み躙られるとか。
幸助の言葉は微かに彼女の矜持を汚すことが出来たようだ。
アリスは先程よりやや余裕を失った声で、幸助の求めに応じる。
「まぁ、旦那様のご命令とあれば、断れませんねー。【其は城塞が如き堅固の体現者】【撃発せよと命ずる】」
土製の槍が一時名槍と化し、その石付き付近で爆発が起こる。
その衝撃を推進力に変え、飛ばしたのだ。
「【焔槍にて火葬を執り行う】」
槍を一つ飛ばすにしても、アリスは五つの魔法を行使した。
幸助なら、一つだ。
灼熱する大槍が幸助の背後に出現し、意思を持ったように空を駈ける。
アリスの槍と中空で激突し、即座に燃やし尽くした。
一瞬足りとも、拮抗させはしない。
圧倒的な力の差を見せ付ける。
アリスはそれを見て、表情を蕩けさせていた。
涎すら垂らしかねない顔で、幸助に媚びるような視線を向ける。
「す、素晴らしいです! 小細工を弄することなき絶対的力! それでこそ英雄というもの!」
幸助のもといた世界では、英雄と言っても様々な人物がいた。
怪物を打ち倒す伝説的存在から用兵に長ける者や文化的英雄と呼ばれる人物まで幅広く。
しかしこの世界においては、神話時代に名を残す者という形でしか英雄は存在しない。
そしてその英雄達は、武力に限らずとも誰もが圧倒的ステータスを誇った。
だから、アリスの認識もこれに限っては多くの人間のそれと大してズレていないだろう。
「お前は、これが欲しいんだろ」
欲しい玩具を見る子供のような表情で、彼女は何度も頷く。
「はい! 欲しいです! この世の何に代えても!」
「リガルを殺し、トワを陥れてでも?」
「当たり前じゃないですか!」
「じゃあ、その為に家族や、王を殺せと俺が命じたら?」
「? やりますよー? なんなら今からでも」
幸助は、深い深い溜息をゆっくりと吐く。
「世界を救うのに、『自分達が』っていう前提を求めるお前らは、間違っても英雄なんかじゃないよ。英雄になんか、なれない。僭称する資格すらない」
リガルは言っていた。
自分一人の人生では足りないと、認めることが出来ていた。
ルキウスや幸助に、託そうとしていた。
自分が、自分がだなんて、卑しい主張は一切しなかった。
功を求めるのは良い。
上昇志向もプライドも、上に行くには必要だ。
ある種の傲慢さが必要な時もあるだろう。
でも、これはだめだ。
お前はだめだよ、アリス。
終わってる。
救いようが無い。
「さっきから尽く何を仰っているのか理解出来ないんですが、結局どうすれば私を女にしてくださるんですかー?」
幸助は彼女に近づき、見下ろす。
ハッキリとした声で、断言する。
「お前には、何もくれてやるつもりはない」
「意味がわかりませんねー」
「お前は罪を認め、償うんだ。その命と引き換えに許しを請うことになっても、従え」
「……意味がわかりませんねー」
幸助の『黒』が、彼女の首元までを覆う。
その全ての魔法具を、回収する。
「お前に、俺の子を産む機会は、一生与えられない」
アリスはその言葉を聞いた瞬間、顔面を蒼白にした。
今までの軽い調子が嘘のように、狼狽する。
「……なんでそうなるんですかねー? なんで? なんで……! なんでですかねー!? 理解できません理解できません理解できません! 一体どこに不満があるんですかなんでもするってどんなことでもしてあげるって何度も何回も言ってるのにこれ以上何が必要だって言うんですか教えてくださいよ私が一体どんな失敗を犯したって言うんですか何も悪いことしてないのに!」
彼女の慌てようを見て、幸助の胸が僅かに空く。
彼女にわざわざ魔法を撃たせた甲斐があった。
普通の言葉や攻撃で傷つかない彼女を傷つけるには、どうすればいいか。
欲しいものをちらつかせ、欲する気持ちを喚起させ、踏み躙る。
誰だってそうされれば、悔しいだろうから。
それでもなお胸中を満たす黒々とした感情を、幸助は言語化することにした。
「……お前が、どんな悪いことをしたか? あぁ、分からないなら教えてやるよ」
「……そうですねー。教えてくださればすぐに改善しますのでー」
「お前の所為で、リガルが死んだ」
「――――そ、れは」
何か言おうとしたようだが、結局アリスは口を噤んだ。
殺したのは事実だから、反論する余地が無いと判断したのかもしれない。
「それともう一つ」
肺にありったけの空気を取り込み、それを一気に放出するように幸助は叫んだ。
「お前の所為で、トワが泣いただろうがッ!!」
幸助の怒号は夜気を切り裂き、周囲の種々(くさぐさ)までもそれに震えているようだった。
アリスは、まるで化物にでも対峙したかのように、表情を恐怖に引き攣らせている。
幸助が怖いのではない。
幸助の言葉が理解の範疇を超えていて、理解不能という現実を恐怖しているのだ。
「……意味が、わかりませんねー。トワさんが、泣いた? 囚われた後でということですかー? そういえば面会されたという情報が入っていたような……。それがどうしたって言うんですー? 私を拒絶する理由には足りないと思いますがー?」
「足りないも何も、それで充分なんだよ」
「いやいやいや……! 女が一人泣いたくらいでこんなことするなんて正気とは思えないですよー。どう考えても私を妻にする方が幸せですよねー? 何人妻を娶ってもいいですし、どんな奉仕でも喜んでしますよ? それとも、英雄のステータス持ちとシタイってことですかー? それならクウィンさんかパルフェさんあたりとの縁談を当家がどうにかしますから、ね?」
幸助は『黒士無双』の柄に手をかける。
そして、突き放すように言った。
「アリス。俺の二周目の人生に、お前は要らない」
アリスはようやく、そこに至ってやっと、幸助が自分に向けている感情に気付いたようだ。
「ま、待ってくだ――」
言葉は最後まで放たれない。
『黒士無双』の柄頭を側頭部に叩き付けられ、彼女は気絶した。
地面に倒れ伏し、動かない。
紅の継承者は、幸助に負けた。