67◇英雄殺し、登場ス
案の定、ストップが掛かった。
前向きな軍部に対して、貴族院は反意を示した。
言い分はこうだ。
安易にその魔法具を量産するのは危険である。
英雄とはその精神性すらも含めて指す存在であり、それを持たぬ者に過剰な力を与えるのは危険。
量産化が進めば、一般兵だけでなく臣民への流出も起き得る。
そうなった時、『黒の英雄』の力を使った犯罪が起きないとも限らない。
力は細心の注意を払って運用されるべき道具であり、やすやすと手に入るものであってはならないのだ。
国家に殉ずる兵士と言えど、翻意しないとは言い切れない。
逆にそれを持った裏切り者がアークスバオナへ寝返り、敵もまたこれを量産することとなれば戦況は泥沼化する。
よって、より詳細で国益に繋がる生産プランを、貴族院で合議する。
それは言葉だけ見れば、そう間違ってもいない意見に思えた。
全て、幸助とグレイの狙い通りだ。
ここで「じゃあ早く量産しましょう!」とでもなったら、すぐさま嘘がバレてしまう。
ひとまず保留としてもらわなければ困るのだ。
貴族達ならば保身の為に理屈を捏ねるとは思ったが、こうも予想通りとは。
軍人に政治は許されない。
軍部は引き下がるしかなく、グレイは表面上悔しそうな顔をしながら、研究室へと戻った。
そして、夜。
幸助はグレイの研究室へいた。
無論、誰にも見られずに入った。
そこかしこに計器らしきものや、見慣れない器具が散乱している。
紙の資料が尋常じゃない。
幸助はある机の下に身を隠した。
一つしかない出入り口からは見えない位置にある。
更に魔力漏れを防ぐ為に、被膜を発生させる【我其の衣纏いし】を発動。
これによって、犯人は幸助に気付けない。
本当ならグレイは安全な場所にいて欲しかったが、彼自身が真犯人との対面を強く望んだ。
捕まえてから話をさせて欲しいとは聞いていたが、どうしてもと頼まれ幸助は覚悟を汲むことにした。
魔法具の研究資料自体は欲しい筈なので、すぐに殺されることはないだろう。
魔素化されているデータの場合、もといた世界と同じくロックを掛けられる。
真犯人がグレイの発明を信じている以上、発見次第殺害という手段は執らないと予想出来る。
とはいえ絶対ではない。
幸助は予め彼の白衣の裏地部分に『黒』を潜ませた。
最悪の場合でもすぐさま敵の魔法を『併呑』で飲み込めるし、目視さえ出来れば『白』で損傷を『無かったこと』に出来る。
そして、それはあまりにも自然に、現れた。
「おじゃましま~す」
グレイは幸助の隠れている近くの側に立っている。
扉はその正面にあるので、侵入者とグレイが向き合った形だ。
「………………きみがリガルを殺したのか――アリス嬢」
言葉を紡ぐのもやっとといった様子で、グレイが言う。
驚きは無かった。
ただ、疑問はある。
「なーんだ。やっぱり罠だったんですねー。私は怪しいと思ってたんですよー」
気の抜けた、あるいはお気楽な声で、『紅の継承者』アリスは言う。
「でもでもやっぱり放置は出来ないじゃないですかー。実際に『黒』を見てしまったら焦りますよねー? でもこうなったってことは、クロさんもいるんでしょう? あぁ、お顔が見たいなー。グレイさんを燃やされたくなければ出てきてください」
幸助は机の下から出て、彼の隣に立った。
前に出なかったのは、まだグレイの話が終わっていないと判断したからだ。
アリスは学院の制服の上にローブを羽織っただけの格好だった。
この件に関しても露見しないとでも考えているのか。
ただ、体中に装飾具を装備している。装飾過多といえるくらいに。
全て、魔法具だろう。
「昨日ぶりですねー。あぁ、やっぱり私、クロさんのことを愛しています。だって――あなたを見ているだけで濡れてしまいましたからねー」
興奮からか、彼女は頬を紅潮させていた。
正気を疑う。
「お前、状況分かってんのか」
「うーん、分かってないのはどっちなのでしょー。それよりお聞きしたいことがあるんですがよろしいでしょうかー? もしお答えいただけたら、グレイさんのお話にも応じますよー?」
最初にグレイが対応したことから、その意図を的確に見抜くアリス。
幸助はグレイの手前もあって、先を促すことにした。
「こちらの穴は一つなんですよ。ただ一つ、トワさんが犯人だって明確な証拠を用意出来なかったことですよねー? それにしたところで押し通せる筈だったんですけど、どうして分かっちゃったんですかねー? まさか確証もなしにこんな博打みたいな策執らないでしょうしー」
そのまさかだった。
