64◇白衣の魔術師、吐露ス
くすんだ金髪の髪が、蒼い瞳を覆い隠しかねない程伸びている。
眼窩が落ち窪んでいるように見えてしまうくらいに深い隈が刻まれていた。
身長は百八十後半程だろうか。猫背の所為で実際より低く見える。
肌は褐色だが、日に焼けているのではなくヒスパニック系のような自然な色だ。
顔の造形自体は整っていて、不健康的な部分を全て改めれば女にさぞかしモテそうである。
空咳が酷いようだ。コホコホと、結構な頻度で咳をしている。
その度に一々握った右手を口元に当てるのだが、酒の入った木樽ジョッキも右手で掴んでいるものだから、口元と木樽ジョッキを右手が忙しなく行き来していた。
「……片方を、左手でやればいいんじゃないですかね」
幸助が控えめに言うと、男はしばらく自分の左手を見てから、咳に合わせてそれを口元に当てた。右手は木樽ジョッキから離れていない。
「…………こほっ、きみは、柔軟な思考が出来るようだな、ナノランスロット殿」
酒場の喧騒には不似合いな、陰気ともとれる声音だった。
ただ、機嫌が悪いのではないということも分かる声だ。
ローテンションなのがデフォルトなのだろう。
「どうも。さっきも言いましたが、俺に話があるそうですね?」
男はグレイルフォンと名乗った。
魔術師らしい。
「グレイル……?」
幸助は眉を顰める。
その音に聞き覚えがあったからだ。
「あぁ、初めて奴と逢った時も、こほっ、今のきみと同じような反応をしていた」
懐かしむように男は言う。
「リガルグレイルの友達が、グレイルフォンか。面白い巡り合わせですね」
「こほっ、どうかグレイと呼んでくれ。きみさえよければ、こほっ、改まった態度もやめてくれていい。英雄殿に下手に出られても、こほっ、恐縮してしまう」
「……そうさせてもらうよ。じゃあグレイ、俺のこともどうかクロと」
男は空咳の後、微かに唇を歪めて頷いた。
「その咳って病気?」
「こほっ、あぁ。生来、肺が弱くてね」
「そういうの、魔法で治らないものなのか?」
「魔法には、こほっ、介入限界というものがある。治癒魔法が失われた魂を引き戻せないように、こほっ、天与形質を“治癒対象”に選ぶことが、こほっ、出来ないようだ」
天与形質という単語に聞き覚えはなかったが、そう翻訳されたということは字義通りに受け取ればいいのだろう。
天から与えられた形質。つまり生まれた時からの性質は当人にとっての『正常』であるから『治癒』魔法の対象に出来ないというわけだ。
「こほっ、きみの『黒』の場合は、容積あたりの『併呑』量という形で介入限界が定められているのではないか? こほっ」
「あぁ、当たりだよ。クウィンの『白』だってなんでも『無かったこと』に出来るわけじゃないみたいだしな。色彩属性もなんでもありとはいかない」
「こほっ。『白』、つまり『否定』による打ち消しもまた、あらゆるものを対象と出来るわけではない。『否定の否定』は不可であると、こほっ、決められている」
例えばクウィンが一人の人間の存在を『無かったこと』にする。
一度目の『否定』だ。
でもそれを後悔して、『無かったこと』にした事実を『無かったこと』にして元に戻すということは、『白』には許されていない。
一つの事柄に、『否定』を重ねがけは出来ないのだ。
だから死者の蘇生も出来ない。
死とは生を『否定』すなわち打ち消した状態だからだ。
幸助の精神汚染もまた、同様の理由で『否定』出来ない。
あれは幸助の『正常』を僅かずつ『否定』するものだからだ。かつ『否定』された状態を『正常』であるとする為、『治癒』も出来ない。
傷や損壊を『否定』出来るのは、それが過程でしか無いからだろう。
ものが壊れるというのは人間の主観であって、形あるものはそれを変えていくのが普通だ。
人間の負傷も死そのものに至るまでは当たり前のこととして『否定』の対象に成り得る。
そして『黒』も『白』も展開限界というものがある。
魔術の出力だ。
幸助の場合、【黒迯夜】によってその壁を一時的に超えることが出来る。引き換えに精神汚染が加速するわけだ。
クウィンの場合はどうか分からないが、同じく自分の限界を超える時は代償を求められる。
『白』の場合は記憶だ。
彼女の評判を聞く限り、現在では記憶を失う程の発動はする必要が無いように思うが、聞いたことがないので分からない。
「詳しいんだな、魔術師だから?」
「わたしは技術国家メレクトに長らく逗留していてね。こほっ、そこでは色彩属性や概念属性すらも利用した魔法具を作れないかと、こほっ、真剣に考える者もいた。その受け売りだよ」
「へぇ、じゃあいつこっちに?」
マスターが幸助の前にドンとミルクを置いた。
さすがだ。真面目な話をする時は思考が鈍るので酒は呑まない。
いつかシロに言ったことだが、マスターは言わずとも全てを察してくれるらしい。
視線で感謝の念を送っていると、横でグレイが呟く。
「今日だ」
幸助のジョッキへ伸びる手が止まる。
「……リガルの訃報を聞いたから……にしては早過ぎるな」
「数日前、英雄会議で王都に寄るから久々に逢おうという話に、こほっ、なってね。来てみたら、死んでいた。こほっ、殯宮へ行くと、遺体は見せられないと言われた」
幸助は掛ける言葉を見つけられなかった。
「行った、タイミングは?」
「さっきだ……こほっ」
幸助と入れ違いになった形か。
では、見せられなくて当たり前だ。
棺の中に遺体など、収まっていないのだから。
「自慢ではないが、こほっ、わたしはこの国では幾らか有名でね。こほっ、リガルの友であるという事実も、主に奴が喧伝した所為で、知っている者は少なくない。そんな私が、こほっ、入場すら許可されないのは、妙だ」
じわりと、手に汗を掻くのが分かった。
そっとズボンで拭う。
「こほっ……そして、ある推測を立てた。見せないのではなく、見せられないのではないか。こほっ、もっと言えば――見せるものがないのではないか」
カウンターに向けていた身体を、彼は幸助の側に向ける。
「……『森の神殿』に出現した来訪者の多くが、こほっ、この店と繋がりを持つことは周知の事実だ。案の定、まぁ、予想より早かったが、きみは現れた。こほっ」
自然と、声が緊張で固くなる。
「じゃあ、俺に話したいことがあるっていうのは」
彼の視線が、突き刺さる。
まるで、品定めするような目つきだった。
「見ておきたかったのだ。我が友の亡骸を喰らった英雄が、どんな顔をしているかを」