62◇黒の英雄、思索ス
帰りの馬車の中、幸助は座席に腰を下ろし黙考していた。
まず、ドルドに貰った事件資料。
電子化――この世界では魔素化というらしい――されたことでグラスでの閲覧が可能になったそれに目を通す。
既に知っている情報は省いて、新情報だけをインプットする。
・遺体から検出された魔術属性は高純度の『火』、すなわち『炎』属性だった。
・遺体からは彼の着用していた魔法具と聖装『一騎統閃』が奪われていた。
・遺体からは眼球が繰り抜かれていた。熱で溶け網膜に癒着したグラスを回収する為と思われる。
・目撃情報はグランシュフルール家の使用人とチェルウィッチの次女が家の窓から。グラカラドック家の三女アリスが学院の研究室からの帰宅時に、それぞれ赤い礼装を着た何者かがリガルを燃やした場面を見たという。
・目撃者によると、リガルは魔法を発動する間もなく殺されたとのこと。
・犯人は目撃者に気付いた様子はなく、その後忽然と姿を消したという。
この情報だけ見れば、『紅の英雄』の末裔であるグラカラドック家の三女アリスに疑いが向くのが自然。
実際、目撃者三名への取り調べも行われた。
ステータスの開示を求め、確認も済んだ。
更にはグラスに記録されている事件時刻の視覚情報の供出も求めた。
それだけに留まらず、記憶領域への干渉も行い徹底的に事実を精査した。
エルフィの『神癒』は『治癒』属性を極限まで高め、同じく極限まで高められた『認識』と複合させた属性だ。
彼女とまったく同じことが出来る者はいないが、部分的に真似事出来る者はいる。
『治癒』による生体への干渉を『認識』によって最大限まで拡張。
それによって記憶領域の閲覧や真偽の看破を可能とする人間がいるのだ。
ダルトラの正規軍は警察組織も兼ねる、言わば国家憲兵に類する存在。
王室からの命令には従わねばならないが、それに反しない範囲で捜査はしていたのだ。
しかも、情報からするとかなり念入りに。
彼らが優秀であるということもあるが、それだけリガルの事件を重要視しているということでもあるだろう。
トワの捕縛は、全ての可能性を検証した結果最終的に導き出されたものなのだろう。
というより、幸助だってトワが他人だったら疑わざるを得ない。
こんなの、トワ以外の犯人を用意する方が難しい。
この情報が全て、真実なら。
そう。軍部にだって、貴族の息が掛かっている者がいてもおかしくないのだ。
あくまで参考にするに留めるべきだろう。
リガルは反撃する間もなく殺されたとあるが、幸助はこれを疑っていた。
リガル程の人間なら、攻撃された後から反応しても回避は間に合う筈だ。
それが出来なかったと考えるより、必要ないと判断したと考える方が自然。
つまり、夜道で遭遇しても怪しいと思えない人物だった。
第一外周に住んでいて不自然でなく、それでいてリガルが警戒しない相手。
貴族かつ、知人。
今の情報で言えば、やはりアリスが最も怪しい。
既にエコナから帰宅したとの連絡は来ていた。
仮にアリスが犯人でも、今幸助の大事な人物に手は出さないだろう。
少なくとも、トワが処刑されるまでは。
アリスはリガルのことをリガルおじさまと呼んでいた。
彼の父とリガルに親交があることは聞いている。
アリスなら、リガルを殺せたのではないか。
誰も、友人の娘に突如暗殺されるなんて考えもしないだろう。
だが、彼女のステータスはリガルの自然属性耐性を超えられるものではない。
魔法具を装備していたらどうだ?
『紅の英雄』の末裔なら本家がオリジナルの魔法具を多数保有していてもおかしくない。
軍警もそれは視野に入れていた筈だ。
その上で無実であると判断せざるを得なかった。
彼女が犯人だとしたら、どうやって誤魔化した?
いや、この際方法はどうでもいい。
どうやって彼女が犯人であると証明する?
どうせ証拠は残していないだろう。
自白させるしかない。
トワが死ぬまで次の犯行を控えるだろう相手に、どうやってそれをさせる?
――拷問、か?
あるいはエルフィに手伝わせて、再度彼女の記憶なりを調べるか。
転生前の幸助なら、迷わずそうしただろう。
目的の為なら、疑わしいというだけでその程度のことは出来た。
第一、拷問して得た自白なんて快く採用されるわけが無い。
証拠を掴むか犯行現場を押さえるのが、最も正当性を主張出来る終幕だ。
幸助は再度自分に冷静さを強いる。
そうだ。もしこのまま犯人を見つけられなくても、最悪問題無いのだ。
処刑人が幸助であるのだから、攫って逃げればいい。
最後の手段ではあるが、言い換えれば最後は彼女を救えるという結末は変わらない。
その場合今ある『クロ』として築いた関係の大部分が失われてしまう可能性があるが、あくまで最終手段だ。
要するに、今考えているのはどう救うかという話でしかない。
だから復讐者時代の、危険度や倫理を度外視した過激なやり方は可能な限り排除すべき。
と、そこでプラスからグラスに連絡が来た。
本家の伝手で会議録を手に入れたはいいが、ともかく要らぬ説教を受けたらしい。
苦笑しながら感謝のメッセージを返し、すぐに閲覧する。
トワに罪を被せることで事態を終息させるのが最もダメージの少ない選択だと提案したのは、主に五つの貴族家だった。
その一つに、先程の情報と被る家名が一つ。
グラカラドック家。
つまりアリスの実家だ。
奇妙な偶然と考えられなくもないが、幸助は敢えて必然と断定。
アリス個人に仕組めることとは思えないから、家ぐるみと考える方が筋が通る。
通すことが出来る、と言った方が正確か。
推論に推論を重ねているだけだからだ。
だが、トワが犯人ではないと知っている幸助からすれば、それでも意味のある思考である。
これらの情報を踏まえ、幸助は一つの疑問を抱く。
いくら貴族院がグラカラドック家を始めとする複数の貴族家の意見に押される形でトワの処刑を決定したのだとしても。
王室がこれを受け入れるまでのタイミングがあまりに早過ぎるのではないか。
なるべく早く犯人を捕まえたという報を出すべきだというのはわかる。
それでも、ダルトラは既にライクを失っているのだ。
例えば幸助が同じ立場なら、情報を捏造してでも擬似英雄を生け贄にするだろう。
模造品に本物の英雄が殺されたのかという意見は出るが、トワすらも失うよりはその方が余程いい。
日を置かずに三人もの英雄を失うのは、痛手でしかない筈だ。
例え民意を鎮めることが出来るのだとしても。
つまり、何かあるのだ。
トワを棄てても最終的に国家が得をする道が。
幸助含む英雄達も知らないということは国家機密レベル。
ダルトラ内で新たな英雄が見つかったなら、発表すればいい。
つまりそれが出来ないということは、おそらく――。
と、そこで馬車が停まった。
幸助は思考を切り上げ、下車する。
自宅前だ。
もう辺りは暗い。
エコナはもう寝ているだろうか。
彼女の前では、普通でいようと思った。
無闇に心配させるようでは年長者失格だろう。
それに、リガルが死んでしまったことはまだしも、その犯人をアリスだと考えているなんてエコナには言えない。
一つ深呼吸をして、幸助はドアを開けた。