言ってしまえば、幸助とグレイは共通の妄想を勝手に確信しただけなのだ。
それを素直に話すと、そこで初めてアリスから笑みが消えた。
呆れるような、理解不能を示すような顔をする。
「いや、いや、いやー。おかしくないですかねー? 失敗してたら、グレイさんはもちろんクロさんの信用も落ちますよねー? リスクとリターンが吊り合ってないように思えるんですけど……。お二人がそこまで真相を究明する理由が無いからこそ、私達はまんまと罠に嵌ってしまったわけなんですけどねー」
幸助とトワが兄妹であることは、エルフィしか知らない。
幸助側の動機を想像出来ないからこそ、貴族連中は今回の策に嵌まるしか無かった。
「お前に話す必要があるか?」
「ないですねー。ところで、私って軍警の捜査で潔白を証明されているんですけど、リガルさんを殺したなんて失礼なこと、どうして断言出来るんでしょうかー? そもそも無力な私が、どうやってかの英雄を殺せるとー? 不可能ですよー」
しらばっくれているのではなく、証明出来るものならしてみろと言っているのだろう。
グレイが口を開いた。
「こほっ、簡単なことだ。きみは捜査時、自分の記憶を封じた。これにより真偽看破を超える。覚えていないのだから、口にした『やってない』という言葉が虚偽と判ぜられるわけもない。こほっ、その後念の為と記憶を覗こうとした者を、きみはおそらく――洗脳した。こほっ、その者の精神に干渉し、きみの記憶に不備は無かったと思い込ませた」
アリスは既に笑みを取り戻し、ニコニコ笑っている。
「私にそんな高度な魔法が使えると仮定すれば、通る理屈ではありますねー。でもグラスの映像はどうするんですか?」
「目撃者が三人であるというのは事実だろう。だが、こほっ、きみはそれに含まれない。別の者に犯行現場を目撃させ、そこにあらかじめ君の声を記録した『風』発声魔法を重ねた。こほっ、のちにその者から該当部分の映像を受け取り、それを軍警に提出した。不自然なところがあれば疑われるだろうが、きみは既に二つの検査を突破している。こほっ、音声込みで映像も鮮明とあれば、わざわざその映像を記録したグラスの登録者まで調べようと思う者は少ない。こほっ、いや違うな。纏めて洗脳する方が早いか」
アリスは慌てることもなく、楽しそうに拍手する。
「なるほどなるほどー。さすがはグレイさん、常識に囚われないその妄想、とっても素晴らしいです。でもでもー、私がそんな高位の魔法を使えるわけないじゃないですかー? 子を孕むしか能の無い無能ですよー? うちにあるオリジナルの神創魔法具掻き集めても、私のような無能をそこまでの超人には変えられないと思いますけどー?」
グレイの言葉の続きは、幸助が引き継ぐ。
「いや、お前が使えるのはグラカラドック家の神創魔法具だけじゃない」
「……と、言いますとー?」
「お前に協力した貴族家の抱える目ぼしい神創魔法具全てだろう。それだけじゃない。お前、ライクの魔法具も使ってるな?」
『暁の英雄』ライクは幸助に殺される際、言っていた。
国に奏上していない魔法具が家にあると。
彼の死後、それはどうなったか。
回収され、研究対象となった。
研究機関は?
魔女・魔術師の育成を一手に担う学院の創設者――グラカラドック家だ。
そこには擬似英雄に貸与される前の、解析が済んでいない神創魔法具が数多くある。
たった一日だけなら、バレずに利用することも出来るだろう。
そして今も、それらを装備している筈だ。
「あぁ…………じゃあ、私達の目的もバレバレなんですねー?」
「俺をシェアする取り決めでも交わしたか?」
「はい、そんな感じですねー。ちなみにあなたを洗脳する時はエコナちゃんを人質にとろうと思ってたんですよー。英雄様と違ってこちらは強い力を使うにも用意が必要ですからあの日は見逃しましたけどねー。トワさんが死んでからでいいかなーって」
彼女の余裕はそこにある。
つまり、今この場で幸助とグレイを支配下に置くつもりなのだ。
「と、いうわけでー。グレイさんの質問に答えるコーナーに移りましょうかねー」
グレイの纏う空気は重い。
幸助は相手がいかれていると判断してすぐ対応出来るが、グレイは違うのだろう。
何故こんな態度をとれるのか、理解できなくて苦しんでいる。
「……リガルは、きみの父上とも盟友だったはずだ」
「はい。だから選んだんですよー? あの人ったら、家まで送ってやるとか言ってましてー。私面白くてちょっと世間話に付き合っちゃいましたよー。ものすごーく! 簡単に殺せました。英雄とはいえ人の子ですねー。ちゃんちゃん。次のご質問どーぞ~」
