56◇黒の英雄、憤激ス
幸助は運転席から飛ぶように降り、壮年軍人の前に立つ。
「そんなふざけた理屈が通るか。……あんた、名前は」
「ドルドレニクと申しますが……」
ドルドレニクは恐縮した様子で、それでもどうにか引き下がりはせずに答えた。
部下の手前、英雄を前にしているとはいえ及び腰にはなれないということだろう。
「じゃあドルド。こんな大所帯引き連れて冗談かましに来たとは思えないから、訊くぞ。トワを捕縛するに足る理由はなんだ。それを此処で示せないなら、連れてはいかせない」
じり、と靴底が地面を擦る音が幾つも重なった。
幸助から放たれる怒気に当てられて、幾人もの兵が恐怖に後退したのだ。
さすがに指揮官ということか、ドルドはそれを受けても身じろぎに留めた。
「はっ。まずもって、ドンアウレリアヌス名誉将軍は確かに焼死されていたことをご報告致します。彼は自然属性に強い耐性をお持ちになっていらっしゃいましたので、必然的に下手人は耐性を超えて彼を燃やすことの出来る魔法を持ち、なおかつ彼から逃げ遂せる程の実力の持ち主ということになります。現場には血痕どころか毛髪一本発見することが出来ませんでしたから。更に、彼のご遺体は第一外周区にて発見されました。畏れながらナノランスロット卿は知り得ないことと愚考し補足させて頂きますと、第一から第二までの環状街門には正規軍による検問が敷かれております。予想される犯行時刻において、内部におられた英雄は亡きドンアウレリアヌス名誉将軍を除けばシンセンテンスドアーサー名誉将軍ただ一人。それは間違いありませぬ」
「だから? なんなら今から警備の目を掻い潜って王宮まで侵入してやろうか? 情況証拠でものを語るんじゃねぇよ。擬似英雄だって、やろうと思えば壁くらい超えられるだろう」
あくまで冷静に、ドルドは続ける。
「現在、ギルティアスに擬似英雄は滞在しておりません。付け加えさせていただくなら、いくらナノランスロット卿と言えど警備に引っかからずして環状街門を突破することは困難かと。前述の二街門には特殊な魔動警備システムを採用しておりまして、通行許可無き者の魔力波長を検知すると鐘の音が鳴り響くことになっております。壁そのものを『併呑』なされば別でしょうが、そのような大規模な破壊行為も確認されておりませんでした。犯行は内部で行われ、犯人は内部にいる者であり、その力を持つのはシンセンテンスドアーサー名誉将軍お一人なのです」
可不可の問題だ。
トワ以外に不可かつ、トワのみに可であったというなら、疑いが向くのは避けられない。
「……それでも、“疑わしい”以上にはならない」
「目撃情報も複数上がっております。『赤い礼装を見た』とのことで。いずれも名のある貴族家縁の者ですから、信憑性は高いかと。少なくとも、貴殿の『そうは思えない』という希望的観測よりは余程信じるに足る情報ではないでしょうか」
幸助は言葉を失った。
もちろん、トワが犯人だと思ったわけではない。
あまりに、用意周到。
この犯行は、考え尽くされて実行されたものだ。
トワを犯人に仕立てあげる為に計算され、上手く嵌っている。
理由は分からないが、そうであることだけは分かった。
「……わたくし共もこのようなこと、望んでいるわけではありませぬ。ですが王室の命に従い、臣民の生活を守ることこそが正規軍の存在意義でありますれば」
そう言って、ドルドは頭を下げる。
彼は任務に忠実に従っているだけなのだ。
此処にいる兵士がトワを犯人と決めつけているわけでもない。
「それとも、貴殿はこう仰るおつもりか。――英雄なのだから、多少疑わしくても見逃せ、と」
「違う……。リガルが本当に殺されたのなら……国家を揺るがす事態だ。その犯人と疑わしき者を通常の手続きを踏まずに即捕縛するのも、何もおかしくない」
これは悪質なテロ行為だ。
幸助のもといた世界のとある国にも、愛国者法というものがあった。
テロに関係すると判断されれば該当人物を司法手続きを挟まずに拘禁することが許されるばかりか、その他通常では考えられない権限が捜査側に与えられる法だ。
王権によって統治されている国家であることを考えれば、王室直下の英雄殺害は王族殺害に次ぐ大罪。その捜査に超法規的措置が許されることに、疑問を挟む余地は無い。
この世界の“理屈”が、幸助の意思を縛っていく。
それでも。
「トワは犯人じゃない」
幸助は断言した。
「こいつがリガルを殺したっていうなら、動機はなんだ」
「それは、取り調べで明らかにすべきことかと。……そろそろよろしいか、彼女を引き渡していただきたい」
ドルド達は間違っていない。
ただ職務を果たしているだけだ。
だから恨むような気持ちは無い。
それでも、幸助は思わずにいられなかった。
――ふざけんなッ!
そんなことで妹をはいそうですかと捧げられるくらいなら、復讐者になんかなっていない。
何か、何か手がある筈だ。
「クロ、もういいよ?」
トワの、声だった。
躊躇いがちに振り返ると、彼女はどうにかといった具合に微笑みを浮かべている。
「いやぁ、まいったなぁ。でも大丈夫。冤罪だし。すぐに釈放されるって」
幸助は、そうはならないと考えていた。
きっとトワだって、それには気付いている。
気付いた上で、これ以上事態をややこしくしない為に抵抗を諦めたのだ。
「よくない。お前はリガルを殺してなんかないだろ」
「うん。でも、クロがトワの分まで怒ってくれたから、今のところは不満無いかなって。身の潔白を証明して、すぐに出てくるよ。そしたら迷宮攻略、行こうね」
彼女が馬車から降りる。
兵士がやってきて、魔封石製――魔力の発露を封じる鉱物――の手枷を彼女に嵌める。
「……だめだ、こんなの。トワ……!」
駆け寄ろうとした幸助の前に、ドルドが立ちはだかる。
「お控えください、ナノランスロット卿」
「退けよ、お前に用はないんだ」
幸助から殺気が迸り、すぐに霧散した。
トワに叱られたからだ。
「もう、やめてよね。そんな顔されると、みんなに仲を疑われちゃうよ。クロはシロさん一筋なんでしょ?」
移送用の馬車に彼女が乗り込んでいく。
扉が閉まる寸前、幸助に微笑んだ。
「……それでは、わたくし共はこれで失礼致します。なお、両名に課せられた『空間迷宮』ファイの攻略命令は解除されております。新たな命令がくだるまで、ナノランスロット卿には王都にて待機していただくことになりますので、その点ご了承ください」
言って、ドルドも去っていく。
幸助はその場に膝をついて、笑った。
乾いた笑い声が、断続的に漏れだす。
やがてそれは、涙に変わった。
その日の内に、トワの処刑が決定された。
処刑日は五日後。
処刑人に任命されたのは――幸助だ。