66◇英雄と魔術師、策謀ス
幸助は新聞を読んだことが数える程しかない。
数える程というか、実を言えば読んだことがない。
小学生の時、習字の授業で必要だと言われ父の読み終わったものを貰ったのが、新聞に自分から触れた最後の記憶のように思う。
ただ、こんな話は聞いたことがある。
例えば朝刊は早朝に配達される。
四時や五時くらいに届くのもそう珍しくないようだ。
だというのに、その新聞に当日零時に起こった事件の記述があって驚いた、という話だ。
入稿・印刷・販売店へ輸送・販売店からの配達という流れがあるにも関わらず、数時間前の事件に関する情報を載せることが出来る、ということだ。
もちろん、様々な理由や事情があるのだろう。
幸助はそれに関してはなんとも言えない。
ともかく、もといた世界の新聞ですら、記事の差し替えは深夜帯でも間に合うことがある、という事実が肝要だ。
ダルトラでは情報聞紙と呼ばれているが、概ね同様の存在らしい。
臣民はそれによって政治経済、国際情勢から街レベルの事件などの情報を得る。
戦争や迷宮攻略に関する情報も載るので、顔出しをしていない幸助以外の英雄は逢ったことがなくても知っているという者は多い筈だ。
グレイの策はそれを利用したものだった。
その日の一面記事だ。
『メレクト帰りの大魔術師・グレイルフォン氏――色彩属性魔法具の開発に成功! 誰もが神話英雄の力を行使出来る世界の到来か』
この情報に、王都は激震した。
新聞の一面には、【黒纏】を発動しているグレイの写真もでかでかと掲載されている。
無論、幸助の仕込みだ。
酒場を後にした二人は、事前に話を通していたという記者の許へ向かった。
この際、幸助は記者本人からは見えない位置に隠れ、当然姿も現さなかった。
聞誌社としても進んで虚偽を載せるわけにはいかないから、事実確認は行う。
そこでグレイは用意していた偽魔法具を発動したフリをし、それに合わせて幸助が『黒』を出した。捕食対象は調整可能なので、【黒纏】を彼に纏わせても彼を食らう心配は無い。
実際は少し緊張したが、これでも英雄だ、操作を誤ることは無かった。
ともかく『黒』を目の当たりにした記者は大興奮。
メレクトでは色彩属性を研究している者もいることは有名だし、更にグレイはそのメレクトで修行していた身だ。
実演までされれば、疑いも消えるだろう。
その時点でグレイと幸助を繋げる線は、酒場での邂逅しかなく。
酒場の人間が幸助を裏切る心配はない。
一般客は前述の通り顔出ししていないことから幸助が『黒の英雄』であると知らず、それを知る者は気の良い来訪者ばかり。
幸助がグレイに協力して『黒』を偽装したと考えられる者は、いない。
策はまだ続く。
ルキウスやエルフィの力も借り、以前リガルと決闘した演習場を借りきっていた。
そして、そこには軍上層部と貴族院の人間が詰めている。
昼のことだ。
ライクに続きリガルを失い、更にはトワを処刑することになったダルトラとしては、簡易に色彩属性の擬似英雄を作り出せるという話に興味を示さない筈が無かった。
場合によってはアークスバオナとの力関係を逆転出来るのだから。
模擬戦形式で性能テストを行うということになった。
グレイはそれに応じ、テスト相手はまずルキウスが務めることになる。
幸助とエルフィは審判だ。
幸助が対戦相手を努めないのは、万が一魔法具が暴走した際も外野から冷静に『併呑』し事態の収拾に務められるよう――という建前だ。
そもそもグレイの色彩属性は幸助のものなのだから、二人分の『黒』を、しかも片方は相手が使っているように見せかけつつ戦うというのは難度が高い。
ただでさえ貴族連中は英雄の末裔だけあって他者より魔力感知能力が高いのだ。
幸助から漏れていると悟らせずに魔力を制御しなければならない。
事前に彼の服の内側に大量の『黒』を潜ませておいた。
観客が固唾を呑んで静観する中、始まる。
初手は、ルキウス。
「【蒼天よ堕せ】」
ルキウスの頭上に氷の円錐が複数展開、即射出される。
幸助とグレイはわざわざアイコンタクトなどしない。
その程度のことで疑いの目を持たれたら堪らないからだ。
グレイはまるで本当に『黒の英雄』になったかのように、言う。
「【偽黒の一・葬の章】」
腕輪型の偽魔法具を掲げた。
瞬間、彼から『黒』が溢れその身を包む。
そして彼の前で防壁となり、全ての攻撃を――『併呑』する。
驚愕の声がそこかしこで上がった。
事情を知っているルキウス・エルフィ・幸助の三人も心から驚くように動揺してみせた。
「……まさか、本当にこんなことが」
ルキウスはかなりの演技派で、震えながら後退などしている。
それから焦ったように攻撃を連発。
その全てをグレイは『併呑』して見せた。
やがて、彼が言う。
「こほ……そこまでにしていただこう、耐用限界だ」
腕輪が砕けた。
魔法具としての性能を演出する為の仕掛けだ。