幸助は今すぐ彼女を殴り飛ばしたい衝動に駆られたが、どうにか堪える。
グレイと約束したではないか。
話をさせると。
「……罪悪感は、無かったのか」
アリスは首を傾げて、嘲笑するように笑う。
「なんでそんなものを感じなければならないんでしょー? 無駄死にさせたならともかく、クロさんの中で彼の力は生き続けるんですよー? 更に、これからクロさんの力を引き継いだ赤ちゃんが沢山、たぁくさん! 生まれるんです! 命は次代に繋いでこそですよね? それの一体どこに罪の要素が?」
「リガルは、英雄だった」
「? じゃなきゃわざわざ殺す意味ないですよねー? クロさんに豚の餌を食べさせるわけにもいきせんしー」
「奴は、この国を想っていた」
「じゃあ死んでよかったじゃないですかー。クロさんと私達の子が世界を救いますよー。世界に貢献できましたねー? 天国で喜んでいらっしゃるかと思いますよー」
この人間には、話が通じない。
心の規格が、違うから。
こちらの正常に共感を示す機能を、有していないから。
人の形をした異形なのだ。
対話は無意味。
それでもグレイは、最後に訊いた。
「英雄は、世界の為に消費されていいと?」
アリスはにこやかに答える。
「まさしくそれこそを、英雄と呼ぶんですよねー?」
グレイは魂が抜けたように、膝を屈した。
地獄の底から響く怨嗟を固めたような、声を出す。
「…………貴様らの罪咎は、永劫雪ぐ事が出来ぬほど、重く穢らわしい」
「理解は求めませんよー。あなたは所詮、臣民ですからねー。私達の祖先が、英雄がいるから人類は存続出来たんですよー? 英雄がいなければ滅びていたような者の末裔に、その在り様を解する事が出来るとも思えませんしねー?」
さて、と彼女は幸助に向き直る。
「私としても、あなたを操り人形にはしたくないんですよー。私があなたを愛しているように、あなたに愛されたいという乙女チックな願望もありますしねー」
幸助は短く吐き捨てた。
「くたばれ」
彼女は自分の唇を、優しく撫でた。
「私、愛される為の努力は惜しまないタイプなんですよねー。昨日も言いましたけど、あなた好みの女になろうと頑張れますよー? 異界のえっちな行為についても勉強してましてー、あ、口とかでも出来ますからねー。どうです? 妊娠適齢期の貴族令嬢を思いのままにする権利ですよー? どうですか、なんなら、今からでも。たっぷり気持ちよくしますよー?」
彼女は口を開け、艶めかしく舌を動かして見せた。
幸助は【黒纏】を発動し、右手に握った『黒』の大剣を構える。
「あぁ、これをてめぇの口に突っ込めたら、最高に気持ちよくなれそうだ」
「そんなおっきいの、お口に入りませんよ、ぶ、ぉっ!?」
彼女の肩口に黒剣が突き刺さり、その背後の壁まで貫通する。
彼女の反応速度を超える刺突を繰り出したのだ。
「お前が無力なゴミクズになるまで、片っ端から魔法具を奪ってやるよ。頼むから降参しないでくれ、簡単に収まりそうにないんだ」
幸助の殺意を受けても、彼女の笑みは消えなかった。
それどころか、その瞳は溢れんばかりの喜色で満ちていて。
「凄い、凄い凄い凄い! こんなに沢山魔法具つけてるのに、まったく見えませんでした! あぁ、あぁ、あぁ! 好きですクロさん、愛してますクロさん、あなたの子供を産ませてください! 私の子作り部屋を今すぐ使ってください!」
「地獄で子鬼相手にでも股を開いてろ」
右腕を切り裂き、魔法具ごと腕を『黒』で飲み込む。
魔法具は『併呑』せずに保管しておく。
そしてすぐに『白』で彼女の負傷を『無かったこと』にしてやる。
出血なんかで死なれては困るからだ。
横薙ぎの一閃。
彼女は躱した。
反応というより、予測だろう。
それなりにステータス上昇はしているようだ。
「いけずですねー。でも本気になると激しい。男の顔、してますよー?」
「これはな馬鹿女、男じゃなくて、復讐者の顔だ」
「子宮が疼いちゃいます」
「そのよく回る舌から引き抜いてやろうか」
二人は向き合う。
幸助の殺意を、彼女は笑顔で受け流す。
「交渉決裂なんて残念ですよー。でもまぁ仕方ないですねー。あなたをどうにかして、洗脳して、たっぷり調教して、私を大好きで一秒離れるのも我慢ならないっていう、だめだめで甘々な旦那様に変えて差し上げますねー」
「きーきーうるせぇんだよ売女。死なねぇことにだけ全力を注いでろ」
「クロさんこそー――簡単に逝かないでくださいねー?」
罪を認識できない英雄殺しの魔法が、幸助に襲いかかった。