完全に『黒』を再現しましたと言うより、分かりやすく受け入れやすい。
「ご覧いただいた通り、わたしは『黒』の開発に成功した。こほっ、これは二十の既存属性を組み合わせ六百の魔法式を重ねることによって、こほっ、色彩属性の性能を再現するものだ。……こほっ、現在は『併呑』の機能に素材が耐えられず、許容量に難が見られるが、研究資金を援助していただければ、こほっ、より性能を高めることも可能となるだろう」
仕込みは、後二つ。
グレイがそこで、幸助を見る。
「わたしは、我が友リガルに代わり、国家に貢献したく思う。そこな『黒の英雄』のように、英雄を拝命しておきながら英雄殺ししか出来ぬ小僧とは、比べるべくもない貢献度になるかと思うが如何か」
そう。
グレイと幸助を繋ぐものは無い。
正直言って、グレイが嘘を吐いて得することは無いのだ。
今後ダルトラで仕事をしていくことは出来なくなるし、最低の嘘をついた魔術師の汚名を背負うことになる。
それでももしかしたら、真犯人だけは狙いに気付くかもしれない。
二人の協力関係を疑うかもしれない。
だから、その疑いすらも潰しておく。
初対面の幸助とグレイが、とんでもなく険悪な関係であると周りに知らしめることで。
「あ? 死の恐怖も知らねぇ引きこもりがなに語ってんだ? まずはその黴臭い白衣脱げよ」
グレイは挑発するように微笑する。
「こほっ……きみは幸運だった。わたしがこれを発表する前に来訪することが出来て。でもなければ、こほっ、きみのような愚昧で感情的な無能を、国が引き立てる理由が無い。こほっ」
「ナイフ持って調子に乗るチンピラと同じ香りがすんなお前。スペアの魔法具ないのか? 俺とも模擬戦しようぜ。リガルの友達だかなんだか知らないが、ろくに戦えもしないカスが英雄を語るんじゃねぇよ」
殺意すら迸らせて進み出る幸助をエルフィが止め、ルキウスが仲裁するように歩み出る。
「まぁまぁ落ち着きてください両名共。グレイ殿、クロは英雄足る資格を持つと僕は思いますよ。クロ、グレイ殿の発明は実に素晴らしいものです。これの量産化がなれば、兵士の死亡率も大幅に軽減出来ましょう」
ルキウスを挟んで、グレイはなおも続ける。
「わたしの発明は、こほっ、わたしの『黒』は人を救う。反してきみはどうだ。こほっ、キルパロミデス卿に続き、シンセンテンスドアーサー卿の処刑まで担うとは。きみの『黒』は穢れている」
「あっはっは。……じゃあてめぇの死もその穢れに加えてやろうか」
「双方そこまで。我らは皆ダルトラの同胞なれば」
ルキウスの言葉で、二人は渋々引き下がる。
グレイは周囲を見渡しながら言った。
最後の一手だ。
「彼だけではない。全ての英雄はその優位性を失う。こほっ、この魔法具が完成すれば、一般兵の全てが英雄と化すのだ。こほっ、それは英雄の末裔である貴族よりなお、臣民が国家に貢献する未来の到来を指す。国がため戦地にて命を捧げる兵士こそが、こほっ、真の英雄であると示すことになる!」
軍部の者が感極まったとばかりに拍手する。
反して、貴族院の連中は不気味な程に静観を続けていた。
さぁ、どうだ?
お前らご自慢の『英雄の末裔』っていうブランドを、壊す者が現れたぞ。
誰でも英雄になれるんだ。
『黒の英雄』にも価値は無くなる。
貴族の優位性は脅かされる。
今すぐでなくても、そう遠くない未来。
考えろ。
『黒の英雄』の子を産む為に、才能強化としてリガルを暗殺し、トワに罪を被せたクズ共。
お前らがやるべきことはなんだ?
警告?
いいや違うね。
他国に情報を渡されでもしたらダルトラとしては大きな損失だ。
じゃあどうする?
殺すしかないんじゃないか?
でも相手は『黒』を使えるんだぞ。
簡単には殺せない。
誰に殺しを依頼する?
不意打ちとはいえ、リガルの魔法耐性を超えて燃やし尽くした、例の遣い手しかいないよな。
臣民に英雄になられては困るだろ。
お前らは英雄であろうとするばかりで、いつしか国益より既得権益の維持に執着するようになった。
つまり、国を救いたいんじゃない。
英雄の末裔である自分達が、国を救っているという結果が欲しいんだ。
その二つは、似て非なるものだよ。
だからきっと、お前らは気付かない。
自分の人生を擲ってでも友の仇を捕まえたいと考える男の執念に。
お前らのやり方を気に食わないと考える英雄の存在に。
そう。この策は単純なのだ。
「簡易版であればすぐにでも製造を始められる。こほっ、よろしければすぐにでも生産体制に関して話し合いたいと思うが」
焦れ。
トワの死を待つ余裕は無いぞ。
もう実物があるんだ。
設計図が国に渡れば、殺す意味は無くなる。
早くしないとな。
研究資料ごと、グレイを葬り去らないとな。
幸助は誰にもバレないように、唇を歪めた。
あぁ、早く来てくれ。
この怒りを、早くお前にぶつけたいよ。
どこぞの貴族様。